守りたいもの
静かに時が流れる。誰しもが口を開こうとしなかったからだ。
ナタクから聞いた、父親の言葉はセアラは深い感動を与えた。
彼女の話から、母親はもちろんのこと、父親ともあまり交流らしい交流をしてこなかったことが窺えた。
そんな風にあまり交流のなかった、亡くなった父親が自分を深く愛してくれていたと知って、セアラは涙を流し続ける。
そんな静粛な空気は、激しく扉を叩く音でぶち壊された。
「誰だ、一体!ここには話が終わるまで、近寄るなと言っておいただろう!」
扉のすぐ前に立っていたアニキが苛立たしげに扉を開く。
そこには焦った様子の一人の青年がいた。
「す、すいません!けど、星熊のヤツが畑に向かって来ていて」
「何だって!星熊が!」
アニキがナタクの方を振り返る。ナタクが小さく頷いた。
「星熊の動向は大事だが、こっちに向かっている訳でないんだろう?親父には後で報告すればいいことだ」
「それが…、バレンの兄貴が畑に残ると言って聞かなくて…」
「バレンが?何だってそんな無茶を、星熊相手に逃げるしか方法がねえだろうが!」
表情のない兄貴が激昂する。
「あ、兄貴は、星熊に二度と畑は奪わせないと言っていて」
「ちっ、あの馬鹿…」
「シュウ、お前が行って連れ戻してこい」
ナタクがそう言うと、すいやせんと言って、兄貴ことシュウが部屋から出て行った。
「あの、畑とおっしゃいましたが、ここに畑があるのですか?」
驚きのあまり、涙が引っ込んだセアラが問いかける。
「ああ、バレンの奴が長い間かかって、この地でも根付く作物を作り出し、ようやく今年の秋に実りを迎えたのだ」
「まあ…。私は、ここでは作物は育たないと聞いていました」
ハンカチで頬を拭いつつ、セアラが感嘆の声を上げる。
「その通りだ。ここじゃ、麦どころか、芋さえ育たない。そんな呪われた土地でバレンの奴は、どんなに周りから馬鹿な真似は止めろと言われようが、無駄なことだと嘲られようが、決して諦めなかった。
三十年…、そう、三十年かけてやっと迎えた実りなんだ」
「そんなに長い間、頑張ってこられたのですね」
セアラが感極まったように言う。
ここで私が、孫と祖父のような二人の間に割って入った。
「あの!質問です!わざわざ、シュウさんが呼ばれたってことは畑に残っているっていう人と関わりがあるからなんですか?」
「ん?ああ、そうだ。シュウとバレンは、かつて星熊によって滅んだ村の生き残りだ」
ナタクさんによると、二人は兄弟で、小さな貧困に喘ぐ村で生まれ、流行り病で両親を亡くしたあとは残された兄弟で畑を耕して暮らしていたそうだ。
そんなささやかで平凡な暮らしが突然、壊された。
かつて聖獣であった、今は魔獣と成り果てた、星熊によって畑も家も全てが凍らされ、破壊されてしまったのだ。
何もかも、命以外の全てを失った村人は散り散りとなって、いずれかへと去って行った。
残ったのは、行く宛も頼るべき人もいない兄弟二人きりだった。
そんな二人の前にナタクが現れ、この場所へと連れ帰った。
「シュウの奴は戦う力が欲しいと言った。だから、俺が鍛えた。バレンの奴は自分は農民だから、畑を耕すと言った。
俺は好きにさせた。食い物が手に入るなら、それに越したことはないからな」
それから三十年か。
私は、バレンの執念にも似た行動力に感じ入った。そんな大切な畑を残して、彼は決して逃げないだろう。
「私達もそこに行くわよ!」
「はあ?」
そんな私の決意を、ナタクが呆れ顔で遮る。
「行ってどうするって言うんだ?」
「畑を守るために私も戦うに決まっているじゃない」
「神殿の巫女ってのは、神殿長ほど魔力を持たないと聞いているぞ?」
「そんなこと、行ってから考えるわよ」
何を分かりきったことをと、私はナタクを見返した。
あれ?けど、ナタクさんて本当に聖領の事情に詳しいね。神殿のことはともかく、巫女は表に出ない秘された存在だから、あまり知られていないんだけど。
もしかして、先代の神殿長とはかなり親しかったとか?
