運命の女神
北領に舞い戻ってきて、慌ただしく時が過ぎていく。まず、親しくなった孤児達が焼け出されたことを知り、保護したのち、そこの院長であるエインさんの無事を確かめに領主館へと赴いた。
そこで足と腕に大きな損傷を負ったものの、一命をとりとめた彼に、旧領都への同行を願い、快諾された。
さらに驚くぺきことに、オーレリアが領主の剣を無条件で貸してくれた。いざとなったら、無許可で拝借しようとまで思っていただけに、助かった。
聖領の巫女が泥棒をしでかした!なんて、大した汚点だもの。多少のモヤモヤ、何か裏があるんじゃなかろうかと思いつつ、ここまでは順調に運んでいた。
けれど、運命の女神は、そんなものがいるとしたらだが、私達に束の間の安息すら、与えてはくれないようである。
領主館からイリューズ商会に戻るとすぐに、私は、反領主組織に加担していた修道士アッゼと面会した。そして、エインさんからの思いを汲み取った彼が、自らの意思で出頭していくのを見送った。
これから彼に待ち受けているのは、重い処罰だろう。私は暗澹たる思いで、ただ見送ることしか出来なかった。それが辛い。
「またですか。ナツキ様は他人に感情移入し過ぎなのですよ」
うーうーと唸る私に、アリーサがあきれ声だ。
「だって、エインさんは彼を逃がしてあげたかったから、大火傷まで負ったんだよ!それなのに、私は彼を黙って行かせてしまった」
「逃げきれると本気でお思いですか?それに例え、逃げきれたとしても、後悔に苛まれるだけの日々が待っているだけですのに。私だったら、そんな生活、真っ平ごめんです。
そもそも、暗愚な領主に反旗を翻すのはともかく、彼らのやり方は間違っていました」
「それはまあ…、私だってそう思うけど」
「あの方はご自身の恨みを晴らすために、反領主組織に荷担していたのです。こちらに留まっていらっしゃる元騎士団の面々とは、天と地ほどもの差があります」
主が他領へと出奔し、空となっていたイリューズ商会だったのだが、今現在、私達の他に、焼け出された孤児達と彼らの面倒を見るために、一度は孤児院から出て行ったメーテル達がいて、大層賑わっていた。
そして、領主のやり方に異を唱えて騎士団を辞めた元騎士達が匿われていた。彼らは秘密裏に同志を募り、北領の治世の改善を求めて、暗躍していた。反領主組織と違うのは、全てが合法的に行われ、誰も傷つけないやり方で貧しい者や困っている者達を助けてまわっていた点だ。それにはイリューズ商会の潤沢な資金援助があったことは内緒である。
彼らがこちらに合流した経緯はさておき、イリューズ商会に領主の目を向けさせる訳にはいかないのだ。
「はあ。やっぱり、何もかもが良くなると言うわけにはいかないのよね」
「それはもちろんですとも。何と言っても、領主が変わらなければ。じきに聖領だけではなく、他領からも物質が運ばれてきますけれど、それは一時的なことですもの」
「そうなんだよねー」
既にクレイさんやタルボさんらをはじめとする、聖領の冒険者達が辺境を中心に聖領からの物資を配ってくれている。それにより助かる人は大勢いるはずだ。実際に私もそれを目にした。
それでもまだ足りない。それは支援だけではどうにもならない、北領の領主家の問題が重くのしかかってくる。
「うー」
私は再び頭を抱え、ソファへとつっぷす。脇でアリーサがみっともないと怒っているけど、構うものか。
「結局、まだ一度も領主に会ってないんだよね」
絶世の美女であるヒルダさんのお姉さん、オーレリアが生んだ息子だ。大層な美青年なのは間違いない。妹のセアラはお父さん似なのか、オーレリアにあまり似ていない。
「一回くらい会って、どう思っているのか聞いてみたいんだけどな…」
「母親が承知いたしませんでしょう。何と言っても、ナツキ様のご旅行は婚活の旅であると周知されておりますし」
