希望に向かって
「ナツキ様のお申し出は、大変嬉しく思います。けれど、私に…、今の私にお手伝い出来るでしょうか?一人で立つこともままならないと言うのに」
そう言って、悲しそうにエインが自らの動かぬ足を擦った。
この部屋には北領家に支える侍女の姿があった。永珠の実に関して、あまり広言したくない。
そんな私の気持ちに気付いてか、テトラさんが、こう言った。
「お気遣いなさいませんよう。ここにいる侍女は、私の親族です」
「そうなんですか?」
「ええ。とは言え、正式な婚姻から生まれた訳ではないので公にはしておりませんが。
恥ずかしながら、この娘は、私の父が妾に生ませた子供なんですの」
隅に控えた侍女さんが控えめに頭を下げた。
え?と言うことは姉妹?どう見ても、親子ほどの年齢なんですけど。さすが、北領きっての大商人の主だったお父さんだけはあるね。きっと、隠し子が何人もいたに違いない。
そもそも、レーヴェンハルトでは、支配階級や大商人などは一夫多妻である。愛人だって、何人持ってもよい。
まあ、私が正妻だったならば、あまり穏やかではいられないかも知れないが。
私が変なところに感心していると、
「ですから、ここで何を話されようと後々、不利になることはございません」
と、安心するよう言ってくれた。
「そうですか。じゃあ、言いますけど、私は永珠の実を所持しています」
「は?」
今度はテトラさんの方が、信じられないとばかりに目を見開いた。
そうだろうねー。今では伝説となった万能薬だもんねえ。
しばしの沈黙の末、テトラさんはおずおずと切り出してきた。
「それは、その…。本物なんですの?」
「もちろん、本物です。永珠の実を護ってきた湖水竜からいただいたものですから!」
「湖水竜?あの…、もしかして、伝承にある?」
「生きてますよ?元気にしています」
「ま…、あ。そうなのですか。まあ…」
「ですから、大抵の病気や怪我は直せると思います。シーリンさんが戻ったら、怪我の具合について詳しく聞かせてもらえますか?」
私は、エインさんを見た。
「そうですね。彼女の方が私より詳しく話せるでしょう。こんな風に起き上がれるようになったのは、ほんの数日前のことで、孤児院が襲撃を受けてから、その間、私は痛みでほとんど意識を失っていましたから」
そう言う訳で、私達はシーリンが戻ってくるのを待った。
その間、エインさんにセアラの頑張りについて語って聞かせた。
彼にとっては孫娘も同然で嬉しそうに耳を傾ける。
エインさんの怪我の完治については、まだ、希望的観測でしかないが、部屋の雰囲気は、ぐっと明るくなっていた。
しばらくして、シーリンが戻ってきた。
「本当にありがとうございました。先程の薬は、とても効き目が良くて、先生も患者さんも驚いていました」
酷い怪我を負っていたいたと言う、お兄さんの具合がよくなったのだろう。彼女は頬を上気させ、何度も頭を下げながら、お礼を言ってきた。
「いいのよ。あの薬は本当に効き目が良くて、聖領で新しく作られた薬だけれど、既に絶賛されているの」
「そんな貴重なものを…。本当にありがとうございます」
「それでね、シーリンさん。私達、エインさんの怪我について、詳しく知りたいの」
「私は看護助手ですから、あくまで側で聞いた範囲でしか、お答え出来ないと思いますが、それでよろしいですか?」
「ええ。それで構わないわ」
「それでは、申し上げます。エイン様がこちらへと運び込まれた時は、全身に酷い火傷を負っておられました。何でも倒れた柱の下敷きになったとか。
騎士達から救助されてすぐに、こちらで治療を開始しましたが、それはもう、酷い状態でした」
聞くほどにエインさんが、生き永らえることが出来たのは、北領家お抱えの慰者の存在が大きかった。
「先生は不眠不休で治療にあたられましたが、傷から毒が入り、左足は切断せざるを得ませんでした」
「そうですか。怖くて自分で見れなかったのですが、やはり、私の足は失くなってしまっていたのですね」
布団に覆われた両足がどうかなんて、伺い知れないが、よく見ると、左右で布団の膨らみかたが微妙に違っている。
「右足は骨の一部が粉々に砕けてしまっていて、先生のお力をもってしても、全てを癒すことが出来ませんでした。申し訳ありません」
