悲しい現実
かつての地球で、魔力を持つ者と持たざる者との間に生じた修復不可能なまでの決裂がレーヴェンハルトを創造する契機となった。
新しい、この世界は魔力を持つ者だけが暮らしているとばかり思っていたのに。
「魔力がない者が生まれるって…。
でも、魔力が無くても普通に暮らしていけるんですよね?だって、アリーサも問題なく暮らしているし」
私が気付かないくらいだもの。そもそも、人によって魔力量は様々だ。魔力の少ない者とたいした違いはないはずだ。
だが、セルマさんは首を振る。
「普通には…、暮らせないでしょう。この世界は魔法によって守られ、魔力を用いることで動かせる魔法具などで日々の暮らしが成り立っていますから」
神殿だってそうです。他者の魔力が溜められた魔法具で生活を回しているのだとセルマは言う。
「私はレーヴェナータ様のお血筋で言えば、傍系で自ら望んで神殿へと入りました。そこで初めて、魔力を持たない者と出会ったのです。そもそも、この事実は広く知られていないことなのです。一部の者の間で秘められ、隠されてきたことですから」
「隠す必要ってあるの?歴史を見れば、魔力のない人間が行った非道を糾弾する人もいるだろうけど、ここで生まれた人に何の関係もないことでしょう?
きちんと説明すれば、理解出来る事だわ」
少なくとも私はそうだ。だって、ついこの間まで魔法とは無縁の生活をしたきたのだから。
魔法が使えなくても不便だとは思わない。その代わり、電気やガスなどの恩恵を受けてきた訳だけど。
「おそらく理解するには、それこそ多くの時間がかかるでしょう。だからこそ、こうして隠されてきたのですから」
「ヒルダさん、ううん。歴代の神殿長がそう決めたの?」
「いいえ。巫女様がたの意見だったそうです」
は?私と同じ、地球で暮らしてきた人達の意見って…。どうして、そんな風に思ったんだろう。かつての自分と同じだったのに。
「それは…、私には分かりかねますが、同意は出来ます」
「どうして?」
「危険だからです」
「魔力がないのに?」
「その存在そのものがです。彼らは危険であり、異端なのです。
そう…、この魔力溢れる世界においては」
ああ、そうか。そういうことか。私はストンと付におちた。
かつてあった、地球における魔女狩りと同じだ。自分達とは違うものを忌避し、排除する。
「魔女狩りと同じだね」
神官はあちらの世界の歴史にも造詣が深い。あっさりとセルマは頷いた。
「そうです。おそらく、そうした事態を避けるために巫女の進言を受け入れたのでしょう。
巫女様の考えは別にあったのかも知れませんね。自分が彼らと同じだと見られたくなかったのかも知れません。
神殿長は公正を重んじる立場にあります。その方々が、あえてそれを受け入れたのは、そうした理由からでしょう。
それと同時に保護することを決められた」
「それが神官?」
「ええ。全て、とは言えないかも知れませんが、魔力を持たない者の大半は女性として生まれてきます。
男性もいるかも知れませんが、私は会ったことはありません。神殿は女性にしか、門戸を開いていませんし。もしかすると、男性もいるかも知れませんね。
ただ、魔力の無い人間は、ごく少数しか確認されていません。元々、生まれた人数が少ないのか。それとも…」
「生まれてきた赤ちゃんが魔力を持たないと分かった親が、その子供をこっそり始末したか?」
私は、セルマが言わなかった言葉をあえて言った。
「ええ。おそらくは」
それはひどく恐ろしいことだ。自分の赤ちゃんや子供を、親が自分勝手に死なせて、ううん、殺してしまうなんて。
でも、それは私が身近に知らないだけでニュースでよく報道されている。
出産後、赤ちゃんを放置して死なせた母親や子供を虐待死させる親や大人達のなんと多いことか。
