北領家の衰退
北領の衰退は、数百年前の北領・領主家直系の断絶から始まった。寒さの厳しい北の大地でも土地は肥え、周囲を高い山々に囲まれ、厳しい北風から守られた旧領都は栄えていた。
それが中継ぎの領主の反乱により、領都共々、かつての栄光は跡形もなく消え去ってしまった。しかも、呪われた領都として、人の住めない場所へと成り果てた。
その後、新たな領主として立った若い領主は、残された民を率いて領都を南へと移したが、そこは北領のなかでも作物の全く育たない荒れ地であった。その上、厳しい寒さから守ってくれていた山々もない。
俗に言う、黒の時代の始まりである。
「黒の時代?」
私は首を傾げた。神殿で各領地の歴史はあらかた習ってきたが、その名称は初めて聞いた。
「ああ。ご存じてはありませんでしたか」
エインが眦を下げる。
すると、アリーサが私の袖を引き、
「黒の時代と言うのは、民の間で囁かれる、領主を蔑視する言い方ですから、神殿ではお教えしませんでした」
なるほど。国で例えると、神殿はレーヴェンハルトの都で北領はその領地だ。領地を蔑むような名称をあえて教えるはずもない。
「北領で暮らす人間は誰もがそう呼んでいますから」
と、エインは気にした風もない。
「それほど、領都が移ってからの北領が変わってしまったと言うことです。例え、蔑視と言えど、甘んじて受け入れるしかありません」
まあ、元領主一族の私が言うことではありませんが、と自嘲したような笑顔を見せる。
「北領での暮らしが厳しいのは私達も実際に見て、知っています。もちろん、この地に来てから数日しか経っていないから、全てじゃないし、ほんの少しだろうけど」
私は言葉を切った。それから、改めてエインさんの顔を真っ直ぐに見て言った。
「それでも、ここで暮らすことは他の領地と比べてみても、すごく大変だろうとは思います。
だからこそ、どうすれば、ここで暮らす人達を助けられるのか。そして、何が原因でそうなったのかを知りたいと思うのです」
私の言葉にエインさんは、ほうと息をついた。
「…あなたは私の知る巫女様とは違うようだ」
「先代とお会いしたことがあるんですか?」
私の先代である巫女はすでにない。病を得て、亡くなったのだそうだ。それから、私が転移してきたので会ったことはない。
私の亡くなったおばあちゃんが暮らしていた欧州の隠れ里から来た人でヒルダさんと張るくらいの、美女であったそうだ。
エインは、私の問い掛けにはっきりとは答えず、ただ、笑みを深めた。
ん?私、聞いてはいけないことを聞いてしまったのかな?
「それでは、話を戻しましょうか。私の父の盲執が何だったのか。そして、その結果をお話ししましょう」
あ、はい。ちょっと横道に逸れたね。
私は居ずまいを正した。
北領領主が暮らす館は幾つかの棟に分かれていて、西棟には領主の子供が大勢暮らしていたが、今は、私一人きりである。数多くいた姉妹達は全員嫁いでいったからだ。
元々、女の子ばかり五人もいたが、男は私を含めて二人しかいなかった。
とは言え、もう一人の男子は嫡男で次期領主である。妾腹の私とでは端から寄せられる期待も立場も違う。
姉や妹達とも母親が違っていたが(彼女らは正妻の子供である)、嫁いでいく身で跡目とは関係なかったから、私に対して、正妻である彼女らの母親とは違って、きつくあたったりはしなかった。適度な態度と距離感で接しられていた。
彼女らが嫁いでいき、やっと静かに過ごせる。そう思っていた矢先ー。
廊下を走って来る足音が徐々に聞こえてきた。嫌な予感がする。次に居間の扉が乱暴に開け放たれ、
「エイン、聞いたか?次期神殿長となる方が正式に決まったそうだ」
大音量で叫んだのは、我が兄上ウルドだった。
西棟の居間でまったりと読書を楽しんでいた私は、飛び込んで来た兄に白い目を向けた。
「兄上…。廊下を走ってはなりませぬと、義母上からお叱りを受けたばかりでしょうに」
「走ってなどおらぬ!早歩きだ」
子供騙しの言い訳をと思っていたら、
「何をそう、落ち着いているのだ。次期様が決まったのだぞ!」
と、熱く語ってくる。兄は体が大きく頑強な見てくれなので迫られるとかなり鬱陶し、いや、暑苦しい。
「ええ。そうですね。西領から立たれたお方だそうですね」
「…うぐ。そうだ」
兄が言葉に詰まった。
と言うのも、我が北領家からも神殿長候補として姉が一人、神殿に上がっていたのだ。
現神殿長にも二人の女のお子様がおられ、二人とも候補であったが、そこは平等を謳う神殿のことだ。
能力のない者に、例え、実の娘であったとしても、次期神殿長にと認めるはずがない。そこは確かだ。何しろ、この世界の命運を担うのだ。生半可な者では務まらない。
「ヒルダ様と仰られるのだそうだ。聞けば、レーヴェナーダ様の再来かと噂される魔力をお持ちの方だとか」
「へえ、そうですか」
「そうですかではないぞ!お前も領主家に生まれた男子だろう!もっと関心をもたんか!」
「そう言いますけど、私は家を出る予定ですし、政に携わる人間にはなりませんよ」
「母上か。母上には私から言っておくから安心しろ。お前には補佐をしてもらう予定だ」
「勝手にお決めにならないで下さい。また、義母様からお叱りを受けますよ」
「よいのだ!私がそう決めたのだから!」