アリーサがサラリと言う。
「は?私の旅行ってそんな風に喧伝されているの!」
私はガバリと起き上がった。
聞いてない。聞いてないよ〜。
「何を今さら…。最初のご旅行から、ヒルダ様からそう聞いてらしたでしょう?東領の領主にしろ、南領の領主にしろ、そうした名目であなたが旅をなさっていると聞いてらしたから、すんなりと面会出来たのですよ?」
「ええー!確かに名目上は婚活目的の旅だけど、最初から相手にそんな風な目で見られてたなんて、恥ずかし過ぎる」
「恥ずかしい?そもそも、羞恥の気持ちがあるならば、こんな風にふらふらと他領に出向いたりはいたしません。歴代の巫女様方は、神殿のある敷地内から外に出歩くことさえありませんでしたから」
う。そう言われると…。
「じゃあさ!現領主が私に挨拶すらしてこないって言うのは、私なんか、お呼びじゃないってこと?」
「そういうことになりますね。北領の領主には、既にご婚約者もいらっしゃると聞き及んでおりますし。お母上のオーレリア様にしろ、聖領の巫女の婿にしたいとは考えてはおりませんでしょう。
そうなりますと、ヒルダ様と再び、縁続きになりますし、絶対に回避されたいでしょうね」
「んん?縁続きって、姉妹でしょ?」
「他領に嫁下された時点で、ヒルダ様とは縁が切れておりますよ?」
「じゃあなんで、私が彼女の息子を婿にしたら縁続きになるの?」
私の疑問にアリーサが心底、駄目な子を見る目を向ける。
「…異界から召喚された巫女と神殿長は、母子であり、姉妹でもあります。その縁は誰にも切ることが出来ないほど強固なものなのですよ」
それはもちろん、私だってヒルダさんのことを本当の家族と思っているよ。でも、それは心と心の繋がりで、地球で言うところの戸籍上の繋がりとは別のものと捉えていた。
「ふうん。じゃあ、私のお婿さんとその家族は必然的にヒルダさんの身内みたいになるのか」
「その通りです。ですから、うろんな輩をあなた様には近づけないように我々側近が心を砕いておりますのに、あなたの方から近寄っていくのですもの。
ほんっとうに!厄介なことです」
そんなに強調して言わなくても。私だって、選んでるよ?うん、多分。だいたいのところは。
「まあ、ホップ殿があなたに全く興味を示されなかったのは幸いでした」
「な!なんでそこにホップさんの名前が出てくるのよ!」
「多少は気を引かれていらっしゃったようなので。巫女は何人、娶っても構いませんが、あまり素性のよろしくない相手は困ります」
「何人もは娶らないよ!私は一人で十分!」
こちらの一夫多妻制をどうこう言う気はないが、私は夫は一人でいい。そもそも一妻多夫なのは、領主一族くらいだし。
アリーサとじゃれ合っていた客間の扉がコンコンと控えめにノックされた。
「はい」
アリーサが出迎えに立ち上がる。
残された私は一人、火照った頬に両手を当てた。
本当にもう、アリーサったら!ホップさんは、まあ、何だ。渋くていいなとは思ったよ?
私はこちらの世界に召喚された際、体が若返ったのだが、心(魂年齢?)で言うと、四十過ぎのおばちゃんだ。少年より、渋い中年男性に目を惹かれるのは仕方なかろう。
「なるほど…。やはり、ホップ殿もですか」
そんな私の耳元に囁く不穏な声。
「な、何よ?文句でもあるの?」
振り返れば、何となくジトリとした目でこちらを見下ろすヴァンの姿があった。
「別に。ただ、ナツキ様のお好みは精悍な豹のような男性かと思っておりましたので」
彼が暗に南領の新領主であるリヒトを指しているのは明らかだ。
「変な当て擦りはよしてよね!」
プンとふくれてみせる。
だってさ、過去とはいえ、リヒトのことは何と言うか、甘酸っぱいような、切ないような初恋の記憶だ。いや、恋が始まる前に終わってしまったようなものなので初恋未満?
