2-2 蛹
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長い悪夢を見ているだけなら大歓迎だった。でも、身体は腹部から太腿を中心に悲鳴を上げていて、どうやらアレは現実のようだった。
「っ…」
筋肉痛や捻挫とは違う。身体を起こそうともしていないのに、意識が戻っただけで痛みが走る。
人間とはなんて便利なのだろう。死なない程度の痛みが身体にもたらされれば、気絶し、その間、痛みを鈍くしてくれる。
まだ視界が霞む中で、目だけを精一杯動かす。
少ない情報で分かったのは、二つ。
一つは、俺がもう戦場にいない事。当然と言えば当然だ。もしまだあそこに居たとしたら、俺は既に食われて、死んでいるはずだ。
もう一つは、治療がされている事だが、これが大きな疑問だった。あいつにくれてやったのは、最後の一撃だけとは言え、俺は恐らく特殊組織最強だ。その俺が負けた相手から俺を救う事など出来るのだろうか。
死んだと思われて、血だけ吸っていった…?
その後、救助された可能性。…いや、それはない。あいつは親父さんに殴られたダメージを残骸を食って回復していた。
しかも時間をかけて多くの量を食べていた事から察するに少量の血で健康な肉に再構築は不可能と予想すれば、俺が生きてるくらいの血の量じゃ足りなかったはずだ。
だとしたら…
「あれ?もう起きてるじゃない」
思考を邪魔するように、白い天井だけが映っていた視界に男がヌッと入り込む。
「うわ…ぅぅ…」
驚いた。だから素っ頓狂な声でも上げるのかと、自分の身体の反応を予想したが、痛みで思うように声が上げられなかった。少しビクついたせいで患部の鈍かった痛みが全身を貫く鋭い痛みに変わる。
「いっ…いっぃ!」
反射だ。痛みを脳が感じ取ると、その脅威から逃れようと身体を勝手に動かすアレ。アレだ。その連鎖だ。その…あの…痛みで頭が回らない。
とにかく端から見たら勝手にのたうち回る異様な人間に見えるのは、間違いないだろう。
現に痛みで小刻みに身体が踊る中、この現象を起こした張本人の顔を見たら「なにやってんだこいつ」とでも言いたげな苦笑いを浮かべていた。
暫く、また失神するんじゃないかという程の激痛を身体に受け続けた。失神する前に増幅の存在を思い出す。使ってみると先ほどの激痛と比べれば何のことはない痛みになり、身体はあっさりおとなしくなった。
「落ち着いたようだね」
「あなたは…今朝の…」
「うん。覚えててくれて嬉しいよ」
名前は確か、ジョージ。この戦争状態の中、中々見ることの無い外国人だから顔は良く覚えている。この人から俺の『強奪』が吸生蚊の幼虫の特性に良く似ているという話を聞いた。
…疑問だ。まさかこの人が俺を助けたとは思えない。研究員として配属される人間に戦闘能力を持つ者は基本的にいないとは、組織を案内された時に聞いた話。もしかしたら外国はその限りでも無いのかもしれない。
それかただ治療をしてくれただけか。思えば、幼虫の話は、面白かったが世間話程度の内容だった。研究員でも治療に回される程に、まだろくに仕事が無いのかもしれない。
「俺を救出したのは、誰ですか?」
長い話は必要ない。単刀直入に聞いた。もしあいつがいる場面を仮定し、そこから俺を救出できる奴がいるなら、是非会いたい。お礼をする為じゃない。そんなものは片手間に、あいつを殺す算段を練りたいのだ。
「僕…正確には、彼だよ」
「彼?」
「あそこに立ってる」
そうジョージ博士が手を向けた先には男が立っていた。こちらに背を向けて書類を整理していて、会話で紹介されているのにも気付いていない様子だった。
気付いていない事に気付いた博士は「ちょっといいかな〜」と声をかける。
振り向いた男は、三日前に会った奴で、昨日電話をしていた奴だった。懐かしくないのに何故か懐かしく思えるのは、そいつが死んだと聞かされていたからだろう。もう一度会いたいと思う気持ちが懐かしくさせたのかもしれない。
その男は、町田だった。
「町田…なのか?」
「何度見ても面白いね。その驚いた顔」
「博士、彼も吸生蚊と同じで俺を知ってるんですか?」
何を言ってるんだ。知ってる処じゃないだろう。ふざけているのか。
