北領家の闇
北領をおしまいにするだなんて、この人は自分が何を言っているのか、理解しているのだろうか。
私のそんな思いを感じとったのか、
「心配なさらなくても、わたくしは正気ですわ。それよりも、わたくしがこちらへと嫁がされた理由をあなたは御存知かしら?」
と、逆に問いかけてきた。
「ええ。エインさんから聞きました」
「ふふ。彼は何と仰って?あの方は、側室腹とは言え、領主家に生まれたとは思えない、とても良い方ですから、決して、わたくしのことを悪くは仰らなかったでしょうね?」
「は…、まあ。あなたが年下の夫をあてがわれたことを喜ばなかった様子だったと」
「やはりね。でもね、誤解なさらないで。わたくしは、夫が随分と年下であったことに対して、それほど意に介してはおりませんのよ。
そもそもが政略結婚ですもの。妻が夫より、随分と年上だなんて少なくありませんわ。
そうした場合、跡継ぎを産むことを求められているのではなく、家同士の契約の証として嫁がされるだけで、女にしてみれば、惨めなものですけれど。
わたくしの場合、跡継ぎにも恵まれましたけれど、契約の証として求められた点では同じしょう。
気の毒なのは、わたくしの夫とされたアランの方ですわ。次代の神殿長争いに破れ、妹を逆恨みしかねない厄介者を多額の結納金と一緒に押し付けられたようなものでしたから」
彼女を危険視したのは、実の父親だったらしい。聖領の神殿長は特定の夫を持たず、生まれた子供のうち、女の子は神殿で養育され、男の子だったなら、父親の元で育てられる。
実の父親と言っても、あまり情は持ちにくかったと思う。
「わたくしとヒルダは父親が同じでした。母親とは従兄弟の間柄で気安かったせいもあるのでしょう。弟もいれると三人もの子供をあげましたから」
そうなんだ。ヒルダさん以外にも兄弟がいたのか。
「神殿から西領へと戻された、わたくしに居場所はありませんでした。
唯一の、心の拠り所は婚約者の存在でしたけれど、その方も妹に奪われてしまいましたから」
そう言って、口の端を皮肉げに持ち上げた。
「あの方は、わたくしが次代の神殿長と目されていたから婚約者となったのですから、その資格を失えば、関係も解消されるのは当然でした。
けれど、理解はしていても感情はまた別でしょう?わたくしの心のうちを察した父親によって、この地へと追い払われてしまいました」
「追い払うだなんて、そんな…」
テトラが悲しそうに眉尻を下げた。
「お義母様だって、御存知のはずですわ。わたくしは北領の栄華を取り戻す箔付けのために望まれたと」
「それは…」
テトラには、それは違うとは言えなかった。
亡くなった夫は優れた領主で、よき夫であったが、衰退した北領を憂える様は、常軌を逸っした面が確かにあった。
息子よりも随分と年上の、神殿長の娘を迎えたのもさうした思惑があったからだ。
この婚姻により、西領からも聖領からも物質や援助が届けられるようになり、随分と助かった。
西領は代替わりした関係で、援助は途切れてしまったけれど、聖領からの支援は続いている。
「ねえ、お義母様。お互いに腹を割って話しませんこと?ここには気位ばかり高くて口煩かったおばあ様も、北領の栄華回復にとりつかれたお義父様も、おられません。
おばあ様はご高齢でしたけれど、それまで健康だったお義父様があっけなく亡くなられたことを、お義母様は、一度も不思議に思いませんでしたの?」
「え?」
「お義母様は平民出身でいらっしゃるから、領主家のどす黒さをご存知ありませんのね?