そんな風に色々と邪推する私をよそに、ナタクが、
「いや、まあ。何だ。あんたらも、大変だな」
と、何故か私の隣にいるヴァンを見遣る。
「…いつものことだ」
ヴァンが、ふっと諦めに似た表情を浮かべた。
ちょっと、その言い草はないでしょう!
ナタクが私達に道案内をつけてくれた。先ほど、シュウを呼びに来た青年だ。年の頃、二十歳くらい。
「ねえ。ヨウタって名前は誰がつけたの?」
私が問いかけるとヨウタは何故か、びくりと背を震わせた。
なに、その反応。私は怖くないわよー。まあ、ヴァンやミグ姉さんは強面だけど。
私が同じ日本名前のヨウタに親近感を覚えて、色々と話しかけると、何故か、隣を歩くヴァンの鼻の頭にシワが寄っていた。
何なのかな?
ヨウタがヴァンの顔色を伺いつつ、答えてくれた。
「じいちゃ、いや、お頭です」
「んん?もしかして、ヨウタはナタクさんのお孫さんなの?」
「ええと。そうです。けど、じいちゃんって呼ぶなって言われてます。ここは親兄弟と縁を切った、または切られた人間が集まって出来た場所だから、平等でなくちゃならないからって」
立派な考えだね。吹き溜まりにだって、シュウやバレンのような兄弟だっているだろう。
けれど、上に立つ者が情に流されてはいけない。そんなケジメをつけているんだね。
そんな吹き溜まりの頭の孫であるヨウタは、普段から、一日の大半を畑で過ごしているそうだ。
変わり者、酔狂なと貶められてきたバレンであったが、近年、若者を中心に彼の行動に共感する者達が現れた。
ヨウタもそのうちの一人。彼は彼で偉大なお頭の孫というレッテルに悩んだ時もあったそうだ。
そんなヨウタがバレンとともに畑で作業を始めるようになった。最初は、命じられた手伝いからだ。若者達の大半がそうだ。
けれど、次第に畑作りの魅力にとりつかれた。
「俺達は、バレンの兄貴の考え方に賛同したんです」
畑を耕して、作物を作り、それで暮らしを支える。それは人間の生きる基本だ。
誰しもが食べなければ、生きていけない。北領で生きることは、それをより強く実感するのだそうだ。
「俺は生まれた時から、じいちゃ、お頭の孫だったから飢えたことはないです。けど、大勢見てきたから…」
それは昔から、ある程度、あることらしかった。弱いものから、死んでいく。
そんな風に北領の厳しい冬を越せない者は、昔から大勢いた。そして近年、先代を含めた、代々の領主からの吹き溜まりへの援助が途絶えたことで、さらに多くの犠牲者を出すようになった。
「もっと食べ物があればって何度も思ったんです」
それは仲間達も同じだと、ヨウタはおじいさんによく似た、強い意思を秘めた視線で語った。
件の畑は、吹き溜まりと呼ばれる洞窟からさほど離れてはいない場所にあるらしい。
貧相な枝葉しかつけない森と言うには貧弱な木々を通り抜けると、シュウとバレンの二人が兄弟喧嘩の真っ最中であった。
「畑を守るって、お前一人で何が出来るって言うんだ!」
バキッ!
「うるさい!俺は二度も星熊に畑を奪われたくないだけだ!」
ドカッ!
「さっさと逃げろって言ってるんだ!周りに、親父に迷惑がかかるだろうが!」
ドコウッ!
「絶対に嫌だ!俺はここを守るって決めてるんだ!」
会話の合間に聞こえてくる殴り合いの効果音が生々しい。
一向に埒があかないようなので、私は二人の間に仁王立ちとなった。
「いい加減にしなさい!兄弟喧嘩なんて、している場合?星熊がこちらにやって来ているんでしょう!」
「「邪魔するな!!」
見事にハモった。
「あら。息がピッタリ。さすが、兄弟ね。仲がいいこと」
「「違う!!誰がこんな奴と!!」」
「ほらほら!睨み合ってないで、星熊の対策を…」
最後まで言えなかった。
すぐ先でバキバキバキと、木々が倒れる音が聞こえてきたからだ。それに合わせて、大きな何者かが地を歩む足音が―。
ドン、パキパキパキ。ドン、パキパキパキ。
星熊の歩みは氷の歩み。
一歩一歩、確実にこちらへと近づいてくる。
私は息を呑んで、音のする方角を見据えた。
やがて、黒い邪気を纏わせた、大きな熊が現れた。その体は金剛石、硬いダイヤモンドで覆われ、額には星型の印がくっきりと浮かび上がっていた。
大きい。さっき、遠目に見たよりも圧倒的な存在感を感じる。
星熊は歩みを止めていた。
彼の行く手を遮るものなど、なかっただろうから。常にない展開に警戒しているのかも知れない。
私は星熊に圧倒されながらも、隣に寄り添うアウルムを見下ろした。成獣に成り立ての彼は今回が初めての旅で、荒れ野で魔獣との戦いは経験(見学)したが、聖獣は初めてだ。
いや、墜ちた聖獣か?
