命の重さ
天幕内を気まずい空気が流れる。
「あ、あの。自分は彼女が薔薇姫様とご一緒なのを見ています。彼女が監察官であるのは間違いないかと思われます!」
おじさーん!いい人。
「薔薇姫…だと?」
隊長さんの背後に控えていた青年がすっと近付き、耳打ちした。
「あん?それは本当か?」
青年が頷く。
「なるほどな。となると、あんたは聖領…」
「違います!私はリヒト様のご命令でここに来ています!」
言葉を遮った私に、隊長さんは驚いたように目を見開いた。
聖領とは無関係ですよ〜と、私は無言でアピールする。
「はあっ」
大きなため息をつかれた。
「じゃあ、何だ。監査の仕事をしてもらおうじゃないか」
そう言って、周りを見渡す。おじさん達もうんうんと頷く。
良かった。伝わったみたい。リヒトが聖領にいる父親に頼らずに解決しようとしていることを、私が台無しにする訳にはいかない。獣人と翼人との対立を一刻も早く解決して、平和裏に解決する道筋を探っていきたい。
さすがにおじさん達の話し合いの場に列席するのは場違いなので、席を外す代わりに私には隊長さんについていた青年が付けられた。
「ザスです。クルド隊長の息子です」
あー、そうなんだ。似てないね。羽の色もピンクじゃないし。鮮やかなブルーを基調とした混色だ。
まずは、双方の陣営が睨み合っている前線へと私達は向かった。
もちろん、何かしようという訳じゃないよ。ただの見学だ。
道すがら、ザスさんから話を聞いた。
何でもこのオアシスの警備を担う兵士は、獣人と翼人とで二つに分かれているらしい。その一方が、さっき会ったフラミンゴおじさんこと、クルド隊長である(失礼)。
「ここは南領となってから開拓され、古い歴史のある場所で、獣人と翼人が程よく混ざった南領でも珍しい町なんです」
厳つい隊長さんとは真反対の、柔和そうな印象の折り目正しい青年である。多分、お母さん似なんだろうね。
「砂漠のほとんどが人の住むには適さないのですが、こうして往来に沿って人の住める場所を確保することは凄く重要で、今も領主様が主導して新しい町を建設されています」
へえ、そうなんだ。南領の領主様は、ハーレムにうつつをぬかすだけじゃないんだね。
ちゃんと領主の仕事をして、かつ、自分の私生活を充実させるのなら、ハーレムもまあ良しとするか。
「あ、こちらから見渡せますよ」
翼人側の陣営と数百メートル間隔を開けた先に獣人の陣営が展開されていた。彼らの背に街道が通っている。
「翼人は飛べますが、長距離であったり、重い荷物を運んだりする場合は、やはり地上を行きます。街道を押さえられるのはこちらも困るので、最初の衝突は街道奪還を目指したものでしたけれど、こちらは何分にも人も装備も足りておらず、惨敗を喫してしまいました」
町長が後ろ楯なのだから、当然だろう。何故、あえて戦いを挑んだのか…。
「件の商人を死なせる、きっかけとなった翼人ですが、彼は商人の甥だったのです。
そのために同じく商隊を護衛していた兵士を中心に、制止するのも聞かずに飛び出していってしまい、我々が援軍に駆けつけるまでにさらに大勢の死者を出し、もはや、引くに引けないのですよ」
ザスが自嘲気味に言葉を吐き出した。
きっかけは本当に些細な、いざこざだった。
けれど、運命のイタズラか、一人の商人の死により、より大きな紛争へと広がった。
そんなこと望んだ訳でもないのに…。
街道を他から集まって来たらしい、獣人の群れが連なって見える。砂漠は彼らの本拠地だ。増援は簡単なのだろう。
対する翼人の数は余りにも少ない。
もし再び、戦闘が起きればどうなるのか、それが恐ろしかった。
「さ、こちらへどうぞ。お嫌でなければ、負傷した兵士を見舞ってやって下さい」
それは避難民のキャンプに程近い場所にあった。医者や看護人の数が足りておらず、住民の手を借りるためだろう。
そこもまた、戦場であった。仮設の天幕で間仕切りもない、地面に敷物を敷いた上に多数の翼人が横たわっていた。
比較的、軽傷だと言うが包帯を巻いた姿は痛々しい。
「若い人が多いのね?」
「まだ若い血気盛んな連中が、商隊の兵士の呼び掛けに数多く呼応した結果ですよ。ろくに剣も振れないのに勝てるはずがないでしょうに」
その声は少し、怒っていた。
多分、制止を無視して怪我を負った若者に対して、同じ年代だけに憤っているのかも知れない。
私の側にいた、少年を脱したばかりのような子が、「み…、ず」と、かすかに呻くの聞いた。
私は看護人から水差しを受け取り、彼の口に含ませた。わずかに喉が上下する。
「ひどく痛みますか?」
頭部を負傷しているようで包帯で巻かれていた。
「あ…、少しだけ。でも、大丈夫」
良かった。見た目より傷は浅いのかもしれない。
「しっかり休んで。早く良くなって下さいね」
水はもういいという仕種をしたので、私はそれを脇に置き、彼の体の上に掛けられた薄い布を直して上げた。
「ありがと…、う」
小さくお礼を言って、彼は瞳を閉じた。
呼吸も安定しているし、大丈夫だろう。
「ここは比較的軽傷の者ばかりですが、奥に行くと重傷な患者ばかりです。どうされますか?」
ザスさんが、まるで私の心を試すかのように聞いてきた。
「…迷惑でなければ」
血縁でもなければ、医者でもない私が安易に立ち入るべきではないのかも知れない。
