北領に降る雨
もしかすると、オーレリアは騙されて嫁がされたのかも知れない。
私には分からないけれど、神殿長になりたいと希望した女の子達は立場は違えど、この世界を統べる身となる覚悟を決めて神殿に入ったはずだ。それなのに選ばれなかったら、それなりに傷となって残っただろう。
エインさんのお姉さんと言う人は、さっさと見切りをつけて神殿から出て嫁いでいったそうだが、手っ取り早く受けた傷を忘れるためだったのかも知れない。
オーレリアはヒルダさんのお姉さんだし、胸中はもっと複雑だったろう。そんな人が騙されて、レーヴェンハルトでも最も厳しい北の領地に嫁がされたのだとしたら?
「オーレリアは絶望したのかも知れないね…」
私がそう呟くと、
「絶望…、そうですね。彼女は自分よりもずっと年下の夫をあてがわれたことを屈辱だと思ったのは確かでしょう。
あの頃の兄上は、なりふりかまわぬやり方でオーレリア様の獲得に躍起になっていましたから。
おそらく、西領の領主との間でなんらかの密約めいたものを交わしていたのかも知れません。
実際に数年後に西領の地で起こった『次元の大波』では、北領から大勢、派兵されていきましたから」
そう言って、エインが悲しそうに目を伏せた。
エインさんは母親の違う、お兄さんが大好きだった。彼を必要としてくれたのが、お兄さんだけだったからだ。
だからこそ、言えなかった。この結婚が、誰もが不幸になるかも知れないと、そんな予感めいたことを。
けれど、そんな予感は的中した。北領は過去の栄光を取り戻すどころか、滅びへと向かっているのだから。
重苦しい沈黙がおりる。誰しもが口を開こうとはしなかった。
北領の悲願、オーレリアの悲しみと絶望。結果はどうあれ、最初から悪意などなかったはずだ。
エインさんのお兄さんは北領の地を少しでも良くしたくて、神殿長の血筋と婚姻を結ぶことを望んだだけだ。
そのやり方は間違っていたかも知れないが、根底にあるのは北領で暮らす民達を思ってのことだと思いたい。
オーレリアは、それにただ巻き込まれただけだ。
しかし、だからと言って、北領を滅ぼして言いはすがない。
「アランさんとオーレリアの結婚生活はどうだったのかな?二人は仲はよくなかったの?」
私が唐突にそう尋ねると、
「は?結婚、生活ですか?」
エインが思ってもみないことを聞かれたと言う風に目をパチパチとさせた。
だって、大切なことだよ。年の離れた夫に嫁がされて、その人が亡くなるまで不仲だったのか、そうではなかったのか。
「私の暮らしていた西棟と本棟は離れていましたし、たまに二人が揃っているところを目にするくらいでしたが…。
仲が良いとか悪いとか、そういう感じではありませんでしたね。アランは年の離れた花嫁を大事にしていましたし、オーレリア様は心のなかはともかく、次期領主の妻として表面上はそつなくこなしておられましたから」
ただ…と、エインが口ごもった。
「義母上から辛くあたられていたようです。元々、アランには自分の実家から花嫁を迎える算段をしていたようで、格上の花嫁を迎えることに反対していましたから…」
あー、嫁姑問題?あ、でも、姑ではないな。義理の祖母にあたるのだから、嫁大姑問題か?
「そう言えば、アランさんのお母さんはどうしているの?
旦那さんに続いて、息子さんまで亡くされた訳でしょう?」
「その…、元気にしていると聞いてはいます。すでに、ご存知と思いますが、幽閉されている孫娘ともども、塔に閉じ込められているので」
あ!そうだった!今回の私の旅は、実の母親によって幽閉された、先の領主の娘の救出が目的だった。
そうか、彼女と一緒にいるのか。
「姉上は北領の大商人の娘で、その財力をあてにして兄上に嫁がれた関係で不義理をする訳にもいかず、オーレリア様も扱いには困ってらっしゃるようです」
おお!こんな所に繋がりが!もしかして、そのお姉さんのツテで塔にいる二人に会うことが出来るのじゃないかしら?
「それはそのう…。不可能とは言えませんが」
聞けば、代替わりをして商会は弟が継いでいるそうだが、いまだに実家から定期的に付け届けが届けられているそうだ。
「よしっ!潜入方法は確保出来たね!」
「え、ええ!?」
エインが目を白黒させる。
せっかくツテがあるのだから、利用しない手はない。
真正面から乗り込んでいって、はい、そうですかってすんなりと応じてくれるとは、私だって思ってはいない。
「ようし!作戦決行は明後日よ!」
これにはエインどころか、仲間達も慌てた。
「急すぎるでしょう!ツテがあっても、それに応じてくれるとは限らんだろう!」
「そうですわ。まずはじっくりと計画を練ってから、行動にうつすべきです」
「…」
ヴァンとアリーサが意義を唱えた。
セーランは無言だ。反対なの?賛成なの?どっち?まあ、喋らないのだから、中立と言うことで。
「明日は先々代の領主夫人の実家にいくわよ!」
「「「えええ!」」」
ふふん。もう、決めたんだから。反対しても無駄なことよ。
翌日はエインさんの紹介状を持って、商会を訪れた。
で、でかい。これが個人商会なの?門構えからして、その規模の大きさが窺える。
知らずに訪れたなら、領主の館と間違えるかもね。
イリューズ商会と門に銘打たれた商会は、北領で一、二を争う、大企業なのだそうだ。
日本で言うと、一昔前にあった財閥みたいなものか。
「よろしいですよ。ちょうど姉上に献上する予定の品が出来た所で、伺う予定でしたから」
商会の代表、今で言うCEOである先々代領主夫人の弟君から、あっさりと許可された。
あ、あら?いいの?本当に?自分で言うのも何だが、あっさりしすぎじゃない?