「どうする?遠くから見学しててもいいのよ?」
私はアウルムに問いかける。
それに対して、アウルムは
「ギニャ!」
と、答えた。それから、ふすふすと鼻を鳴らす。
やってやるぜ!かな?頼もしい。でも、無理は禁物だよ。
「ヴァン、ミグ姉さん?」
私が二人の方を見る。
「ああ」
ヴァンが力強く頷き、腰から提げた剣を引き抜く。刀身がほのかに光っている。魔力を流しているのかな?
「任せな」
両の拳を重ねて、ガキボキグキと音を鳴らす。
ちょっと、人の間接から鳴る音とは思えないんですけど?
最後にシュウを見た。
「…人が星熊に立ち向かって、何が出来るって言うんだ」
そう言いながらも、自身の獲物を引き抜いた。刀身が曲がった長剣だ。まんま、盗賊団が持っていそうな剣だな。
「ここの畑を死守するわよ」
私は、再び、前方を見据えた。
星熊―。かつて聖獣として崇められていた存在。
金剛石、ダイヤモンドで覆われた星熊は美しかった。同時に禍々しい気配を纏わりつかせていた。
黒い、邪気のようなもの。大きな星熊の体全体を、まるで生きているかのように蠢いていた。
それがはっきりと見える。私は、それが何なのか理解していた。かつて東領でも同じものに出会ったからだ。
もちろん、違う種類のものだろう。けれど、根っこは同じ。闇に蠢くものだ。
「ねえ。あなた達にも黒い煙のようなものが見えているの?」
「いや、そんなものは見えないが…」
ヴァンが首を振る。ミグ達も見えていないようだ。
やっぱり、これは私以外に見えないものらしい。正確には私と、もう一匹だけど。
『こんなに穢れちまって…』
アルバが声に怒りと悲しみを滲ませる。
「ねえ。私の光魔法で何とかならないかな?」
『お前は光魔法の使い手か!それじゃ、あいつを助けられるかも知れない。いや、まて…』
アルバが考え込んでしまった。
目の前に対峙する星熊はいつもと勝手が違うのか、立ち止まったままだ。
そうだろうな。デストロイヤー?となった星熊の前に立ち塞がろうって馬鹿はそうはいないだろう。そんな人間、自分の力を過信した大馬鹿者か、あるいは誰かを、何かを守りたいと、あえて立ち向かおうとする者だけだ。
かくゆう、私もそのうちの一人だ。
『完全に穢れを落とすことは出来ないだろう。あいつが纏っているのは、この地を覆う呪いのようなもんだ』
「北領の都の呪い?」
『ああ。あいつは呪いを止めたくて、自身で引き受けたんだ。それが元で狂っちまった。昔は、善良で子供が大好きな聖獣であったのが』
子供好き…、アルバと一緒だね。
『うるせえ』
小さく悪態をついた羊の聖獣を私はかわいいなって思う。
聖獣って色々だね。でも、皆が皆、人が大好きで寂しがりやだ。
『あんたの光魔法がどれほどのものか知らねえが、あいつを止めてやってくれ』
…苦しんでるんだ。声にならない声が聞こえてきた。
「任せてよ!私だって、やるときはやるんだからね!」
あれ?周囲の視線が痛い。
もう、ヴァンってば、少しは自分の選んだ主を信用したらどうなの!
午前中、完成させて誤字脱字のチェック中、まさかの操作ミス。5000字あったものが1000字に。泣きながら?再度の執筆を終えての投稿です。