始まりは素っ裸で
強い風が吹く、切り立った崖から見たこともない場所を一望する。巨大な白い岩肌に囲まれた、さながら天然の要塞のような渓谷に堅牢な岩城とその城を囲うように町が広がっていた。
「ここ、どこ?」
奈月は目の前の光景が現実とは思えず、呆然となった。日本ではない、それは確かだ。だか、ここがどこかは分からない。
何かの遺跡のようだが、決して過去の遺物ではなく、はっきりと今を生きているような印象を受ける。
「ちょっ、待って。私は自分のアパートで寝てたはず…」
昨夜は残業を当たり前のようにこなし、くたくたとなって一人暮らしのアパートへと帰宅した。
最初の頃は、節約のためといずれ結婚したら料理の一つも出来ないなんてあり得ないだろうと自炊していたが、年月はあっと言うまに過ぎ去り、とうとう四十の坂を超えた。
そうなると早かった。気が付けば45歳。彼氏なし、独身。
手料理を食べさせてあげるパートナーもおらず、仕事で疲れた体でさらに夕飯作りなんて無理!と、カップ麺とスーパーで半額となったお惣菜でささっと済ませる。
そのあとビールでも一杯とやりたいところだが、まるっきり飲めない質で酒でうさ晴らしも出来ない。
愚痴を言いたくても、友人は全員既婚で子持ち。ラインやメールを送っても返信は次の日なんてこともざらで、なんとなく疎遠となっている。
溜まりに溜まった疲労は、日々蓄積されていくばかりで中年の悲哀を噛み締める。
その日もいつもと同じく、一日の汗や汚れをシャワーで簡単に落とすと、さっさと布団をかぶって寝た。そのはずなのに…。
「夢にしてはリアルだよね…」
頬をなぶる風は冷たく、裸足の足裏からはゴツゴツした岩の感触がありありと感じられる。なによりー。
「さぶっ!全裸って、マジさいてー!」
幸い周りに人はいないようだが、外で裸というのは四十過ぎのおばさんにはキツイ。南国のビーチとかならともかく。
「いやいや。それにしても寒すぎるって!」
日本は初夏だったはず。けれど、この寒さは秋か初冬。一体、いつの間に季節は変わったのだろうか。
両腕を体に回して、少しでも寒さを防ごうと試みるが、なんのたしにもならない。足元からくる冷えに、ぶるりと震える。
(うう。なんか、おしっこしたくなっちゃった)
誰もいないとは言え、どこかも分からない崖の上で用を足すのは勇気がいる。
理性と本能がせめぎ合い、たった一人で混乱している私の頭上に大きな影が差した。
寒さだけでも耐えられないくらいなのに、この上雨まで降ったら、風邪をひくどころじゃない。
見上げると雨雲らしきものは見当たらない。代わりに、何だろう?大きな影がどんどんと近付いて来た。
「ピエエエツー!」
けたたましい咆哮を上げ、ゆうに四.五メートルはありそうな翼を広げ、こちらに急降下してくるのは…。
「鷹!でっかっ!」
猛禽類の王が大きな鉤爪を向け、目前に迫って来るのを最後に私は意識を手放した。ついでと言ってはなんだけど。
あ…、やば。漏らしちゃった。
内股の間から、ほんのりと温かさを感じる。失禁どころではない。お漏らしだ。
あー。でも、いいや。
私の命運も、これで最後だろうし。周りには誰もいない。一人きりだ。
全裸でお漏らしなんて、こっ恥ずかしい黒歴史。目撃したのは、一羽の鷹のみ。
別に構わないよね!