猫形騎獣と私
こうして湖水竜にまつわる一連の出来事は、おおよそ良い方向で(神殿騎士の除籍など、騎士団において粛正が行われたりしたものの)終息した。ただし、余談が一つ。
湖水竜、水漣のいる地底湖に永珠の実を管理するために妖精達が連れて来られたのだが、彼ら以外にも住人が増えた。
正しくは住人ではなく、霊体なのだけどね。
ニーニャが、ここで暮らすと言って帰るのを拒んだのだ。
「確かに俺達には見えんから、昔馴染みと暮らす方がいいのかも知れんが」
クレイさんは複雑そうだ。何と言うか、守り神みたいな存在だったのだから。
「ここで暮らしたいのか?」
見えない相手だと分かっていても、あえて聞いていた。
《ニオー!》
「うん、だって」
私が通訳すると、そうかと納得したようだ。
ニーニャがギルドの面々、一人一人に体を擦り付けるようにして、お別れを言っていた。
健気だね。
「かわいいなあ」
地球で暮らしている時、私は猫が飼いたかった。
「そんなに気に入ったんなら、飼うか?今なら、生まれたばかりの猫形騎獣がいるぞ?」
な、なんですって!
「飼いたい!飼いたい!」
クレイさんの胸元を掴んで揺さぶる。
「まあ、なんだ。お仲間にも相談してからにしろよ。普通の猫とは違って、騎獣は単なるペットとは違うからな」
ヴァンからの圧力を感じたクレイがそう言って、自分の服を掴むナツキの手を優しく振りほどいた。
「あー、そっか。責任重大だよね」
しかし!とりあえず、見には行きたい。きっと、かわいいだろーなー。
はう!と、まだ見ぬ子猫に思いを馳せる。
「今さらだが、ニーニャの奴、長いことギルドに留まってくれていたんだな」
主であるホルンが亡くなって数百年の年月が経っていた。
《…あれの命はもうすぐ尽きるはずだ》
すでに生物として死んでいるのだから、命と言うよりも魂の寿命なのだと言う。
「え?そうなの?」
私は驚いて、水漣へと振り返った。
川の中から見つめる、水漣の視線の先にギルドの仲間達に挨拶するニーニャの姿があった。とても楽しそうだ。
《ああ。きっとここに来たいと願ったのも、そうと悟ったからだろう》
「…そっか。辛いね」
折角再会を果たしたのに、すぐに別れることになるのだ。
《よい。あれは随分と長い間、我の慰めであった》
代々のギルド長にくっついて、ここにも遊びに来ていたらしい。ニーニャは霊体故に単体で場所を移動することが出来ない。ホルンの愛した冒険者ギルドがニーニャの居場所だったけれど、ここも大切な場所だったに違いない。
《すぐに消える訳ではない。ゆっくりと終わりの時を迎えるだろう。我は、最後までついていてやりたいと思う》
一人じゃないなら、寂しくないね。
話の流れから事情を察したクレイが水漣に頭を下げる。
「ニーニャは俺達の大事な仲間だ。よろしく頼みます」
《ふん。言われずとも!》
ツンデレさんだ。ツンデレさんがいるよ。
それでも彼はニーニャに寄り添い、魂の終焉を見届けてくれるだろう。
そして、一人になった彼の孤独を妖精達の存在が少しでも軽くしてくれることを祈ろう。
後日、私は冒険者ギルドを訪ねた。もちろん、お目当ては猫形騎獣の赤ちゃんである。お供はいつものメンバーだ。
季節はすっかり冬で私はモフモフの冬着でヴァン達は自前の毛皮で防寒はバッチリだ。
聖領は北に位置しているので雪が降る。ただし、ヒルダさんの結界の範囲内なので、生活に支障をきたすほどてはない。
雪ダルマが作れる程度には降る。雪のカマクラが作れるかは試したことがないので分からないが、今度、作ってみよう。
養護院や幼稚園の子供達が喜びそうだ。
私の守護騎士連中は、私が騎獣を持つことに反対しているので気が乗らないようだ。
カナンに乗せてもらってばかりじゃ悪いし、私だって自分専用の騎獣が欲しいのだけなのだが。
ヴァンは「自分が乗せるからいいのに」と、ブツブツ言っているが却下だ。私も、私だけの騎獣との繋がりが欲しい。
「あら、いらっしゃ〜い!」
冒険者ギルドの受付嬢であるミグ姉さんに出迎えられた。
ミグ姉さんの趣味を大いに反映しているショップには、ちらほらとお客さんの姿があった。
全員、魔法少女の格好だ。ただ、若くて可愛いのでそれなりに似合っており、冬着はシック路線なのか、さほどイタイとは感じない。
「仕事の方はいいの?色々と山積みなんじゃない?」
もちろん、仕事はこれでもかと言うくらい山積している。しかし、そんなことよりも大事な用件があるのだ。
仕事を投げ打ってでも、猫形騎獣の赤ちゃんに会うのだ!