「迷惑をかけると思いますけど、本当にいいんですか?」
「構いません。先代が、義理の兄が亡くなってからは冷遇されておりましてね。今さら、どのような被害を被ったところでどうなるものでもありませんし」
だ、だって、大勢の従業員を抱える大企業の主が時の権力者に刃向かうことになるんだよ?
もっと考えようよ?
「従業員には暇を出しました。残っているのは身内ばかりで、それも多くはありませんし」
「は?」
聞けば、とうに北領のイリューズ商会は解体し、母体を奥さんの実家のある東領に移したとのこと。
「妻も子供達もあちらに移住して、数名が残っているのみでしてね。それも、今回の献上を終えたら、私もあちらに移る予定なのですよ。ですから、何の問題もありません。
東領の領主様に迷惑をかけることになるので姉上とセアラ様をお連れすることは叶いませんが、あなた様が後ろ楯になったなって下さるのなら安心です」
私は聖領の巫女だと正体を明かしてあった。巻き込むからには真実を告げる必要があると思ったからだ。
「どうぞ、姉上達を救って下さい」
私が頭を下げるどころか、逆に頭を下げられてしまった。
ことはトントン拍子に運び、私は献上品を納めに行く一向に紛れ、先々代の領主婦人とその孫娘に会うことが叶った。
先々代領主夫人、名前はテトラさんはおっとりと小首を傾げる。
「ま…、あ。神殿の巫女様でいらっしゃいますの?」
大商会の箱入り娘が領主夫人となって、そのまま、年を重ねたと言う感じのおっとり具合である。
「それはねえ。塔以外に出るなと言われれば、弊害はございますけれど、何分、私は出不精で」
「え?でも、無理矢理、幽閉されているんですよね?」
「幽閉…。さようでございますわねえ。閉じ込められていると言われれば、そうですとお答えするしかありませんわね」
万事が万事、この調子である。
「おばあ様。ここからは私が巫女様とお話いたしますわ」
ずいっと会話に割り込んできたのは、十歳くらいの少女である。飴色の髪の毛と新緑の瞳をもつ、末恐ろしいくらいの美少女だ。
「お初にお目にかかります。北領領主ロランが妹、セアラでございます」
セアラちゃん、いや、セアラは思っていた以上に出来る女の子だった。
「巫女様の慈悲に是非、おすがりいたしとうございます」
と、言うことで行きは献上の品で一杯だった馬車は祖母と孫を乗せて、北領の領主館から立ち去って行った。
なんなの?このザルな警備は。積み荷を改めたりしないのだろうか?
さすがに入って行く時は入念に調べられたけど、帰りはさっさとお帰りをって感じ。
拍子抜けし過ぎて、かえって落ちつかないくらいだ。
さすがに侍女に変装したセアラとテトラさんは緊張していたみたいだが、領主館の門扉を潜るとほっと安心したみたいだ。
私と、旅の一行は一先ず旅の目的を果たした。もちろん、これで終わりではない。
北領をこのままにしていいはずがないからだ。でも、それは追々考えていこう。なんか気疲れした。
こうして、私達は幽閉されていた領主一族である二人を連れて、イリューズ商会へと無事辿り着くことが出来たのであった。
領主館の本棟の一室に二人はいた。そこは先代領主夫人オーレリアの私室の一つで客人を招く居間であった。
「オーレリア様、いかがいたしましょうか?」
必要なら追っ手をかけ、捕らえることも出来ようし、始末することも可能だと、言外に男はそう言っていた。
そんな腹心の部下の言葉に、オーレリアは男の方を見ようともせず、無言で窓辺から眼下を見下ろしていた。
ついさっき、幽閉していた娘と義母を乗せた馬車が遠ざかって行くのを見送ったばかりだ。
ナツキが訝しく思った通り、オーレリアはこの度の企てを事前に察知していた。
イリューズ商会に放ってある「犬」の密告があったからだ。「犬」とはただの符丁で、スパイのことである。既に解体されたとは言え、イリューズ商会の影響力は強い。
当然の措置と言えよう。
「オーレリア様?」
「…」
オーレリアは答えない。ただ、領主館から見渡せる街の様子を眺めた。
北領の領都と言っても、美しく整えられているのは領主館とその周りのほんの一部で、比較的裕福な庶民は地下に家の大半を埋め込み、冬の厳しい寒さを防ぐ。
そんなゆとりのない民達が暮らすのはボロ屋のようなバラックだ。そんな家とも呼べない代物が、はるか遠くに乱雑と並ぶ。
バラックでは冬の厳しい寒さを越すことは出来ない。そこで巨大な洞窟に仮住まいし、冬を越すのだ。