「あぁそうさ。二人…正確には一人と一匹は、一個前の君の友人だった」
「なるほど。博士が言ってた友人ってそういう事だったんですね。そりゃあ二人共驚く訳だ」
二人が何を言ってるのか、俺には理解出来なかった。ただ、目の前に町田がいて、そいつはどうやら俺のことをさっぱり覚えていないという事実だけは、飲み込めた。
いや、何も飲み込めてなどいない。死んだはずの町田がいる事実も、仮に生きていたとして俺の事を忘れてる理由も何も飲み込めない。
「…記憶喪失?」
「正解だ。ただ記憶喪失というと受身に聞こえるよね。記憶喪失『してしまった』って」
「…?」
「彼はね、忘れたんだ。自ら」
「故意に記憶なんか忘れるものか」
「そういう能力だとしたら?」
町田の能力は増幅のはずだ。機構から特殊組織に与えられたデータの中にそう書いてあったし、実際あいつも使っていた。
「町田の能力は増幅でしょ」
増幅に記憶を失くす力は無いはずだ。仮に出来る方法があったとして、青梅さんじゃあるまいし、昨日手に入れたばかりの能力をそこまで使いこなせる訳がない。
「特殊なケースであれば、能力は複数持てる。君も良く分かっているだろう」
…強奪。確かに俺は、特殊なケースを持って、複数の能力をこの身に宿す。しかし、町田も特殊で、記憶を失くす能力を持っていたとしても…。
「自分で記憶を消す理由には、ならない」
「最もだ。唐突に質問。君は死ぬのと記憶が消えるのどっちがマシだと思う?」
死ぬ方がマシだと言いかけたが、その言葉は口を通らなかった。あの死線を、恐怖を経験しても『強奪』の本能は吸生蚊を殺す事だけを考えていた。記憶が消えても、本能が殺すべき相手を教えてくれるのなら俺は記憶が消える方を選ぶだろう。
「彼は、一度死んだ。それが能力『転生』のトリガー。大切に思う物に関係する記憶の一切を消す事を選択すれば、もう一度身体に命を宿すことが出来る」
信じられなかった。博士と町田が結託して俺を騙そうとしている事を願った。沈黙の中、待てども「ドッキリ」の一言が出ないのは、それらが本当の話である事を示していた。
目の前のニヤケ面も、嘘を言ってるような顔では無かったし、奥で立っている嘘が下手で、すぐ顔に出る見知った顔も、何も可笑しい事など無いような日常の1ページという言葉がふさわしい顔をしている。
町田が生きていたのは嬉しい事でも、俺達の事を忘れているなら、俺達にとっては死んだも同然じゃないか。
そもそも、町田を殺された事に怒っていたのは?
いつの間にか町田の事なんか忘れて、殺す事を目的にしてはいなかったか?
俺は生きてる友達の敵討ちと出て打って、実際は本能のまま友達を殺そうとしただけ?
でも俺達の知ってる町田は殺されたんだから、敵討ちであってるのか?
思考が出来ない俺は、取り敢えず湧く疑問を小刻みにぶつけるしか無かった。痛む身体のせいで壁も殴れない代わりと言わんばかりに。
ボロが出れば、ドッキリになる。抗いたい。悪夢から抜け出したい。
「増幅は!?増幅は確かに町田のものだろう!」
「そうだって言ったろう」
「俺みたいに奪った訳じゃ無ければどうして持ってる!」
「一個前の君との記憶を持つ彼に発現した能力だ」
「なら今の町田は違う能力なのか!?」
「強くてニューゲームって知ってるかい?日本のアニメ文化に良くあるものだが、その現象が表現にふさわしい。一個前の彼の能力も引き継ぐ」
荒ぶる俺に、丁寧に迷いなく答える博士と冷めた目を向ける町田。
「なんで、あんたと町田が一緒にいる!?」
「君と同じ吸生蚊の生態に似た能力を持ってるから」
早くボロが出ないと俺は…。
「生き返る事と吸生蚊に接点があるのか!」
「君知ってる?蚊にも蛹がいるの。漏れずに吸生蚊にも居てね、その特性は…」
「…」
「共喰いして生き残った後、食った幼虫の数だけ死ねるんだ。より、身体を強くして…」
吸生蚊の生態の話になると、俺の沈黙を他所に、目を輝かせて一方的に話している。壊れた。
「…という訳なんだよ。そうだねぇ君の能力を幼虫と例えたように町田君の能力を称すると…蛹。これがふさわしい」
この人がじゃない。
「博士、もう聞いてませんよ。この人」
俺が。