お義父様は表向き、病死と判断されましたけれど、実際は毒をもられたのですよ?」
「なっ!何をおっしゃるの?そんな馬鹿なことを!」
テトラが思わずと言う風に、ソファから立ち上がる。
そんな彼女をオーレリアは下から眺めた。その目は可哀想な人を見る人の、それだった。
「他でもない、実の母親によってね」
「そ、そんな馬鹿なこと…!そんな、お義母様が」
「おばあ様は自分の思い通りにならない息子より、幼い故に意のままになる孫を選んだだけ。
あの方は北領家の傍系出身で、お身内も気位の高い、鼻持ちならない方ばかりでしたわ。
ご存知ないのは、お義母様お一人だけ。わたくしは存じておりました」
「まさか、そんな恐ろしいことを…」
テトラさんが崩れ落ちる。そんな彼女の肩を、私は抱き抱えた。
「あなたは、ひどい人ですね。そんな秘密を知っていたのに、今まで黙っていたの?」
「お義母様のために、ですわ。わたくしは、おばあ様本人から真相を伺ったのです。わたくしを仲間にするためにね」
ひどい!実の息子を殺すだなんて!私の憤りをオーレリアは鼻で笑った。
「あなたといい、お義母様といい、根が善良でいらっしゃる方々には理解しにくいでしょうね?そんなことはままあることなのですよ?」
私は、震えるテトラさんを抱き締め、オーレリアを睨み付けた。
しかし、彼女は私の視線など、まるで意に介した風もなかった。
「レーヴェンハルトは、人神たる神殿長をいただく聖なる大地―」
オーレリアは語る。まるで歌うように。
「そんなものは、ただの幻ですわ。四つに分けられた領地を統べる領主家は、それぞれが牽制しあい、次の神殿長を己の血族から輩出することに血眼になって、争っています。
そして、領主家でもそれは同じ。誰もが次期領主たらんと権力争いに明け暮れ、己の陣営に領地の有力者を引き込み、地位を確かなものとしていく。
お義父様は有能な領主でしたけれど、有能な政治家ではありませんでした。権力闘争といった、その辺りのことに無頓着でした。
側室腹のエイン様を可愛がっていたように、自身の血縁を疑うようなことはなさらなかった。
誠実に、ここで暮らす民のために領地のことだけを考えておられた。
…だからこそ、毒をもられたのです」
「それを聞いて、あなたは何とも思わなかったの?領地をよくするために懸命でいらした義父を殺されて」
「思いましたわ」
「それじゃ、何故…!」
真相を暴露しなかったのか?
「やはり、わたくしがこの地を滅ぼして差し上げないと、と思いましたわ。
そのために、わたくしがこの地へと遣わされたのだと」
うっすらと微笑むオーレリアは怖いくらい美しかった。私はそんな彼女を見て、背が震えた。
「手始めにおばあ様の実家であった傍系親族を処分いたしました。
元々、権力欲の強い家で、数々の生臭い真似をしてきた家でしたから、とり潰しにさして手間はかかりませんでした。
味方だと信じていた、わたくしの手酷い裏切りに、おばあ様は憤死してしまいましたけれどね?」
そう言って、クスリと笑う。
「息子殺しなどと言う大罪に手を染めておきながら、ご自分は裏切られないと思うなんて、随分と勝手だと思いませんこと?」
オーレリアの問いかけに私は何も言い返せなかった。あまりにも衝撃的過ぎて。
人が人を恨んだり、憎んだりする気持ちは理解出来る。けれど、権力欲のために血縁すら手にかけることを厭わないなんて、理解出来ない。
「わたくしは、この腐りきった北領を、初代北領領主が来る前の、原初の状態に戻すことが、レーヴェナータの血を引く、わたくしに課せられた使命だと思っております。
皆から賛同を得たいとも褒められたいとも思っておりませんけれど、責められる謂われもございません」
と、ピシャリと言ってのけた。
コトバノ端々に彼女の確固たる意志が伝わってくる。
私は何も言えなくなった。ただ、自分のエゴで北領を潰そうと言う訳ではないのだ。
彼女は何度ととなく、絶望し、裏切られ、そして、自身も裏切ったりを繰り返し、その末にたどり着いた答えなのだ。
「他に聞きたいことはございますか?」
「…」
誰も何も言えなかった。
「それでは、わたくしはこれで失礼させていただきますわ」
義母とは言え、母と呼んだ女性を絶望の淵へと追いやっておきながら、それに対する謝罪一つなかった。
席を立ち、扉へと向かう途中、オーレリアはさも今思い付いたとばかりにこちらをチラリと見て言った。
「ああ、そうそう。エインですけど、あの方なら館の客室にて治療を終えて、養生させておりますわ。
曲がりなりにも領主一族ですもの、無下には出来ませんものね。
ただ、負った傷が深すぎて、二度と自分の足で歩くことが出来なくなりましたけれど。
それでも命があるだけ、ましかしら?」
「っひ!」
テトラさんの口から悲鳴のようなものが漏れ、そのまま、意識を失った。
「テトラさん!しっかり!」
私の腕の中に倒れ込んだ、小柄な体をゆさゆさと揺する。
「あらまあ。命が助かっただけ、不幸中の幸いでしょうに」
私はオーレリアをなじる。
「真実を言うにしても、もっと言い方と言うものがあるでしょう!