だが、そんな洞窟にさえ入る余裕のない(洞窟内は有料である)、民達の大半が寒さと飢えで死んでいく。
ここは北領の地。生と死が常に隣り合わせにある。
そして、これがわたくしの都なのだ。
オーレリアの心にもはや、何の感情もなかった。そんなものはとうの昔に失くしてしまっていたせいだ。悲しみも喜びも怒りもない。楽しいなど論外だ。
ただ、虚しかった。
あの美しく、整然と整理されていた聖領の都とは大違いの、自分の居場所に居続けなければならないことが。
「好きにさせれば、いいわ。もはや、聖領の巫女が後ろ楯になったところで何も出来はしないのだから」
オーレリアが言うと、
「かしこまりました」
と、男は慇懃に頭を下げた。
「もう下がりなさい」
報告に訪れた男、北領のトップである宰相を下がらせると、オーレリアは眼下から視線を上げた。
窓ガラスにはオーレリア自身の姿が映っていた。
しばし、オーレリアはガラスに映る、自身の姿を見つめた。そこには嫁いで来た頃にはなかった目尻の皺があった。
なんと年をとったことか。ため息にも似た、吐息をつく。
嫁いで百年以上、様々な出来事があった。辛いこと、悲しいこと。けれど、喜びを感じることはなかった。
先程まで部屋にいた男もとうに成人を過ぎた。戯れに自分が拾ってきた、小さな男の子はわたくしと言う後ろ楯を得て、宰相にまで登り詰めた。
もちろん、彼自身の生半可ではない努力によるものだ。わたくしは能力のないものを近くに置く趣味ない。
「あの子はわたくしの腹心を気取っているようけど、まだまだね。
もしも、本当の腹心の部下であると言うなら、わたくしをとうの昔に殺してしまっていたでしょう」
何故なら、わたくし自身がそう望んでいるから。
北領を潰すか、わたくし自身を滅ぼすか。
この地に嫁いできた、あの日から、わたくしの選択は、二つに一つだった。
夫のいるうちは夫が防波堤となっていた。
小さかった花婿は大人になり、思慮深い領主となった。そして、わたくしをいつも困ったように見つめていた。
出会った時、叔父上に騙されたと思った。わたくしには西領に好きな相手がいて、嫁ぐのならば、この人と思っていた。
しかし、彼は妹の夫となることが決まった。わたくしは、次期神殿長の座と愛しい相手を同時に失ったのだ。
父上は、わたくしをこのまま西領に残して置くことは出来ないと思ったのだろう。
ましてや、他領の力ある領主の嫡男に縁付かせて、聖領や西領の驚異となってはならないと。
だから、年の離れた子供にあえて嫁がせたのだ。
夫が年頃になる頃、わたくしがもはや、翻意など起こさないくらいの時間をかせぐために。
「無駄でしたわね。わたくしはどれほど時が経とうとも、牙を抜かれたりはいたしません」
わたくしが初めて愛した人は、先の『次元の大波』で若くして亡くなった。
そして、わたくしを欺いた父上も、わたくしを自分の後継者に選ばなかった母上も既にいない。
いまだにこの世にあるのは、世界の中心にある聖領の神殿に座す、妹のヒルダのみ。
「もはや、わたくしを止められるのはあなただけ…」
その時、窓ガラスを大粒の雨粒がポツリとたたいた。
それはやがて、幾つもの雨粒へと代わり、すぐに窓ガラスどころか、見渡す限りを強い雨が空から降り注ぐ。
こうした強い雨が本格的な冬にはいる前に度々降る。これがやがて、雪となり、北領の大地を埋め尽くしていくのだ。
「冬が始まる前に終わらせてくれるのでしょう?」
ねえ、そうでしょう?と、目の前にいない妹へと問いかける。
そのために神殿の巫女を遣わしたのでしょう?わたくしを滅ぼすために。
だったら、早く終わらせて。
オーレリアは祈る。かつて神殿長になりたいと心から祈った時のように。
今度こそ、願いは叶えられるはずだ。そのために多くを犠牲にしてきたのだから。自領の民どころか、自身の子供達さえも。
「早く…」
早く、終わらせて。わたくしがこれ以上、罪を重ねる前に。どうか…。
雨脚はさらに激しさを増し、北領の乾いた大地を潤していく。それは恵みの雨なのか、それとも、滅びの予兆なのか?
高台に建った領主館の一室は暗く、外からは窺い知ることは出来ない。
そうして、領主館は雨とともに薄闇へと紛れていった。
前回からそんなに経ってないですよね?今回のお話はどうでしたでしょうか?少しは面白いと感じてもらえたらいいな。
北領編も佳境に近づいています。もうちょっと、お付き合い下さいませ。