実らなかった想いと別れ
リヒトさんが私の顔を真っすぐに見る。まるで、逃さないとでもいうように。
「アシュラムがあなたに求婚しているが、あれはまあ、放っておいていい」
アシュラム君、ごめんね!お兄さんも駄目だって!
「次兄だが、あれには許嫁があってな。政略なのだが、お互いに気に入っているようだ。残念だが、諦めてくれ」
あの人、あんなにチャラそうなのに一途なんだ。人は見かけによらないものだ。
「三男のニールだが、あれは母親の実家を継ぐことが決まっている。聖領の巫女姫の婿が、南の一部族の当主では示しがつくまい」
なんとニール君は南領で最も数の多い獣人である、ヌー族の族長の孫なんだとか。あー、そう言えばアフリカの野生の王国を特集する番組とかで群れが大移動するのを見たな。お母さんが、おっとりしてそうで怖そうなのも何だか頷ける。
「で、残るは私と言う訳だ。幸いにも私には許嫁も言い交わした相手もいない。正妻の子で嫡子ではあるが、母方の実家に力はない。有力な実家を持つ、これまた正妻扱いの母親が生んだ異母弟が三人もいては決まるものも決まらなくてな。この年まできてしまった」
リヒトさんは六十歳、地球年齢では二十歳ぐらいか。次期領主として許嫁がいないのはおかしいらしい。
あ、でも!東領の領主であるレキも未婚だ。あっちは領主だから、なおのことおかしいよね。まあ、色々と事情があったからだが。
「けれど、今年になって父上が跡継ぎは私だと領民に向けて発表したので、独身ではいられなくなった」
こちらを覗き込むトパーズの瞳を間近に見ると、何故だか、くらくらと変な気分になった。
何なの?催眠術か何か?
「ただし、私は当主故に南領を離れるわけにはいかない。あなたには次期当主の妻として、こちらで暮らしてもらうことになるが、いかがか?」
いかがも何も、駄目に決まっている。私の家族、ヒルダさんは聖領以外で暮らせないのだ。
むろん、私がこちらにお嫁に行きたいと望めば、それを反対する人ではないと知っている。
喜んで送りだしてくれるだろう。たまに里帰りと称して、聖領に帰ることをリヒトさんもきっと許してくれるはずだ。
けど、ヴァン達とはお別れだ。彼らは神殿の騎士であり、南領の領主の妻の騎士にはなれない。
アリーサともこれまでのような付き合いは出来ないだろう。彼女は神官で、一領主家に肩入れしてはならない。
ああ…、そうか。私には最初から選択肢などなかった。
そして、リヒトさんもまた、それを知っていて、それでも私に選ぶ機会を与えてくれたのだ。
「…あなたは、意地が悪いです」
「そうですか?単に諦めが悪いだけだと思うが」
ここは私達が最初に出会った場所、初代領主の絵が飾られた間だ。どうして、ここを選んだのか私には分からなかったのだが、今なら分かる。
きっと、彼もまた、初めて私と出会った時に二人の間を繋ぐ、運命の糸のようなものを感じていたのだ。
運命だなんて、チープ過ぎると以前の私なら、一笑に付していただろう。
でもね、あるんだよ。それを選ぶか選ばないかは別だけど。
私が彼を怖いと感じたのは、彼を好きになっても、その想いが成就することはないと知っていたから。
想いに気が付かなければ、悲しむことや苦しむこともない。
「知らないままで良かったのに」
「私はそうは思わない。ただ、残念だ。私ではあなたを引き留めることは出来ないようだ」
残念だ、ともう一度言い、私達はお互いに見つめ合った。
もし、私が巫女でなかったらとかは言うまい。もし、巫女でなければ、私は彼と出会うことさえなかったはずだ。
レーヴェンハルトに転移していなければ、地球の、元いた場所でひっそりと生涯を終えていただろう。誰からも看取られることもなく。
私はこちらへ来て、多くの絆を結ぶこととなった。それをなかったことにしたいとは思わない。
「さようなら」
リヒトさんが小さく別れの言葉を告げた。
「さようなら」
彼に、私も同じ様に返した。
さようなら、恋と自覚する前に終わってしまった私の恋に。
さようなら、手を伸ばせば開けたはずの私の違った人生に。
私は、心の中でそっとさよならを告げた。
「よろしかったのですか?」
リヒトさんと別れ、皆の元へと戻る途中にセーランがそっと尋ねてきた。
「いいのよ。私の帰る場所は最初から決まっているもの。そう言うセーランこそ、よかったの?獅子族の族長の座を断ったけれど」
エルリックの罪は既に下され、族長家では揉めに揉めているらしい。古老や年配の人を中心に、本来の嫡子の子供であるセーランを新たに族長に迎えては?と言う声が上がっているそうで、翼人との関係を円滑にする意味でも理想的ではある。
「私は獣人の父を持つことを誇りに思っています。けれど、私は翼人です。血を引いているからと言って、獣人にはなれないのです」
まあ、そうだろうな。翼は持っているけど、獣人の特徴はないし。
「ーありますよ」
「え?何があるの?」
「獣人の尾が」
ええ!そうなの?