ご主人が実の母親によって殺されたと知ったばかりなのよ!
テトラさんにとって、エインさんは義理の弟だけど、頼りにしてきたことを、あなたも知っていたはずよ。
それなのに、あんな酷い伝え方をするなんて」
「まるで、わたくしがエインを害したような、ものいいですこと。
誤解しないでくださる?火を放ったのは、わたくしが命じたからでも、わたくしの派遣した騎士が勝手にしたことでもありません。
己が助かりたい一心で、幼い子供達がいると知っていて、火をつけた神父ですのよ?
騎士達は、町への延焼を防ぐために尽力しました。いつだって、理不尽を強いられるのは弱い者達ですわ。そうは思いませんこと?」
どの口がそれを言うの!と、私は声を大にして言ってやりたかった。
それをあえて呑み込んだ。きっと、この人には伝わらない。
ただ、これだけははっきりと言っておきたかった。
「…エインさんを救ってくれたことは感謝します。
けど、やっぱりあなたの考えには賛同出来ない。
間違っているなら、何度だってやり直せばいい。どうして、そうしないの?」
「…何度だって、やり直せる?そんな時期はとうに過ぎてしまったわ。
あなたはそれが信じられるの?だとしたら、どうしようもなく甘いか、幸せな人ね」
そう言い残して、その場から去っていった。
後に宰相とおぼしき男性一人を残して。
「テトラ様はこちらでお預りいたします。あなた様はどうなさいますか?一緒に行きますか?
それともエイン殿にお会いになられますか?」
オーレリアが出ていくとほぼ同時に、数名の使用人が部屋の中へと入って来た。
彼らは一言も発せず、テトラさんを運んで行く。彼らの顔は暗いけれど、テトラさんへの思慕のようなものが垣間見られた。
おそらく、館に残ったテトラさんに協力する者達なのだろう。
「エインさんの所まで案内してくれる?」
「かしこまりました」
宰相の名前は何だったろうか。聞いたような気もするが、思い出せない。
「ねえ。あなたはそれでいいの?」
前を行く背中へと問い掛ける。
「私は、オーレリア様に命を救っていただきました。あの方が望まれるなら、何だっていたします。
たとえ死ねと言われようと、私は実行するでしょう」
ここにも一人、話の通じない相手がいた。私は、またしてもゲンナリしてしまう。
「大切に思っていればいるほど、間違った方向へ進む主を引き留めようとすると思うのだけど。
少なくとも、私の仲間達はそうよ」
隣を歩くヴァンを仰ぎ見る。すると、彼は苦笑しつつも、しっかりと頷いてくれた。
嬉しくなって、私は笑顔で答える。
そうだ。私には頼もしい仲間達がいる。きっと、今回も乗り越えられるはずだ。
だが、そんな感情も即座に冷やされた。前を歩いていたオーレリアの腹心らしい宰相の表情を見たせいだ。彼は、そんな私達を立ち止まって眺めていた。その瞳は底無しの暗さをたたえていた。
「…あなた方にはきっと想像もつかないでしょう。私と、オーレリア様が味わされた絶望の深さが」