「あ、そう。それじゃ、奥にどうぞ」
行き方は分かるでしょ?と、私は即座にスルーされた。彼女は、大切な顧客への接客に専念するようだ。
勝手知ったる、ミグ姉さんの店を素通りし、冒険者ギルドのある地下へと降りて行った。
扉の向こう側は…、うん。通常運転だ。まだ、陽も高いと言うのにヘベレケの冒険者達で満員御礼だった。
「ヴ、ヴァン…、。た、助け…」
床を這うようにやって来たのは…、イサーク?
三年ものダンジョン生活でむさ苦しい体ではあったが、それより酷い。茶色の獣毛は所々焦げたり、むしられたようになっていて、しかも、特徴的だった大きな角が一本根元からへし折られていた。
な、何があったの?
「もしかして、あなたがナツキさん?」
床に伸びた大きな体を思いっきり踏みつけ、現れたのは妙齢の女の人だった。短く刈った赤茶色の髪とヘーゼルの瞳が印象的な美人だ。
「え?そうですけど…」
「やっぱり?私はラキ。双子の母親よ。子供達がお世話になったようでありがとう」
そう言って、すっと差し出された手を私は握る。
「あの子達がギルドの仲間以外に懐くなんて、珍しいのよ。よっぽど、気に入ったのね」
さっぱりとした気性らしい。からっとした笑顔が素敵だ。
それはいいのだけど、あの、旦那さんを踏んでますよ?
「ああ。いいのよ。三年も好き勝手にほっつき歩いていたんだから、それなりの制裁は必要でしょう?」
そう言って、ドカリと夫の背中の上に腰をおろす。ぐえっとイサークが呻いた。
ヴァンは既にドン引きだ。この手の女性に会ったことがないらしい。ミグ姉さんは女性であることは間違いないのだが、並みの女性の範疇ではなかったしね!
「わ〜。いらっしゃい〜」
「こんにちわ〜」
とててと、かわいい足音をたてながら、双子がやって来た。
「にゃんこを見に来たの〜?」
「の〜?」
えっと。そうだけど、あの、お父さんはいいの?結構、酷い目にあってるようだけど?
「あ〜。仕方ないよ〜。愛の鞭〜?」
「ね〜。自業自得だね〜」
子供達まで容赦ないな。
うん。家族のことは家族で解決すべきだね。よしっ。見なかったことにしよう。
「「こっちだよ〜」」
双子に連れられ、別の場所へと出た。そこは神殿のある山の裾野の端にある冒険者専用の出入り口のようだ。
おそらく道路の地下に通路が掘られているのだろう。そこを抜けると人のいない外に出れるようだ。好き勝手やっているね!神殿の了解を得ているものと思いたい。
「わあ!たくさんいるね!」
騎獣専用の牧場だろうか。色々な種類の騎獣がそこにはいた。
「表向きは一般にも解放している騎獣の預かり場なんだ〜」
「ね〜。全部がギルドの子じゃないよ〜」
彼らは、のびのびと飼育されているようだ。草を食んだり、ごろりと寝転んだり、思い思いに過ごしている。
あまり、寒さを感じてはいないようだ。たぶん、冬毛に生え変わっているからだろう。
うーん。見た感じの割合で言うと、猫形騎獣がやや多いかな?
《あれ?ナツキ様?》
マニャに乗ったフロウがやって来た。
「なあに。あなた達もいたの?」
《ニオー!》
お散歩だよー!と言っているみたい。通訳のセイラがいないので何となくだが。あの子は寒いのが苦手らしく、妖精の森に戻っている。
《僕はエリーが地下に籠るのを嫌がるから、ここでお手伝いしているの》
え?蝙蝠姫なのに?地下とか洞窟が好物じゃないの?
