1-終 異変
「ジョージ博士、彼(保谷)がもう一人の研究対象ですか?」
「そうだよ。己に幼虫を発言させた君の友達さ」
「友達…研究対象仲間って事ですか」
「うーん。そういう意味でもあるし、そういう意味でもない」
間違いない。顔も声も間違いない。荒々しい口調は形を潜め、違和感たっぷりの丁寧な口調で喋っている事とらしくも無く考え込む姿以外は町田だった。
「あの人が吸生蚊ですよね。捕獲しますか?」
「残念だが君はまだ彼には勝てない。負けもしないけどね」
「そうですか。ならあの三体転がってる死体と保谷持って早いとこ帰りましょう」
「随分と執着しないね。一応アレも君の友達だよ」
「ですから研究対象としてしょう」
「そういう意味でもあるし、そういう意味でもないね」
「もういいですソレ」
僕に怨み事を言うでもなく、さして気にする様子もなく、二人は勝手に話を進めていた。どうやら僕をどうこうする気も無く、保谷の回収のみが目的らしかった。
増幅があるという事は、町田を食ったという事だ。本能が教えてくれた事。でも直接確認した訳じゃない。食べた記憶がある訳では無かった。
「なんで町田が生きている。僕が食べて殺したはずだ」
「吸生蚊の本能は教えてくれないの?」
「本能は食べたと言ってる。だから聞いてる」
「聞くけどさ一般論で蚊のご飯ってなに?」
「あ…」
「うん。血だよね。蚊に取っては血を吸ったら食べた事になるよね」
「じゃあ僕は町田の血を吸っただけで殺してはいなかったって事か?」
「いや殺したよ。一回殺した。その後、僕が回収した」
意味が分からない。さっきからこの男の言葉はどうも抽象的で、答えを言うだけで過程が一切ない。質問に質問で返す常に上から目線で鼻に付く奴だ。
怪訝な表情をしていたであろう僕の心情を察知したのか、白衣の男は嫌味な笑みを浮かべる。町田の自慢する時の顔に少し似てたのが、僕をイラつかせた。
「交戦しないのに挑発するの辞めてくださいよ博士。…すいませんね。この人こんなだから周囲にはマジキチジョージ博士なんて呼ばれてて」
「え?そうなの?初めて聞いたよ?酷くない?」
「もういいでしょ。いきましょうマジキチジョージ博士」
「ねぇ。マジで辞めて。それ傷付くよ?分かった。もう帰るからそれもう辞めて」
彼等の会話で成人式前までの僕達の会話を思い出した。いつもこんな調子で話していた。それを僕が壊したと考えていると自然と涙が流れた。
「待って…」
「ごめんね。またもし会ったら続きを話そう」
諦めた修造という器が最後に零した水は、担がれた保谷にも担ぐ町田にも届く事は無い。「次に会ったら謝ろう」という修造が誓った決意は、吸生蚊の僕の口から出る事は無かった。
白衣の男と楽しげに喋る町田の背中に見える僕への興味の無さと担がれた保谷の僕を睨んでるようにも見える目が、零した水の意味が決別である事を指していた。
奴等の気配が無くなるまで力を振り絞って身体を立たせていた脚も、どうやら限界が来たみたいで、僕は積み木のように崩れて、意識を失った。
》》》
空は、葬式に参列した全員の心中を代弁する曇天だった。灰色に染まった世界は喪失を。木々を騒がせる風は不整理を表す。雨が降りそうで降らないのは、葬式の主役達が涙を嫌ったからだろう。
青梅真三郎自衛大佐、昭島忠彦自衛中佐、立川義弘特殊組織第一部隊長、三名の葬式には、その勇姿を知るものが多く集った。
「保谷はどうした?」
「見てない。しょうがないとはいえ自分の手でやった手前、顔が出しずらいのよ」
「…馬鹿野郎が。何人の命守ったと思ってやがる」
「怪我も回復したって聞いてたけど」
「特殊組織の医療班は優秀だな。戦場にもどうにかきてくれりゃ助かるんだが」
「…護衛で戦力が削がれる。本末転倒よ」