「見たいですか?」
「う~ん。そりゃあ、見てみたいけど」
「私の妻になるなら、見せてもいいですよ?」
意味深な言葉に私は思わず立ち止まった。それから、ぷはっと笑い声を立てた。
「セーランでも冗談を言うんだね?」
沈んだ心がちょっとだけ浮上した。
「気を遣わせちゃって、ごめんね。ありがとう」
私は歩き出す。その背中にセーランがそっと呟くのを、気付きもせずに。
「…冗談なんかじゃないんですけどね」
知らせるつもりはない。もう一つの想いがここにあった。
何だかんだと事後処理を終え、私達はようやく聖領へと帰ることとなった。長いようであっという間だった。
領主会議が終わったので、もうじき領主達が戻ってくる。元々、彼らとの接触を避けるための旅だったのだ。今さら顔を会わせるのは、まずかろう。
「達者でな」
「ええと、ありがとう。でも、大丈夫?」
シルヴァが見る影もなく窶れていた。綺麗に整えられていた羽は毛羽立ち、ボサボサだ。
前回より、ひどくなってない?ホントにどうしたの?
「うむ。エルリックの奴がいなくなったお陰で、あいつの分もやらねばならん仕事が増えてな。このザマだ」
獅子族のゴタゴタは、今も続いているようだ。
「直に領主様達も戻ってくるし、もう少しの辛抱よ」
「だといいがな」
先の争乱に関わったエルリックの腹心など、領主館に仕えていた獣人の多くが処罰されたので、領主館は未曾有の人手不足なのだそうだ。
「まあ、領主様が帰ったら帰ったで一騒動ありそうだけど、頑張って!」
ビクッとシルヴァが震える。
「ナツキ殿!すぐに会いに行くからな!待っておれ」
アシュラム君は相変わらず、ぶれないね〜。
「元気でね」
「うむ」
彼のお兄さん達も揃って見送ってくれているが、そこにリヒトさんの姿はなかった。
「兄上はお忙しいそうで、私達が代わりに…。申し訳ありません」
ユージンは私とリヒトさんのことを知ってか知らずか、そう言って謝罪してくれた。
「ううん!大変なのは分かってるもの。気にしないで」
「道中お気をつけて」
彼の隣には、ほわほわと微笑むニール君が。
「ありがとう。ニール君もこれから大変だろうけど、頑張ってね」
「はい」
見た目、巨大なヌーとかけ離れてるんだけどな。成長すると大男になるのだろうか。
「また、来いよ!」
「いつでも歓迎するわよ」
ログさんとエバさんも見送りに来てくれた。ログさんは宿屋の主人としてのんびり暮らすはずが、義父の勧めもあって、何と翼人の大使となった。
これまでも翼人を陰ながら支援していたが、これからは大っぴらに活動するのだそうだ。
それは全て、翼人と獣人の相互理解のため。二人は翼人と獣人の夫婦だから、適任だね。
「柄じゃねえんだけどなあ。親父に頼まれちゃあな」
頭をかきながらぼやくのだが、エバさんによると満更でもないらしい。とにかく、人の世話を焼くのが大好きなのだ。
私も度々、夜食を振る舞われたり、相談に乗ってもらったりしたしね。ログさんにぴったりな仕事だよ。
「二人とも、聖領に遊びに来てね。いつでも歓迎するわよ!」
「聖領かあ。ヒルダ様に死ぬまでにいっぺんは会ってみてえよなあ。どエライ美女なんだろ?」
あー、まあ。でも、美女レベルじゃ、エバさんも負けてないよ?
「わはははは!こいつもいい年だからな!」
ちょっ!ログさん、何てことを!死ぬ気?