私は、子供を産んだことがない。だからこそ、人一倍、子供を愛しいと思う。
そして、そんな風に残酷に子供を死なせてしまう大人達を嫌悪し、憎悪する。
だったら、どうして産んだの?って問いたい。
「彼らを保護してきた行いは賛同するけど、やっぱり、広く伝えるべきだと思う。
そうすれば、もっと多くの死ぬ必要のない子供達を救えるはずでしょう?」
「そうですね。けれど、魔力のない子供達をどのように育てていくのか分からない親は多いでしょうね」
家に魔法具のない貧しい家庭なら、尚更だ。神殿だからこそ、多くの魔法具があって、アリーサのように魔力のない神官でも勤めることが出来る。
「それは…、考えることは多いでしょうけど。でも、死なせるくらいなら」
「全員が全員、死んでいるとは限らないのですよ?多分、あなたはお怒りになると思いますけど、彼女らが生きる場所は神殿以外にもあるのです」
「え?それってどこ?」
良かった!生きられる場所が他にもあるんだ。私はほっとした。そして、同時に聞きたくもない事実を告げられ、さらに打ちのめされる。
「娼館です。魔力のない女性は総じて子供を産むことができないのですよ。
そういう質なのか、それとも、魔力を持つ男性との間に産まれにくいのか、それは分かりませんが、それ故に魔力のない娘は娼婦となるしか生きる術がないのです」
は?はああ!?ふざけるな!そんなの理由になるか!娼婦になんて、誰が好き好んでなると言うのか。
世界中にいる、そうした女性達のほとんどが生きるために、生活の糧を稼ぐためにそうしている。
中には拐われてきて、そうしたことを強要される子供や女性達だっている。
「アリーサは北領の、貧しい寒村に生まれたそうです。産まれてすぐには魔力のあるなしは分からなかったのでしょう。
貧しくとも育てられ、幼児となってから判明したそうです。
その頃、父親を北領の労役で失って、稼ぎ手をなくした彼女の母親は再婚することになって、娘の処遇に困り果てていたところ、たまたま通りかかった冒険者に娘を託したそうです」
冒険者はたまたま無一文となっていて、一宿一飯の恩義にお礼をしたいと言ってくれた。
アリーサの母親は貧しさと日々の生活に疲れはてていたそうだが、美しい女性だったそうだ。
だからこそ、再婚の口が見つかったのだろう。相手は倍以上も年上の地主で子供もいた。
そんな所に魔力無しの娘を連れていけるはずもなかった。
幼い娘に母親はこう問うたそうだ。
「娼婦となって毎日綺麗な服を着て、美味しいものを食べられる生活と神殿の神官となって規律を守って慎ましやかに生きる生活とお前はどっちがいい?」と。
「アリーサは神官になりたいと答えたそうですよ。私にアリーサを預けにきた冒険者がそう話してくれました」
幼い子供に問うことか!私は、怒りで腸が煮えくりかえりそうなのをじっと耐え、話の続きを聞く。
「…アリーサは幸せな方なのですよ。母親は、なけなしの全財産を冒険者に託したそうです。娘のことをくれぐれもよろしく頼みますと言って」
そして、託した相手も良かった。もし、悪い冒険者であったならば、娼館に売られていたかも知れないのだ。
「その冒険者は先代のギルドマスターでクレイの師にあたる方です。もう、亡くなりましたけれど」
セルマの声音が少しだけ湿って聞こえた。
あれ?もしかして、好きだったのかな?
私は不謹慎ながら、そう思った。でも、神官の職を辞せば、結婚だって出来るのだもの。決して、悪いことではない。
「魔力のない娘のほとんどが娼館で一生を終えます。年をとった者は裏方にまわり、音曲や舞踊の指導をしたり、幼い娘達の世話をしたり。
娼館が領主の監視下にあるのも、そうした理由からです」
知らなかったよ。娼館て、領主が運営しているの?
