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序章

 

 鉄道の長旅を耐え抜いて駅に着くと、案の定人でごった返していた。重い荷物を抱えて歩く気には到底なれず、しばらく日陰から日向を呆然と眺めた。便所から戻った連れも同じ気持ちになったらしく、財布の中身を確認して俥夫を一人呼び止めた。雲ひとつない、真夏日のことだ。

「運がよかったねえ! こっちの方の俥は出払うことが多くてね、たまたま戻ってきたとこだったんだよ」

 俺と連れの男が乗り込み荷物を手渡してもらう間、よく肌が焼けた俥夫は元気に喋り続けていた。汗も最低限手ぬぐいで拭くばかりで、笑う顔が日差しでつやつやと光っている。

眼鏡とシャツを揃えた、屋内勤務の雰囲気を醸す連れとは大違いだ。彼は暑さでほとんど参っている男を気遣いながら、最後の一人は俺の膝の上でいいのかと、問いかけるような視線が向いた。

 連れは、隣の男の他に少年がいた。学生の真似事のような服を着て、眩しいのか目元に手庇を作っている。彼は自分が話題に上ったのを聞き取ると、いいえと口だけ動かした。

「僕は別の予定があるので、ここまでです」

「そうかい?」

 俥夫の確認に頷くと、そういうことならと彼は柄を握った。ゆっくり走り出して遠退く少年に、俺は片手を挙げて振った。少年は丁寧に頭を下げて、別の道を歩いていった。

 目で追いかけたその背中があっという間に見えなくなり、人混みからの脱出も無事に果たされた。いくらか静かになった通りを走りながら、俥夫が今さら行き先を尋ねてきた。風で涼を取り微動だにしない連れを引っぱたくと、呻き声と共にしっとりとした端書きが出てきた。それそのまま俥夫へ渡せば、一目見ただけで俥は速さを増していった。

「なんか、結構普通だよな」

 高い位置から人や街を見渡しながら話しかけると、連れは目の上の手拭いをどけて横目に同じ景色を見た。常々口が悪い男からどんな言葉が飛び出すかと待ち構えたものの、連れは二つ返事をしたのみでまた手拭いを戻してしまった。相当へばっているのだろうと判断して、それ以上話しかけるのはやめておくことにした。

 代わりに俥夫が、黙った後ろを気にして話をいくつか振ってくれた。安くてうまい定食屋は東区に集中しているとか、土産を買うならいい和菓子屋があるとか。とにかく食べ物の話ばかりだったが、これから住む街の情報はとにかく有り難かった。俥夫が最後まで観光客と勘違いしていたのは黙っておいた。

 到着を知らされて降りたのは、俥夫の話の中に度々登場した広場だった。昔と変わりなく、中央に噴水と四区の方向を示す看板が鎮座していた。広場の周辺は様々な店が立ち並び、平日でも人の往来が多いようだった。しかし、行き先は新しい家のはずだったんだが。賑わいに一頻り目を楽しませてから我に返ると、俥夫から「ここから南区をまっすぐ行って……」から始まる道案内を受けた。俥が入れないために、ここで降ろす運びとなったようだ。連れが支払いを済ませると、元気な俥夫は元気に礼を言って、元来た道を走り去っていった。

「物々しいな……」

「先生が手紙に書いてたやつってあれかね」

 腰が痛むのか、押さえながら広場の反対側を眺めていた連れが、ぼんやりと呟いた。釣られて目を向けると、白い軍服の集団が忙しなく動き回っていた。道行く人々は慣れているようで、しかし若干遠巻きにしながら集団の動向を気にしているようだ。

 俺たちは、巻き込まれては困ると足早にその場を離れることにした。どうせ先生への挨拶をしに、また広場へ戻るのだ。それなら、荷物のない身軽な状態で軍服集団を観察したい。

 俥夫の案内通りに南区を進み、時間にして十五分程度。多少年季が入った家々の並びに、目的の新居が立っていた。目立つよう赤茶色の屋根に塗り替えておいてくれと、連れが頼んでおいた通りに塗装が施されており、鮮やかな色が目に入る。迷子予防だというが、目立ち過ぎが否めない。若干引いた思いで新しい家を仰いでいると、前から聞き慣れた声が出迎えた。

「お疲れさまです。……荷物、運んでおきますね」

 駅で別れた少年が、帽子の鍔を軽くつまみながら駆け寄ってきた。相も変わらず俥よりも早い徒歩と、軽々と荷物を抱える様子に思わず苦笑が漏れる。連れが投げ渡した鍵を器用に受け取って、少年はさっさと中へ消えていった。

「土産買って、挨拶回りからだな」

 連れが手で汗を拭って、あと着替え……と力なく呟いて少年の後に続いた。この屋根だけぴかぴかな古い家と、ぐだぐだな流れのまま始まる新生活。

「やっぱ導入はもうちょっと派手であるべきだよなあ」

 言うのとは裏腹に胸躍らせつつ、俺も自室の確保のために家の中へ飛び込んだ。



 外ですったもんだやっていた戦争が終わって早数年、世界は劇的に変わった。――とはいっても実感するものは景気くらいで、庶民の生活はそう簡単には変わらない。土台を支える働き蟻が対応しきれずばたばた死んだら、国は成り立たないし女王様は困るだろ。妙な比喩を交えながら、連れの男は毒を吐いた。

 実際のところ、対応しきれていない部分は多くある。国の方針もほとんど後手後手で、諸外国に倣う形で、ある政策が導入された。しかしそれは大半の庶民には関係がなく、興味もほとんど惹かず、やはり働き蟻は天変地異からも蚊帳の外へ追いやられているのだった。

 今、最も世界が変わったのは創作を生業にする芸術家たち。そして、数多くの作品に魅せられて彼らを目指す、小さな芸術家のたまごたちだ。「才能」という単語ひとつで左右される彼らの人生を描くなら、ここ芸術の都以外あるはずがない。俺はそんな期待と先入観を一心に、昔飛び出した街へ戻ってきた。

 これは、才能が物に近い形で扱えるようになった話だ。

 

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