ヴァンだって知っているだろうに、何でこんなこと言うんだろう。
私は怒った。ううん、違うな。ヴァンに誤解されたままなのが何故だか、無性に悲しいのだ。それが何故なのか、どうしても分からなったが。
「ナツキ様っ!」
アリーサの声に驚いて見ると、そこには満身創痍という態のミグの姿があった。
「…ナツキ、様」
言うなり、床の上へと倒れこむ大柄なミグの体をアリーサが両腕で支えるも、二人して床へと座り込んだ。
私は慌てて、二人の側へと駆け寄った。
「どうしたっていうの!それにその傷は…」
ミグの体にはあちこち包帯が巻かれているのが見てとれた。
「ああ…。お願いだ。民を…、この国を救って。このままじゃ、北領は旧領都の歪みに飲み込まれちまう!」
「歪みって…まさか!」
ミグは、傷のせいで喋るのも辛い様子だが、絶対に伝えなければならないという使命感で気をもたせているように見える。
「そうだよ。旧領都を覆っていた歪みが広がり始めたんだ。あたしらは女子供を逃がすために洞窟から出て安全な場所を探してたんだけど、森の魔獣どもが狂気めいちまって。
おそらく歪みが広がった影響だろうって、ナタクが。あれは元々、今の北領家へ恨みを持って死んだ男の怨念が大勢の魂を巻き込んだ結果、生じたものだから。それが周囲を狂わせるんだって。
それも魔獣だけじゃない、弱い心の持ち主も引きずられちまうんだ。何人かが歪みの中へと取り込まれちまった…。
それでも戦える者は全員、弱い者達を守りながら逃げたんだ。
けど!その途中でナタクが、セアラを庇って…」
「ナタクさんが、何ですって?それにセアラも?」
私は、心臓がぎゅっと鷲掴みにされたような感覚を覚える。
「セアラは無事だよ。けど、ナタクは…」
「ナタクさんがどうしたって言うのよ!」
「死んだ」
「っは…」
私は、全身から力が抜けるのを感じた。それは深い喪失だ。
何?何て?ミグ姉さんは何て言ったの?
ナタクさんが、死んだ?
ガクガクと震える体を両腕で抱き締める。まるで大地のような、大きく深い愛情で仲間を導いていたナタクさんが死んだ?
深い喪失感に襲われ、思考が停止する。
そんな…、そんなことって。
「しっかりしろ!まだ、終わりじゃない!」
そんな私の両肩は、ぐいっと強い力で掴まれ、方向を変えられた。
目の前にヴァンの顔があった。
「セアラは?洞窟にいた子供達はどうなる?ミグがここに来たってことは救援を求めてのことだろう?
まだ、戦っているかも知れない。お前は、そんな人達を放っておく気か!」
両手で強く揺さぶられる。
「でも…、ナタクさんが」
「ああ。ナタクは死んだ。自分が守りたかったものを守って死んだんだ。本望だろう。けれど、まだ残された者達がいる。彼が命をかけて守りたかった者達が、まだいるんだ!」
ああ…、そうだ。こんな所で呆けている場合じゃない。私は自身を奮い立たせる。
「行こう!初代の剣はある。私とセアラで何とかして食い止めないと」
エインさんの希望を潰してしまうことになって、ごめんなさい。でも、今は火急の時、待ってなどいられないの。
私は立ち上がる。
「アリーサ。ミグに薬を」
「は、はい」
アリーサが聖領から持ってきた薬が入った袋を取りに行った。
「それから、ここにいる戦える者全てに伝えなさい。旧領都に助けを求める者達がいることを。そして、助けたいと思う者は一緒に来いと」
私の号令にヴァンが片膝をついて、「は」と答える。そこにはいつの間にかラベルとセーランの姿もあった。彼らは三人とも、私の守護騎士だ。後の段取りは任せて間違いないだろう。
そうして皆が皆、慌ただしく動き回るなか、私は扉で繋がった寝室へと入る。
その部屋には大きな収納扉があった。それを徐に開ける。
そこにはザキ宰相から手渡されたままの布地に包まれた初代・北領領主の剣があった。私は、豪奢な布地を丁寧に取り払った。
黄金の鞘に光輝く大剣は、レーヴェナータが最も厳しい北領の地へと赴く息子へと与えたものだ。
「魔を祓い、切り裂く剣―」
ヒルダさんが調べた文献にはそう記されていたそうだ。
私は、その剣の柄を右手に取り、左手に持った鞘から引き抜いた。
研ぎ澄まされた刀身には私の顔が写っていた。今にも泣き出しそうな、その顔が。
私はふるふると頭を振って、弱い心を追い払った。
「レーヴェナータよ。どうか、あなたの子孫に加護をお与えください」
そう心を込めて祈る。まだ、幼いセアラに戦いを強いることになる、罪深い私に代わりに罰をお与え下さいと。
残暑が厳しいなか、お読みいただき、ありがとうございます!風雲急を告げる展開に作者もどうする、どうなると続きを早くお届けしたいところですが!今日はこのへんで。この先の北領編も、最後までお付き合い下さい。