「だーかーらー!私は蝙蝠姫じゃない!」
おう。いたの?てか、凄い格好だね。麦わら帽子に首タオル、そして、オーバーオール。どこからどう見ても農家の人だ。
せっかく美人なのに魅力半減だよ?
「大きなお世話よ。私は、この暮らしが気に入ってるの!」
そうですか。好きならいいよ。見れば、エリーの騎獣である白馬も遠くの方でまったりと過ごしている。
「話は聞いているわ。こっちよ」
顎でくいと誘導され、付いて行く。案内されたのは、牧場の端にある小屋だ。
その奥の一角に足を踏み入れ、柵から中を覗きこむと…。
「ふわあ!ちっちゃいね!」
騎獣の赤ちゃんがいた。猫形騎獣以外にも様々な種類の赤ちゃんが一ヶ所にまとまって眠りこんでいる。
中でも猫形騎獣の赤ちゃんは全部で五匹。早くに生まれた子は外に出され、ここにはよちよち歩きの子しか残されていない。騎獣の子供の成長は早く、一年で成獣くらいになる。
あまり見かけることのない、貴重な赤ちゃん時代の子達なのだ。
猫形と言っても、まんま猫と同じではない。まず、大きさから違う。赤ちゃんでもライオンの子供くらいの大きさだ。
ミルクをたっぷりともらった後なのか、どの子のお腹もぷっくりと膨らんでいた。
一ヶ所に丸くなって眠っている子ばかりの中、一匹だけ天井にお腹を向け仰向けで眠っている子がいた。
「豪快な寝相だね―。男の子?」
「ああ…。その子ね。やんちゃな男の子よ。起きているとき、ちっともじっとしていないの」
「その子はだけ、お母さんがいないんだよ〜」
「死んじゃったの〜」
聞けば、出産後に冒険者と出掛け、運悪く強い魔獣と遭遇してしまったそうだ。その戦闘で主を命がけで守って死んでしまった。
立派なお母さんだったんだね。
「そのせいか、利かん気で言うことを聞かなくて。困ってるのよ」
私は、エリーの言葉を話し半分に聞いていた。目は、この子に釘付けだった。
銀色の地毛に黒い縞模様のサバトラ柄。ふかふかとした毛並みをしている。
じっと見ていると、サバトラ君がふわあと大きな欠伸とともに目を覚ました。
寝ぼけ眼でしきりに前足をまるで泳いでいるようにばたつかせる。もしかして、起き上がりたいのかな?
私がじっと動きを観察していると、視線に気付いたようだ。
動きを止め、おや?と言う感じでこっちを見る。
まん丸のゴールドの瞳が私の心臓を鷲掴みにした。
私は、この時確信した。ああ、この子だと。
人と動物の関係で大事なのは好みもあるが、相性だと思う。
子供の頃に飼ったきり、その後、一度も飼ったことないくせに偉そうにとか言わないで。本当にそう思ったのだから。
私は許可を得てから、サバトラ君を抱き上げた。
赤ちゃんを抱っこする要領で両腕で抱えると、ちょうど良い感じでフィットする。
やんちゃだと聞いたけど、そんなことない。大人しく抱かれている。人見知りしない、いい子だなあって思っていたら、何だか腕やお腹の辺りが暖かくなった。
「ギャー!!!」
お漏らししちゃってるよ、この子!なのに、どうしてそんなに平然としていられるの?
これって所謂、大物の予感?
「ギニャ!」
あー、もしかしなくても選択を誤ったかも?
結局、この日は見学だけで終わった。まだ、ミルクが必要な赤ちゃんなので離乳食が食べられるくらいになるまで引き取りは出来ないそうだ。
「まあ、この子もニーニャの血筋で賢いのは確かよ。マニャとは姉弟だし」
亡くなったという母親が同じなのだそうだ。長毛の三毛と短毛のサバトラ柄なのであまり似通った所はない。
《ニオー!》
かわいいでしょう!って?