そう言って、私の座るソファの隣に乱暴に腰をおろす。ギシリとソファのスプリングが鳴った。
私は兄から見えないように口元を綻ばせる。嬉しくて。兄には絶対に口に出して言ってやる気はないけれど。
私の母親はすでにない。死んだのではない。私を生んでから、他の男の元に嫁いだのだ。聞けば、私の知らない異父兄弟を何人も生んで幸せに暮らしているそうだ。
北領で暮らしているそうだが、生きているうちに会うことはないだろう。もはや、他人も同然である。
私は、使用人の娘に領主が気まぐれで手を付けて生ませた息子で跡継ぎ以外は女の子ばかりだったため、父親が引き取って育てた。
育てたと言っても、衣食住を整えてくれるだけの存在であっただけで、それも先頃、亡くなってしまったので私は実質、両親のいない孤児同然であった。義母様は論外だ。
それをそのまま領主家に留めてくれていたのが、この年の離れた兄だ。兄は服喪があければ、領主として立つ身の上である。
忙しいに違いないはずなのに、数日置きに私に会いに来てくれる。少々騒がしいのが、たまに傷だが、優しい人だ。ついでに暑苦しい。
「神殿長候補を争っていたヒルダ様の姉上は神殿から出るそうだ。いずれ、どちらかに嫁がれるはずだが、どうにかして息子の嫁に来てもらえないだろうか」
「は?嫁にって、あちらは随分と年上でしょうに」
兄の息子は自分とそう年が変わらない。まだ、子供だ。
「うん?政略婚なんだ。年上の妻など珍しくもあるまい」
「それはそうですけど」
「神殿長に選ばれなかったとは言え、今の神殿長の血縁だ。相当の融通をきかせてくれるはずだ。
…もう、誰からも黒の時代などど呼ばせるものか」
そう言って、テーブルの上に両肘を乗せ、組んだ両手の上に顎を乗せた。
その眼差しはきつく、何もない前方の壁をただ見据えていた。
「…兄上」
妾腹の異母弟にまで心を砕いてくれる、心優しい兄が北領の衰退を誰よりも憂いているのは知っていた。
父親が存命の時分から、どうにかして北領を良くしていこうと懸命になって働いていた。
優しい兄が普段の兄らしからぬ行動に出るのは、北領のことを考え過ぎるからだと私は知っている。
だから、止められなかった。
実の妹に負け、実の母親から神殿長候補から外された東領の姫君の想いにまで気付けなかったのだ。その頃、自分はまだ子供であったし、自分自身のことさえままならない身の上であったから、仕方のないことではあるのだが。
しかし、兄の行動が北領の衰退のみならず、現在に至る、崩壊の一歩寸前にまで繋がるとは、誰が予想出来ようか。
私は、姫君降嫁に躍起になって暗躍する兄を止めることも出来ず、ただ、成り行きを見守った。
数年後、兄の望みは叶った。西領から花嫁を迎えることとなったのだ。
はるばる、西領から降嫁してきた花嫁のオーレリア様は目映いばかりの美しさで北領の民から熱烈な歓迎を受けた。北領中からかき集めてきたかのような大量の花びらが宙を舞い、立派な騎獣に引かせた花嫁を乗せた馬車が民で埋め尽くされた街道をカラカラと車輪の音を響かせて、通り過ぎるのを皆が歓喜を持って迎えた。
そして、北領領主家で花嫁は花婿となるアランと初めての邂逅を果たす。
初めて夫となるアランを見た時、花嫁のオーレリアの顔色が青を通り越して、どす黒く染まったことに気が付いたのは、薄いヴェールを頭から被った花嫁のヴェール持ちにと選ばれ、左後方から花嫁の顔を覗うことの出来る位置にいた私くらいだった。
右隣にいた女の子は緊張して、それどころではなかったようで、花嫁の顔色など見ていなかった。
私は、この美しい甥の花嫁の顔にゆっくりと怒りと憎しみが浮かび上がるのを、この目ではっきりと捉えることが出来た。
花婿が子供だと知らずに来られたのかー。
私はそうと察した。兄が言うように政略結婚であるし、そんなことは承知で受け入れられたのかと思っていたが、そうではなかったらしい。
花嫁はなるほど、大変美しく高貴な印象であった。しかし、その分、プライドが高そうではあった。
もしかしたら、騙されて、この北の大地に嫁がされたのかも知れない。落とされた神殿長候補者は、そのまま神殿に残るか出身地に戻って嫁ぐかの二択を迫られる。
私の姉はさっさと嫁いでいったが、なまじ次期様の姉と言う立場であったオーレリア様は扱いが難しかったのかも知れない。
西領に残しては妹との関係が拗れるかも知れないし、他家の領主家で現領主に正妻がいない者はいなかった。次期領主となる者達の間で駆け引きが行われ、北領家が勝った。
だが、そこにオーレリア様の意思は尊重されていたのだろうか?
けれど、誰にもそのことは言えなかった。花嫁の半分ほどの年の花婿である甥にも、念願の花嫁を迎えることが出来、有頂天であった兄にも。
だからこそ、後々に起きる北領家の崩壊を止められなかった。花嫁オーレリアの深い絶望が北領を破滅に導くのを、ただ黙って余所から眺めるしか出来なかった。
そう言って、養護院の院長エインは深い哀しみを秘めた顔でそっと瞼を伏せた。
こんにちは!寒いかと思えばポカポカ陽気、今年の冬は変ですね。体調には気をつけましょう!
新規ブクマ登録、ありがとうございます。なかなか更新出来ない、ダメな作者をお許し下さい。次回、頑張って早めにお届けします、多分。
読んで下さって、ありがとうございました。