2-1 修羅
僕の左脚の太ももから膝にかけて冷たい鉛の弾が馳ける。
その鉛弾は、段々と熱を帯びて行き、それの通り道からジンジンと激しい痛みが身体中に広がる。
それと同時に、敵の位置を予測。無事な方の足に増強を掛けて、その位置に一気に近付く。
何も無い…正確には誰も居ない、人が一人座れそうな木の枝があるだけの場所に邪炎を叩き込む。
「何も無い」場所から赤黒い液体が噴出すると、予測が間違って居なかった事を確信した。
「噴出した血が同化して無いのを見ると、自分と接触してる物質の色を景色と同化させるってとこかな」
「化物め…」
「化物結構。だから僕は君に勝てた」
観念したのか、掴んでいた透明から、人間が浮き出てくる。情報通り、こいつの能力は『迷彩』。まだ持ってない能力。
「いただきます」
腹が減ってしょうがない訳じゃない僕は、出来るだけ苦しまないように首を切り離して、その断面から血を啜った。
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ありふれたバーのカウンターの中で少し埃被ったグラスを、真っ白な布巾で念入りに拭う男、小平虎之助は、裏社会に精通する情報屋。
客の来ないバーの店長をしているのは、本人曰く「合コンでモテそうだから」。金の節操がない彼の一つの道楽だった。
一等地に構えた彼の店には、開店当初こそ客が入ったが、カクテルの一つも出来ず、客に出すのは自分が好きという理由だけで市販の缶ビールのみ。悪評が広まるのに時間はかからずあっという間にもぬけの殻と化した店に通うのは、裏に生きる人間だけになった。
「小平さん、終わったよ」
「おー昭島。そうみたいだな俺も今さっき聞いたとこだよ。お疲れさん」
小平は、既に用意していた修造の取り分の金を渡すと、拭いたグラスに市販のビールを注ぎ、それを修造の席に置いた。
修造は、金を懐に入れるとグラスのビールを一気に飲み干した。
「僕はどうも…洒落たグラスでビールを飲むのは慣れないな」
「歳取りゃ分かるよ。そう何杯もでかいグラスでビールは辛くなるんだ」
「そういうもんかな…」
「そういうもん。んで、来てそうそう悪いんだが、次の依頼が入ってる」
小平は修造に依頼内容の書かれた紙を渡した。修造は渡された紙を一通り見終えると、首を横に振り、その紙を返す。返された小平は、パーマの掛かったボリュームのある髪をわしわしと揉んで、溜息を付いた。
「…また持ってる能力だったのか?」
「そういうこと」
「俺の身にもなれよな…ったく。依頼主にどう言い訳すりゃいいんだ」
二人はビジネスパートナーだった。小平は、その情報網とツテを使って抗争中の暴力団を中心に様々な殺しの依頼を請け負い、その依頼を修造を使って達成し多額の報酬を得る。
修造は持ってない強力な能力を手に入れる為に、殺しを頼まれる程の能力を持つ標的を効率的に狙う事が出来る。
報酬の取り分は小平が8、修造が2だが、元の報酬が大金なのと修造の目的が金に無いのがあって成立していた。その代わり、今の様に情報から既に所有している能力と判断した場合、依頼を断る権利を持っている。
発端は小平が強い能力を持つ者ばかりを狙う背中に翼を生やし、いくつもの能力を使う恐ろしく強い人間がいるという情報を掴んで、会いに行った事から始まった。
話しかけると出会い頭に「お前の能力はいらない」と言われたが、小平はその言葉と集めた情報で修造を第一部隊長を殺ったと都市伝説になっている吸生蚊だと分かった。
すぐさま情報屋を名乗り、強い能力を持つ奴を見つけられると言い放つと、嘘だった場合、命を取られる事を引き換えに交渉に成功。小平は修造の期待に応え、今のビジネスパートナーと呼べるまでの関係になったのだ。
ここまでは小平が思っている話で、修造にとっては別に決め手があった。
修造は自分の事を吸生蚊と知りながら、何人もの人を食べて来た事を知りながらも物怖じせずに話をしてくる小平に、一度こう切り出した事があった。
「俺が怖くないのか?」
この質問をされると小平は、グラスを拭きながら「うーん」と少しわざとらしく唸った後、「正直怖いよ」と気を使うでもなく、言い放った。
「俺は弱いからな。別にお前じゃなくても、こういう仕事に付いてる奴は等しく怖い」
「等しく?」
「お前に食われて死のうが、誰かに刺されて死のうが変わらねぇって事」
