星熊様とアルバ
かつての北領の領都、その都はシェールと呼ばれていた。高くそびえ立つ山脈が北風から都を守り、地下から沸き上がる温水が地表を温め、肥沃な大地をもたらす。北領の人々は、この領都を中心に長く栄えてきた。
しかし、私が見た光景はそんな繁栄の跡の断片すら見えない不毛で禍々しい廃墟であった。
「ここが…。この場所が私達のご先祖様が治めてきた、かつての領都なの?」
セアラがポツリと呟いた。その声は強い寒風によってかき消され、周囲には聞こえなかった。
私は、彼女と一緒にアウルムの背中に乗っていたので辛うじて聞くことが出来た。
旧領都への同行者は私とセアラ。そして、ヴァンとミグの四人だ。ラベルとセーランにはテトラさんを守ってもらうよう、領都に残ってもらった。
オーレリアの動向が不透明なので、屋敷にテトラさん一人を残すのは不安だったので養護院に移ってもらった。
何か事が起こったとしても二人なら対処出来るだろう。それに養護院の院長はテトラさんの義理の弟さんだから、彼女も心強いだろう。それに子供達も大勢いて賑やかだ。
けれど、たった一つ誤算があった。
《おうおう。相変わらず、気っ色の悪い所だぜ》
「…」
アウルムの横でふんぞり返っているのは、黄金色の角を持った羊の聖獣アルバである。
何故、ここにいる?と思うのだが、答えは分からず仕舞いである。メーテル達にしばし都を離れることを告げに行った際、どこに行くのかと問われたので旧領都を見に行くと答えたら、羊が《俺も行く》と勝手に付いて来たのだ。
「文句を言うくらいなら、来なければよかったのに」
それでなくとも、黄金の角を持った羊の聖獣は目立つのに。私達は隠密行動中なのだ。
《お?てめえ、聖獣様に何て口の聞き方だ。付いて来てくれて、ありがとうございます〜だろうが》
えー。どこに有り難がる要素が?確かにモコモコと暖かそうな羊毛に心惹かれるが、モフモフ具合ならうちのアウルムだって負けてないもんね!
もふ〜もふ〜。あー、癒されるわぁ。
「ギニャ!」
アウルムが私達を乗せたまま、ブルルと嫌そうに背中を揺すった。撫で具合がお気に召さなかったようだ。
《まったくよー。巫女ってのはツンケンしていけねえや。それに比べて、聖領の神殿長の神々しさと言ったらねえよ》
うるさい。ヒルダさんと比べるな。
「んん?あんたって、ヒルダさんと面識があるの?ヒルダさんは何も言ってなかったけど」
《…ちげえよ。当代のは俺は知らねえ。俺が知っているのは、先代だ》
それってヒルダさんとオーレリアのお母さん?
「ねえ、それって…」
私は詳しく話を聞こうと口を開いたが、カナンに乗って空から警戒していたヴァンの声に遮られた。
「ナツキっ!前を見ろ!」
はっと前方を見ると、遠くに一頭の熊がいた。
私達がいるのは旧領都が見渡せる小高い丘の上だ。そこから遥かに遠い場所に、それはいた。
ずっと遠くにいるはずなのに、その熊は大きく見えた。おそらく立ち上がれば、五メートル近くにはなるだろう。そして、印象的だったのは額の星形の模様だ。
他にも、大きな熊の足元を見れば、地面の上なのにキラキラと光っていた。
氷のように見える。熊が通ってきたと思われる足跡上に氷の道が出来ていた。
「星熊様…?」
北領にいると聞いた熊の聖獣だ。本当にいたんだ。
星熊様はしばしの間、こちらをじっと眺めて、それからくるっと体の向きを変えた。
禍々しい気配が立ち込める、かつての領主館があったと思われる場所へと去っていく。
一体、何がしたかったのだろうか?私が考え込んでいると横から、
《ち…。アイツめ、やっぱりここにいやがったか》
と、アルバが忌々しげに吐き出した。
「アルバ?」
羊の聖獣は、去っていく星熊様を睨み付けるようにして見送っていた。
「ねえ、あんた。星熊様を知っているの?」
同じ聖獣同士、交流があるのだろうか。
《当たり前だ。あいつは俺と同じ聖獣、いや、かつて聖獣だったものだ》
「聖獣だった?それってどういう意味?聖獣が聖獣でなくなるなんてことあるの?」
《…ある。禁を犯したからだ》
「禁?」
人でいうところの犯罪を犯すようなものだろうか?
「ナツキ様!ご無事で?」
カナンに乗って急降下し、地表に降り立ったヴァンがこちらへと駆け寄って来て、徐に私の無事を確かめる。
「ええ。何事もなかったわよ。あんなに遠くにいたのだし」
「それはそうですが、禍々しい気配を感じましたので」
見れば、ヴァンの狼の毛が逆立っている。
「え?何も感じなかったけど?」
「あんたって呑気ねえ。あたしだって鳥肌が立ったわよ」
ミグ姉さんがしきりと腕をさすっている。
私も無意識に震えていたようだ。いや、違う。跨がっているアウルムの背中が小刻みに震えていたのだ。
「ギ。ギニャー…」
怯えている様子だ。気付かなかった。
ん?セアラちゃんは大丈夫だったのかな?すると、セアラの体がぐらりとよろけた。
私は慌てて、セアラの小さな体を腕へと抱きとめる。見れば、気絶していたようだ。
「あんたって鈍いのねえ」
ミグ姉さんが呆れたように言う。
ち、違うもん!私だってか弱い女の子なんだからね!