エバさんの腕が翼人の鉤爪へと変わるのを、私ははっきりと見てしまった!こんな変化もありなんだ。
夫婦喧嘩に巻き込まれないうちに出発しよっと。
「じゃあ、皆さん、お元気で!ありがとうございました!」
私はカナンの背に乗って、飛び立つ。もちろん、ヴァンも一緒だ。仲間達がそれに続いた。
ヴァンは気を遣ってか、領主館の上を何度か旋回する。
私は、塔の一角でリヒトさんが私達を見送る姿を発見した。
ほんの一瞬、視線が交わる。けど、すぐに離れて遠くなった。
(ありがとう)
心の中で呟く。
「…後悔しませんか?」
頭の上から問う声に、私は首を捻って後ろを見上げた。
そこには前方をきつく見据えた、怖いようなヴァンの顔があった。
「しないよ?当然でしょ」
後悔はしない。でも、もしかしたら、こういう人生もあったかもと想像はするかも知れない。
その時にはリヒトさんには大切な人がいるだろうし、私にだって出来ているだろう…、多分。
あー、でも。この先も婚活が成功する気がしないのは、何故だろう。
「ソールさん、窮屈じゃないですか?」
「だ、大丈夫ですう!」
いらあっ。私の眉間に青筋が立った。
トールの操る騎獣に何故かソールが同乗している。
「あんまり騎獣の扱いに慣れてなくて、下手くそですいません」
「私こそ、ご無理を言ってませんか?こうして乗せてもらって」
「平気ですよ。ソールさんが良ければ」
「わ、私は嬉しいです」
ポッと頬を染める。
あんた、翼人じゃん。自分で飛んだらどうなの?
ソールさん、いや、ソールが聖領の職業訓練所で講師となることを希望してくれたので、このまま一緒に帰ることとなった近々、開業する予定である医療院の薬師も兼任してくれるそうだ。
有難いことである。けど、けどさっ!
「寒くないですか?風魔法で風は防げても、寒さは防げませんからね」
南国である南領育ちのソールを気遣ってか、トールが尋ねる。
「だ、大丈夫です。熱いくらい…」
ソールが背後のトールの体にそっと体を預ける。
こらあっ、そこ!イチャイチャするなあ!
「し、してませんよ!何てこと言うんですか!もう!はふうっ」
トールは、とことん鈍感でソールの気持ちにまだ気付いてはいないらしい。
ウサギ耳をぱたつかせ、抗議する。
翼人の美意識は置いておいて、あの二人、男同士なんだけど、そこは問題ないのか。
「獣人も翼人も、あまり同性同士の番に抵抗はありません」
人族はそうでもないらしい。結婚は、やはり男女で行うのが普通である。一方、獣人や翼人は番うという認識で結婚式を挙げたりしないし、好きな者同士が一緒に暮らすと言う認識だ。
もちろん、族長の家系とか上に立つ者はそうではない。お披露目し、一族の許可を得る必要がある。
「へえ。そう」
狭量な私は自分以外がハッピーなのを素直に祝えない。
「トール、あんた帰ったら覚えておきなさいよ!」
「えっ?な、何ですか!何で怒ってるんです?」
あわあわと狼狽えるのを見て、溜飲を下げる。
「大人げないですよ」
「だって子供だもーん」
外見だけは。中身はおばさんだけどね。だから、余計に始末が悪い。子供のワガママとおばさんのイジワルがダブルだもん。
いいもーん、開き直ってやる!
ヴァンがパプパフと私の頭を手のひらで撫でた。
んん?どうしたの?
「いえ。ただ、何となく」
彼の声がいつになく優しく響いて、私はそっとヴァンを盗み見た。そこにはほっとしたような、いつものヴァンの穏やかな顔があった。さっきまでの怒ったような雰囲気は消し飛んでいた。
私は、ほっとする。やっぱり、私には聖領を離れるなんて出来ないようだ。
だってここが、一番安心するんだもの。
《ピイエエエエエエ!》
そうだろう、そうだろうと、カナンが自慢気に振り返る。
いや、あんたに言ってないし。
バッサバッサと何故か上機嫌なカナンに水を差すのもアレなので、そういうことにしておく。
色々とあったけど、私はここに来れて良かったと思う。出会いも別れも、それぞれあったけど、全てが良い思い出となるだろう。
私は、この地を再び訪れることを祈って、遠ざかって行くサヘルの街並みをこの目に焼き付けるのだった。
初カップル成立となるか?
同性同士ですけど、BLとは違いますよ〜。たまたま、好きになった人が同性で異人種だっただけですから。
ナツキ一行はちょっとだけ、寄り道してから聖領へと帰る予定です。もう少し、南領編が続きますのでお付き合い願います。