「かなり違うと思うが」
「同じさ。言ったろ。俺は弱いんだ。お前よりだいぶ弱い奴でも俺は瞬殺されるんだ。何も変わらねぇ」
「いや、そうじゃなくて、ほら化物的な意味で…」
「お前は話せば通じるだろ。俺にとっちゃ話の通じない暴力団の方がよっぽど化物に見えるぜ」
「…もういいや」
修造は、この会話で小平が表面だけで接する人間では無いと感じたのだ。もしかしたら仕事の関係上、感覚が鈍ってるかネジが一本壊れた人間なのかもしれなかったが、人間でも化物でもなく、自分を昭島修造という個として向き合ってくる人間は、久し振りだった。
母親が自殺し、親父が死に、親友二人を無くした。
吸生蚊として生きると決めたはずなのに、修造を捨てたはずなのに、捨てられない記憶は、どうしようもなくそれに飢えていたのだ。
「小平さん、ビールくれませんか?」
「お?いや良いんだけど…急に敬語で気持ち悪りぃな」
「いいからくれよ。小平さん」
「それならまぁ…」
正直本心は分からなかった。情報屋というくらいだから化物の心を掴み話術も心得ているのかもしれない。それでも、修造は彼に懐いてしまったのだった。
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吸生蚊討伐軍。二ヶ月前特殊組織内に突如として設立された吸生蚊の研究及び討伐を行う為の軍。
その規格は、特殊組織の他の軍及び隊と比較しても巨大で、特殊組織至上最強の部隊と呼ばれた第一部隊を実質吸収している事から戦闘力最強を誇る。
また、能力開発機構日本支部総帥の多摩正義が発案し、後ろ盾となっている事で発言権もトップに君臨。
特殊組織正規軍を押し退け、実質特殊組織の正規軍となった。
10の部隊から編成され、第一部隊の者を筆頭に、治安維持組織、自衛組織、特殊組織の全隊員から能力の強弱関係なく高い戦闘実績を持つ者が集められている。
そしてそれらの部隊を統括する軍団長は、軍の最優先標的である人間態吸生蚊と一対一での戦闘を繰り広げ第一部隊を逃し、自身も生還を果たした第一部隊最後の部隊長にして、就任初日に第一部隊を解散させた張本人、保谷龍二。
彼の第一部隊長就任も解散も吸生蚊討伐軍団長任命も全て多摩正義が取り仕切ったとされている。
入隊二ヶ月の新参者の異例の大命に、当初、特殊組織内だけでなく能力開発機構内からも反対の声が上がったが、反対派の重役と多摩、そして保谷を交えた内容非公開の会議を開くと、その声は無くなる。
その後改めて満場一致で就任を認められると、保谷は副軍団長に町田力也を指名。彼に到っては、今までどの組織にも一日足りとも所属して居なかったが、最早、誰も口を出す事は無かった。
続いて、元敵国の研究員であったミラー・ジョージが専属研究長に指名されると、機構及び組織内からは、国の行く末を憂う者、最早状況を楽しむ者、国への忠誠心を無くし給料が出れば良いという者、様々な思想が現れる。中には国の管理から抜け出し行方を眩ました実力者も居た。
ここまでが吸生蚊討伐軍が発足されてから一週間の出来事であった。
しかし、討伐軍への不信感は、たった一回の戦争で拭われる事になる。
長らく日本と領地を争ってきた隣国、中華国と停滞状態にあった戦地に赴き、数十年落とせなかった難攻不落の拠点を二日で落とすと、その勢いのまま三日目には重要領地を制圧したのだ。
これにより討伐軍は名実を揃える。隊員の士気は上がり、組織内は討伐軍一色のムードに変わる。
その戦争時、20歳の若者二人が鬼神の如き活躍をしたと民衆にも噂が流れ、世の中の若者の考え方が大きく戦闘、戦争に傾く事となった。
特殊組織至上最強と謳われた立川義弘の名は、第一部隊という名称と共に二人の若き軍神の前に霞んで行く事となる。
「町田、お前あの戦争で何回死んだ?」
「もしかして保谷さん、心配してくれてます?」
「龍二で良いと言ったろう」
「俺達、下の名前で呼ぶほど仲良くないでしょ」
「…」
「俺は彼を捕獲する為。あんたは彼を殺す為。目指す所は同じでも目的は違うんでね。改めない限り、仲良くする事は無いです」
「…そうか」
「保谷と町田が軍神…。戦争で何人奪いやがった」
「どうした昭島。まさか知り合いか?」
「いえ、もう知らないです」
「そうか。まぁ深くは聞かんよ」
かつてただの友達同士だった三人は、それぞれの思惑を持ち、別々の修羅を歩む一人となった。