ニーニャの子孫で、ギルドのボス猫?マニャの弟。スペックは高そうだけど、蛙の子が蛙とは限らないのが世の中だ。
けれども、私はこの子以外を迎え入れようとは思わない。私が起居する神殿の隅に騎獣小屋は建設中で、迎え入れる準備は整えられつつある。
その日をのんびりと待つとしよう。
のんびりと…待つ訳にはいかず、毎日、忙しく過ごす。伝説となって久しい、永珠の実はやはり大きな反響を巻き起こした。
私、いや聖領で実を独占するつもりはさらさらなく、各領に通達したら、連日、問い合わせが殺到した。
永珠の実単体で取引するのではなく、あくまで薬として加工したものを取引するつもりだと言ったら、各領から選りすぐりの学者や研究者、そして、医者が送りつけられた。名目は永珠の実の共同研究だ。治療院の附属機関として研究施設を建設していたので、彼らの居場所に困ることはない。ついでに病気の人間を診てもらっている。
研究だけでなく、人の役に立たないとね!
まあしかし、研究も大事なのでソールを筆頭に研究してもらおう。それが巡りめぐって世の中に役立つのだから、一石二鳥だ。
そんななかで南領からは意外な人物が訪れた。玄鳥の一族で、かつて薬師だったヤンさんだ。
彼は翼人の谷で穏やかに生活していたのだが、娘婿のログさんから話を聞き、自ら志願したのだそうだ。
「老骨故、さほど役には立たないでしょうが…」
相変わらずの美老人が何をおっしゃる!体を壊さない程度に頑張って下さい。
そんな風に慌ただしい生活を送っている最中、遂にサバトラ君がやって来た。
そして、私の初めての子育ては…。
はっきり言おう。惨敗です!世のお母さん方!子育てを舐めていた私を許してください。
成獣となる前の子供期間は、とにかく愛情を持って躾を行うことだと騎獣の訓練士の指導のもと、私は一生懸命に取り組んだ。
…はずだったが、私の初めての騎獣、猫形騎獣のアウルムは私を全く主と認めていない。
訓練士にはそれなりに恭順の態度を示すが、私のことは歯牙にもかけない。
「こらあ!あーちゃん!おしっこは決められた場所でするように言ってあるでしょ!」
神殿の庭には庭師さんによって美しく保たれている百花繚乱たる花園がある。他にも、バランスよく緑が植えられており、庭師さんが毎日丹精込めて世話を行っている。
そんな花や木の根元にアウルムこと、あーちゃんは平気でおしっこをかける。
ごめんなさい、すいませんと何度謝ったことか。
もちろん、彼らは私が巫女だから不平を言ったりしない。だけど、心中余りある。
せっかく綺麗に咲いているのだもの、動物のおしっこをかけられたくはないだろう。
アウルムはヘブライ語で金を意味する。金色の瞳の色が印象的だったので、調べた結果、この名前に決めた。
普段はあーちゃんとかあー君呼びなので、アウルムなんて仰々しい名前を滅多に呼んだりしない。
中型犬並みに大きくなったアウルムはとにかく自由気まま。訓練士は常駐していないが、世話役に騎士の騎獣舎から人を雇い、大抵の世話や管理は彼に行ってもらっている。
この度、見習いから正式に騎獣係となった若者の名前はセスと言い、真面目な好青年だ。
「あー!駄目ですよ。そんな叱り方では。アウルムは何故叱られているのか分からず、混乱するだけです」
う、すいません。
「ちゃんと粗相をした場所を見せて、しては駄目なことをきちんと理解させないと」
セスもまた、代々、親から子へと引き継がれる神殿の騎獣舎に勤める専門家で結構私にも容赦ない。
私はアウルム共々、セスから指導を受けているようなものだった。私は失敗したら、次はしないよう努力するよ。
でも、アウルムはどこ吹く風で自由だ。
ちょっと!あんたのせいで怒られているのに何やってるのよ!
えー!それ、ゴキ○リじゃん。こっちのゴキは七色とカラーバージョンが豊富でしかもデカイ。雀くらいある。
アウルムが咥えているのは、黄色のゴキだ。黄色と一口に言っても色々とあるが、ヒヨコ色に近い。で、中身が紫。
アウルムの牙にかかった黄色のゴキから滴り落ちる紫の体液…、結構、えげつないんですけど?
何、ドヤ顔で咥えてんの?つか、何で私に渡そうとする!
「あ、もらってあげて下さい。プレゼントのつもりでしょうから」
セスが言う。
は?こ、これを受けとれと?
こんなものがプレゼントだなんて、嫌だあああああ!