「運営ではありませんよ。監視の元にあるだけで。誤解を招く言い方はおよしなさい」
すいません。怒られちゃったよ。
「はあ。あたなはもう少し、考えて発言なさった方がよろしいでしょう」
あれ?その言葉、前にも言われたよ?アリーサやなんかに。
そう言うと、もっと深いため息をつかれた。何故に?
「アリーサが北領に行きたくない。いいえ、あなたを北領に行かせたくないのはそうした理由からです。
北領は厳しい土地なのです。人が生きていくために、しなくてもいいことまでしなければならない。
そうしなければ、生きていけないからです。
実際にその目で見た、その冒険者はアリーサ以外にも娼館や労役のために売られていく大勢の子供達を見たそうです。
そして、彼らのために何も出来ない自分が歯がゆいと苦しそうに話してくれました」
聖領でも、親が冒険者ギルドに子供達を連れてくる。だが、ほとんどがお金目当てではない。
中にはそうした親もいるだろう。けれど、そうした場合、親元から引き離され、ギルドの一員となった方がずっといい。
「北領に立ち入るには覚悟が必要でしょう」
最後にセルマはそう言って、私を見送った。
思っていた以上に私がこれから行こうとしている地は大変な土地らしい。
花の咲き誇る東領では、領主一族の悲劇を側で見つめた。そして、獣人と翼人とで分かれた南領では両者の戦いの渦中に身をしずめ、それを目の当たりにした。
どちらも私自身が望んで関わったのだけれど、今回の北領への旅は先行き不安である。
なんと言っても、アリーサがいるのといないのとじゃ、やはり快適さが違う。痒いところまで手が届く、みたいな。
彼女は神官であると同時に側仕えなのだ。仕える相手がヒルダさんじゃなくて私なので、しなくてもいい苦労までかけている。
なので、辛い思い出の地である故郷へと無理に連れていくことは出来ない。
帰ってきて、私がそう告げると、はあ?という顔をされた。
え?何で?私、間違ってないよね?
「主が側仕えの事情なんて、考慮する必要ありません。それに私が心配しているのは、あなたが暴走することですから」
え?どういうこと?
「あなたは、女性や子供にことのほか甘いではありませんか。北領なんて、倫理どころか、人権なんて皆無な土地柄のですよ?
私には、ナツキ様が至るところに顔を突っ込んでいって、それに巻き込まれる姿しか想像出来ません」
えー!故郷が嫌で反対していたんじゃないの?
「…もちろん、いい思い出なんて数える程しかありません。そもそも、幼かったのであまりよくは覚えていませんし。
ただ、朧気に母や姉が優しかったことだけは覚えています」
「お姉さんがいるの?」
アリーサは一瞬、躊躇うそぶりを見せてから、
「ええ。今ではもう、どこでどうしているのかも分かりませんが」
ポツリと言った。
「お母さんと一緒なんじゃないの?」
「あの時…、私が冒険者のおじさんに連れて行かれた日に姉もまた、人買いに売られていったそうです。
このことはもっと後になってから、教わったのですが。
姉と一緒に行きたがった私を、姉はこちらに来てはいけないと言って、無理矢理、自分から引き離しました。
そして、母親には冒険者と行くと言うようにと強く言い諭して。
あの時はどうして?と、悲しく思うばかりでしたけど、あれは姉の愛情だったのだと、今では思います」
神殿の神官になれるのは、魔力の多い者か全く魔力を持たない者だけだ。
魔力を持たない者の存在を隠すためであるが、ある種の恩恵でもある。
「娼婦となった者の寿命は短いそうです。ある意味、激務ですし、心を失くして生きるのは辛すぎますから」
アリーサはそう言って、寂しげに微笑んだ。
私のなかでいつまでも、その寂しげな微笑みが消えることはなかった。
お久しぶりです。間に本編とは別のSSを一つ書いていますが、前話から結構、間が開いてしまいました。これを読んでいると言うことは、続きを待ってくださる方がいるということで、それだけで幸せです。