あの戦いの後、暫くして保谷が生還したという情報が第一部隊に入った。
その情報を聞いて治療室に駆け付けた一行が目にしたのは、ボロボロだったが意識はあるらしく、痛みに苦悶の表情を浮かべる保谷だった。
隊員の何人かは「よくやった」と声を掛けたが、痛みで答える余裕が無いのか、そもそも心ここに在らずと聞こえていないのか、保谷は何も答えなかった。
声を掛けなかった、否、声を掛けられなかった隊員が数人居たのは、苦悶の表情の中に治療室の外の誰かへ向けた殺意の宿る目を見たから。口が裂けても賞賛の言葉は言えない。それを言って無事である自信が無かった。
感謝をしていたはずなのに目だけでこれだけの殺意を放つ人間に、奪う目をした人間に守られたという事に、収まらない鳥肌と違和感を感じてしまっていた。より長く修羅場を潜り抜けた隊員に顕著に症状が現れた。
症状が出なかったのは、「よくやった」と声を掛ける入隊年数の短い隊員。そして副隊長の東村山彦と切り込み隊長の東大和音の二人だった。後者二人は、保谷の放つ殺気を感じながらも意識的にそれを抑えていた。
立川義弘の両腕として幾度もの修羅場を最前線で切り抜けた二人は、戦場の中で立川の指示を聞き逃さず、即実行する為に自分の気持ちやある程度の恐怖を殺す術を知っていた。命令されたと言う事実だけを見る。現状に置き換えても保谷の本心がどうであれ、立川の命令と自分達の命守ってくれた事実だけを見る事が出来た。
「東村殿、東大殿、辞令書です」
「こんな時に辞令?上は何考えてんだ」
「それが…この場を借りて後任の就任式を行うと…」
「英雄三人の葬式で…笑えないわね」
場内に就任式のアナウンスが流れる。自衛組織大佐と自衛組織中佐の後任が意気込みと今後の方針と共に紹介された。それぞれ締めの言葉に「故、偉大な前任者の前で宣言致します」と出来るだけ会場のヘイトを集めないように付け加える。
次は特殊組織第一部隊長の発表という時、二人はある事に気付く。新任の大佐と中佐が前に呼ばれているのに何故自分達はここにいるのかという事に。他所者がこの部隊の隊長を任されて務まるはずもない。東村は後任は恐らく自分だろうと思っていた。
驕っている訳では無かった。第一部隊の特別規定には「役職者が何らかの事由で、その役目を続行出来ない場合、後任者は第一部隊から指名する」と明記されているからだった。
自分と思ったのに「恐らく」と付けたのは、和音の存在があったから。状況把握優れた彼女なら、隊長職は自分より適任だと思った事もあったからだった。でも、その彼女も呼ばれておらず、自分と同じく不思議な顔をしていたのだ。その時点で自分達ではない事が分かる。
前に目を向けると後任者と思わしき人物が袖から歩いてくる。お偉方が前の席を独占して、後部に居た二人からは、その人物の顔は群衆の身体の隙間から見え隠れする程度で、ハッキリと確認できずにいた。
歩く本人が、俯き気味だったのもあいまって、その人物が誰なのか確認できるまでに少しの時間を要した。気が気でない二人にとっては少しの時間は、長い時間に感じる。
そうして会場全員が見える位置に立つと、その姿は、就任式らしからぬ顔であいも変わらず殺気を放つ、保谷龍二に他ならなかった。
「保谷…!?」
「どういう事…!?」
二人は慌てて渡された辞令書の封を開けて、内容を確認した。
「この度、特殊組織第一部隊、部隊長の命を受けました。保谷龍二です」
貴殿、東村山彦を特殊組織第一部隊、副部隊長の任から解く。
「そしてこの場で、特殊組織第一部隊特別規定第六項に基づき、部隊長権限を使用してー」
貴殿、東大和音を特殊組織第一部隊、先導部隊長の任から解く。
「第一部隊を解散致します」
会場にどよめきの声が広がる中、二人は声をあげる事すら出来ず、ただ保谷を見つめる事しか出来なかった。