1-13 観察
保谷は吸生蚊の幼虫じゃない。吸生蚊だから分かるとか、感が告げているとかそういう事無しの客観的事実。
幼虫は、生き残れない。
最終的に成虫になるか、他の幼虫の餌になるか、成虫になる為の部品を集めきれず死ぬ。
この三つの選択肢以外に道は無いからだ。
保谷の言う幼虫とは、吸生蚊の幼虫に似た能力『強奪』の比喩表現と考察できる…が、それでは能力を使いこなして戦える事の説明がつかない。
あの三人が教えたという線。僕の増幅された火花や邪炎を見て、ある程度どう作用するか予測するくらいなら不可能じゃない。しかし、あそこまで的確に僕の方へ向かって、できるだけ隙を少なく、細かい能力の使い方ができるだろうか。
僕は増幅した『達観』をフルに使って客観的かつ冷静に状況を判断して能力を身体を使っている。
そもそも僕の知る保谷龍二という男は、教えられた事をすぐ実践できる程、器用では無かった。
某漫画の不思議な部屋と同じシステムの場所で訓練した線。現実世界では一日しか経っていないが、保谷は一ヶ月訓練していたというのは…これだけの情報社会でも未だに実体が掴めない能力開発機構ならそんな部屋もあるのではないか。
あり得ない…少しぶっ飛んだ考えだった。いくら長く訓練しようが能力の無い状態で訓練して、何故能力を使いこなす事が出来るだろうか。
僕や保谷のような特殊なケースを除いて、能力は一人に一つ。一日で専用の装置が作られる訳がないし、そもそも保谷が能力を三つ手に入れたも、特殊組織が予想を遥かに越えて僕に苦戦したから…偶然じゃないか。
保谷の言っていた能力の本能とやらが無意識に身体を動かしている線。僕が保谷の攻撃を避ける度に「逃げるな!」「ぶっ殺してやる!」と喉を潰しそうな怒鳴り声で叫ぶ…保谷はあんなに叫んだりするような奴だったか?
今日会ったばかりの時、僕を蚊と言った時だってあそこまで感情を剥き出していたか?あの時が怒りのピークのはずだ。町田を僕が食ったと知って初めて顔を合わせた時なのだから。
もし能力が本能を持っていて、その本能に従って身体を動かしているのだとしたら。
思えば、保谷の表情は僕が達観で見ていた僕の混乱状態の時に少し似ている。余裕なんてない積み重ねてきた人間の仮面を捨てた必死の形相。
違う所を挙げるとすれば、僕が何が何でも生き残るという表情だったのに対して、保谷は何が何でも奪ってやるって表情だ。
能力の本能で動いてる線、これが一番近いかもしれない。
それなら僕は知っている。本能で動く時の弱点。本能と冷静を使い分けてた僕なら分かる。
保谷が僕に向かって動き出す。それを何回も繰り返した動作で身体を二つ分左右のどちらかに逸らす…と思うだろうな保谷は。
僕は保谷が動いたタイミングで増幅により体重を増加し、急降下した。
「この!逃げる…?…下!」
保谷も急降下する。しかし、いつもと違う、僕が左右に居ない景色に若干の遅延が生じる。
本能は動物だ。いつもの餌場に餌が無ければ戸惑うだろ。いつもの水飲み場に水が無ければ戸惑うだろ。野生の猛獣だって仕込めるんだ。仕込まれたパターンの変化には弱い!
しっかり訓練された特殊組織だからこそ、攻撃パターンが読めた。攻撃中も状況に応じてパターンに変化を加えてくる大柄な男の攻撃だけは反応が遅れて、的確に防御仕切れずダメージを受けた。
「馬鹿が!この程度の距離なら、今更翼で避けても間に合わない!」
翼で避けるつもりはない。僕は邪炎を右手に纏わせるとそれをコンクリートの地面に向かってぶつけた。邪炎『では』人一人が丸々収まる程の穴を開けた。
「何かと思えば墓穴作りかよ。じゃあな修造。貰うぜ。特性」
「ぐぁっ…!」
僕に向かってきてからずっと手に纏っていた『雷光』を、穴に叩き込みながら保谷言う。
その衝撃で保谷曰く、僕の墓穴が更に深くなる。
その衝撃で僕には強い痛みが走る。
但しー
「翼…だけ?修造は…」
「雷光は眩しかったろ?保谷」
「っ!?修ぞ…っ!!!」
僕は邪炎を逃げ場の無い穴の中で保谷に全力で叩きつけた。保谷は穴の壁に大きな穴を開けて動かなくなった。
すぐに息があるか確認しにいける程、僕も余裕は無かった。
青梅さんが急降下で開けた穴。その真横に、穴が繋がるように僕は穴を開けた。邪炎『では』一人分、青梅さんが開けたのと合わせて二人分の穴。僕はすぐにもう一つの穴に身体を移した。保谷の目の前に常にある眩しい光を盾にして。翼だけは間に合わなかったが。雷光で焼き切られた翼の断面が熱く痛む。激痛だ。
僕を殺す事しか考えない本能は、普段以上の力を引き出した。
僕の生き残るという本能は、冷静な僕をも巻き込んで、負けない手段を常に考察した。
「本能の違い。それが成虫になれた奴と幼虫で死んだ奴の違いなのかもな」
保谷を食べて終わりだ。特殊組織の精鋭達が倒せなかった僕は何者にも止められない。僕はただ食べて強くなって生き残るだけだ。
「うーん。成る程。面白い考察だね。是非研究してみたい。それには確証が持てる程、実験を繰り返す必要がある」
痛みを堪えて身体を引きずり、保谷の首元に口を付けようとした瞬間、上から声が聞こえた。
上を向くと外人で白衣を着た男が楽しげな顔で僕を覗いていた。自由研究で虫カゴの中の生き物を観察する小学生のように。
「そういうことだから、保谷君は食べさせてあげられない」
「…!?」
そいつに顔を向けている一瞬だった。さっきまで保谷がいた所には、大きな穴だけが残っていて保谷の姿は無くなっていた。
「…あんたの能力?」
「違うよ。君も良く知ってる人間の能力さ」
「…誰だよ。僕の良く知ってる人間は、みんな死んだぞ」
「酷い事言うなぁ。死んでないよ保谷君も…」
もういい。さっさとこいつを殺して、保谷を食べる。まどろっこしいのは嫌いじゃないけど、身体の状態を考えれば話は別だ。
そう思って穴から出た僕の目に映ったのは、穴の中から見るよりでかいと思った白衣の男とボロボロの保谷を背負った、僕が良く知ってる人物だった。
「町田君もね」
僕が食べ殺した親友。町田の姿だった。
「町田…!?」