「いいえ。お慰者様がとても頑張ってくれたことは、朦朧とした意識のなかであっても感じていました。こちらこそ、ありがとうございました」
こちらの世界には、日本にあるような高度な先進技術を要した手術室もなければ、複雑なオペが出来る腕を持った医者もいない。
薬師が処方する薬や癒者の持つ治癒魔法頼りである。
傷口から毒が入ると言うのは、恐らく破傷風のことだろう。現代でも気を付けなければならない、恐ろしい病気である。
「そう、なの。左足を切断…」
私は、唇を噛んだ。流石に永珠の実だけで左足を復活させることは出来ない。
稀代の癒者であったレーヴェナータ達のお母さんがいてくれたら、可能であったかも知れないが。
「ありがとう。参考になったわ。もうしばらく、私達だけで話をしたいの。席を外してもらってもいいかしら?」
「では、午後のお薬をもらいに行ってきます」
シーリンは詳しく説明しなくても、秘密裏の相談があると察してくれたようだ。
彼女が退出すると、私はエインさんへと向き直った。
「エインさん、実は…」
「よろしいのですよ。これも全て、自業自得ですから」
「ごめんなさい。失った腕や足を復活させるなんて、流石に出来ないわ」
聖領の治療院にいる、最高峰と言っても言い、医療チームにも無理だろう。
「けれど、動かない右足は何とかなると思う。これを飲んでみてくれないかしら?」
「これが先程、仰っていた…」
「さっき飲んでもらった薬の上位版にあたるわ。ほとんど薄めていない原液に近いもの。効能は確かだけれど、反動も強いと聞いているわ。
薬は時に毒にもなる。私が知る、薬師はそう言って、私にこれを渡してくれたの」
この薬は秘蔵の秘に近い。どんな病もたちどころに完治してしまうからだ。
だからこそ、秘さなければならない。この世界に生きる、全ての民を賄えるほど数がないからだ。
「どうしますか?危険を承知で試してみますか?」
「それは、死に至ることもありますの?」
震える声でテトラが問う。
「…ないとは言いきれません」
「せっかく助かった命を、また危険に晒すなんて!」
私の答えを聞いたテトラさんが、目に見えて狼狽する。
そんな義姉とは反対に、エインさんは目を閉じて、黙考していた。
ただでさえ、怪我で弱った体で毒にもなる薬を試すのは勇気がいることだろう。
「お願いします。私にその薬をいただけませんか?」
「エイン、あなた!自分が何を言っているのか、分かっているの?」
「もちろんです。私はナツキ様の願いに答えたい。それにはろくに動けない、この体ではどうしようもない。だからこそ、危険を伴うとしても、それに賭けたいのです」
彼の決意を聞いた私は、
「私は、エインさんの決断を支持します」
と、彼の覚悟の程を後押しした。
「そんな…!」
テトラさんの視線は、はっきりと私を責めていた。彼女の気持ちは痛いほど理解出来る。
「支持するなんて軽々しく口で言うと思われるでしょうが、もしも、私がエインさんと同じ立場であったら、私も同じ決断をしたでしょう」
聖領の巫女である私が、この地を訪れたことに、なにがしかの意味があるとしたら、それは長い年月、呪縛の渦中にあった旧・領都の解放以外にない。
そして、その解放への道標を私達は既に手にしていた。
「もちろん、今日、この場で薬を飲むよう勧める気はさらさらありません。エインさんの体力が回復してから、試してもらうつもりです。それでも危険はあるでしょう」
「承知の上です。北領家を出された時、私の役割は終わったものと思って生きてきました。それがこんな形で再び、貢献出来るだなんて、それこそ夢のようです。
私にも出来ることがあるのだと、むしろ喜んでいるのですよ?」
最後の言葉は、テトラに向けられていた。
「…あなたはいつだって、私に…、北領家に貢献してくれました。そのことに、どれだけ感謝してきたことか、あなただけが知らなかったのですね?」
泣き笑いの表情で、テトラがそう語る。
「ありが…、ありがとうございます。姉上」
暗く、重い柵にがんじがらめにされた北領家の中で、二人は、長い間、お互いに信頼しあってきた。そして、今日、初めて、秘めた胸の内を口に出すことが出来たのだろう。
私は二人の、そんな姿に、これからの北領の明るい未来を信じずにはいられなかった。
滑り込みで今月中の更新です。内容が暗いので、なかなか物語が進まないのです。自分で書いてるのにすいません。