けれど、今回のように種族の違いから起こった紛争がどういう結果をもたらしたのか、聖領から動けないヒルダさんの代わりに私が確かめなければならない、そう思った。
寝かされている患者の間を通り抜け、ザスさんの先導で奥へと続く厚いカーテンをくぐり抜けた。
そこには、さっきまでと全く違う光景が広がっていた。
むせかえるような血の匂いが充満し、もはや、息をすることすら辛そうな怪我人で埋め尽くされている。
医者も看護人も余裕など一切ない。
一人の治療に当たっていた医者が治療半ばにして患者が事切れたのを、しばし、瞑目し悼むも、すぐに次の患者の元へと向かう。
私は野戦病院という言葉を思い浮かべた。
それはテレビの中であったり、劇場のスクリーンの中であった。架空の、遠い世界の出来事だ。
しかし、この目の前に突きつけられたリアルに足が竦んだ。
私だって長い年月を生きてきて、流石に手術はしたことはなかったが治療のために辛い検査も受けたし、お葬式で死者を弔ったことだってある。
その最初は事故死した両親だったので長く心の傷として残ったが、今は幸せだと感じられる自分がいた。ヒルダさんや仲間達との出会いによるものだ。
けれど、この現実は途方もなく私を怖じ気づかせた。
覚悟が足りない? その通りだ。
現実が見えていなかった? 反論出来ない。
一歩も動けずにいた私の服の端を誰かがつかんだ。
「痛い…、痛いよ」
それは同い年くらいの少年だった。彼は涙を流しながら、私に訴える。
「死にたくっ、ない。死にたくないよ」
彼は右目を失っていた。恐らく敵に頭上から振り下ろされた剣によって右目から肩にかけて斬られたのだと思われる。患部に巻かれた包帯は血で真っ赤に染まっており、治療が功を奏していないのだろう。
決して治療を怠ったわけではなく、それが限界だったのだ。魔法は万能ではない。
「おか…、お母さっ、お母さん!」
少年の母親を呼ぶ声を聞いてからの記憶は曖昧だ。
私は少年の側へと膝をつき、手を握った。
助けたいという思いだけが、その時の私の全てだった。
そしてー。
薄闇の中で目を覚ました。
いつの間にか夕暮れを迎えていたことに驚く。
「ああっ!気がついた!気がついたよ、お父さん!」
寝台の上に寝転ぶ、私の顔を覗き込んでいたのは、タマラさんだった。彼女は目に涙を浮かべ、大声で父親を呼んだ。
あれ、デジャブかな?つい最近も同じ様な場面があったような。あの時はお母さんの名を呼んでいたが。
「良かった。気がついたんだね」
おじさんがタマラさんの横へと並ぶ。
「医者を呼んで来る。もう、大丈夫だろう」
娘の肩に手を置いてから、そっと離れて行った。
ここはどこだろう?天幕の中だから、翼人のキャンプ地だとは思うが。私は訳が分からないまま、頭の中で考える。
「目を覚ましたと聞いた」
のっそりと入って来たのは、お医者様ではなく隊長さんだった。
「全く胆を冷やしたぞ…」
怒った風ではあるが、どこか優しげ瞳で私を見下ろしている。
何だろう。むずむずする。
「あ!クルド隊長、いらしていたのですか!」
上役がいるのに驚いたような、おじさんであったが、ちゃんとお医者さんを連れて来ていた。
けど、何で?私、怪我とかしてないよね?
中年の医者が私の腕をとって脈などを調べる。
「吐き気や頭痛はないかね?」
「いえ、だるさはありますが…」
正直にそう答えた。なんだか長距離マラソンをして、くたびれ果てたような疲労感があった。
「それくらいで済んで良かった。君は自分の命を投げうったようなものなのだから」
は?どういう…。
「魔力を人に与えることは、命を与えるに等しい。君は見ず知らずの少年のために自分の命を与えたのだ」
ああ!あれがそうなのか!
記憶が曖昧でよく思い出せないが、私は彼のために祈り、そして、自分の中にある何かを分け与えたような気がする。
「医者であっても、それをする者などいない。危険であり、また、禁忌であるからだ。君は、始祖の姫君方の母上の物語を知らないのかね?」
「知らんはずないだろう。ここに来て、最初に聞いたはずだ」
隊長さんが私を見て、そう言った。
確かに私はそれを聞いた。この世界に来て、最初にヒルダさんからこの世界の成り立ちを教わった時に。
ああ、そうか。これがキーラ達がお母さんを失うこととなった命を削る魔法か。これは本当の意味での治癒魔法などではない。命を引き換えにする魔法なのだ。
「とにかく安静にすることだ」
お医者様はそう言って去っていった。彼は忙しいのだ。余計な手間をかけさせて、申し訳なく思う。おじさんもそれに続いた。きっとお仕事中なのだ。
「あんたが始祖様の真似事をする必要はないんだ」
隊長さんが私の額に手を置いて、静かに諭す。
ゴツゴツして硬い大きな手だ。そして、とても暖かい。
「ゆっくり休むといい。話はその後だ」
ザスが泣きそうな顔をしていたぞ?と、いい置いて出て行った。
あー、迷惑かけただろうな。今度会ったら、謝っておこう。
そうこう考えるうちにトロトロと瞼が重くなっていく。
「あ…、そうだ。あの子はどうなったの?」
半分眠りに落ちながら、尋ねる。
「持ち直したそうですよ?良かったですね」
タマラさんが教えてくれた。
そうか、助かったのか。良かった。
私は優しい気持ちで眠りに落ちた。
寒い日が続くようです。ほっこりと暖まりながら、お読み下さい。