「あんまり説得力ないわね」
ひどい!ヴァンも何か言ってよ!
「ナツキ様は豪胆なお方なのだ」
豪胆って何それ!絶対に褒め言葉じゃないよね?私は、納得出来ないモヤモヤを一人胸に抱えるのだった。
旧領都に人は住んでいない。そう聞いていた。しかし、それは皆無と言い訳ではなかった。
人は暮らせない地ではあるが、全く住めない訳ではなかった。
「ここだよ」
ミグ姉さんに案内されたのは禍々しい気配の漂う旧領都から、ほんの少しばかり離れた洞窟だった。
「邪魔するわよ?」
洞窟内を歩くことしばし、そこには堅牢な扉があった。
突如として現れたそれは、煌々と松明に照らされ、二人の門番が守っていた。
冒険者の身なりから、冒険者ギルドの関係者だろうか?
「ああん?って、お前!ミグ?ミグじゃねえか!生きていたのか!」
「トロルかい?あんたこそ、よく生き残っていたもんだ。とっくの昔にくたばっていたと思っていたよ」
筋骨隆々のミグ姉さんの背丈の半分ほどしかない、ずんぐりとした小柄な男性だ。
「久しぶりだなあ!お前達全員、戻って来れなかったんだって俺達は話していたんだぞ」
「ああ。そうだね。あの時の仲間達のうち、生き残ったのはあたしだけだったのさ」
「そうか…。けど、お前一人だけでも助かってよかったな」
そう言って、ずびっと鼻を鳴らした。
「お頭は?」
「あ、ああ!いるぞ!お前を見たら、きっと驚くぞ!」
「ちょっと待っておくれ。あたしには連れがいるんだ」
すると、初めて気が付いたように後方で見守っていた私達に目を向けた。
「おん?奴隷か?あんまり、器量はよくねえな」
ピキと、私の額に怒りマークが浮かぶ。
「貴様、口のきき方には気を付けろ」
グルルルと唸り声をあげそうな勢いでヴァンが凄んだ。
「おう!おっかねえ、兄ちゃんだな。狼の獣人かよ」
ヴァンが身につけているのは騎士服ではない。どちらかと言うと冒険者に似せた格好だ。騎獣は洞窟の外に待機させている。頭が良い子達なので各自で判断して、行動出来るだろう。
「お!こりゃ、綺麗な娘っ子だな!」
ヴァンがお姫様抱っこしているセアラの顔を見て、喜色を浮かべる。
「勘違いするんじゃないよ。商品なんかじゃない」
「ふーん。そうかあ。もったいねえな」
「いいから、お頭に取り次いできな」
「へいへい」
そうしてもう一人の門番へと目配せする。こちらはトロルと呼ばれた男よりも年が若い。すぐに、少しだけ開いた扉の中へと消えた。
待たされることもなく、扉が再び開く。今度は全開に近い。
「お頭が会うそうです」
扉の内には、若い門番と大勢の男達がいた。皆、冒険者と言うより山賊に近い風体をしている。
「付いて来い」
男の一人がそう告げる。片目に斜めキズを持った強面だ。チンピラと言うより、モロ、その筋な人に見える。黒いスーツにサングラスをかけさせたら、完璧だ。もし、日本の通りで会えば、まず道を避けて通るだろう。
アニキと呼びたいような、その人に案内されたのは最奥の部屋だ。ここへ来るまでに沢山の人があった。子供も大人も、誰も彼もが貧しげな身なりをしていた。
「連れて来ました」
アニキが扉を開けて言う。
「おう」
と、野太い声が答えた。
私は、ミグ姉さんの体の影から恐々と扉の奥を覗きこんだ。
広い部屋だ。ただし、洞窟内だと一目で分かる。ゴツゴツとした岩肌が部屋の天井と壁に広がっていた。
ただし、地面には沢山の絨毯や毛織物が広げられ、暖かみを感じる。何だか、南領で会った鳥型獣人の住まいを彷彿とさせる。あちらは岩をくり貫いて出来た住まいだったけれど。
そんな洞窟内の部屋の奥に男が立て膝を立てて、クッションを背にして座っていた。左右に露出過多なグラマラスな美女を二人侍らせている。とんだスケベオヤジだよ。
肩まで垂らしたウェーブの髪と同じ茶色の目をした中年、いや、もう少し年のいった男性が杯を手にし、面白そうにこちらを眺めていた。よく見れば、茶色の髪に白髪が見える。年の頃、六十手前くらいか。
「よお。死に損ない。オメエはもう、この地にゃ帰らねえんじゃなかったのか?」
「あたしも、そう思っていたよ。けどね、やり残したことにきっちりとケリをつけたくなったのさ」
「ほう?」
お頭と呼ばれた男が杯の中身をぐいと飲み干し、
「聖領の巫女様に禁忌を犯した地を浄化してもらおうって言うのかい?」
男の瞳が私を真っ直ぐに捉える。酒に濁っていたが、眼光は鋭く強い光を放っていた。
え?浄化って、私が?いや、どうだろう?光魔法は使えるけど、土地の浄化なんてやったことないんだけど?
ていうか、ここって何なの?冒険者ギルドかと思ったけど、違うみたいだし。
まさか、盗賊の棲み家とか?