1-10 容れ物
「立川、良く戦線を維持した」
「辞めてください忠彦さん。俺は最低です」
「本当だよ。義弘、おめぇーは人間として最低だ。忠彦を巻き込みやがった」
「…はい」
「それでも隊長としては最高の働きだ。そこだけは褒めてやる」
「!…ありがとうございます。青梅隊長」
「いやもう隊長じゃねーから。おめーだから」
「また戦場に立つ日が来るとはね。しかも相手も相手だ」
「忠彦、来たからには手を抜く事は許さねぇぞ」
「わかってますよ。特殊組織現役だった時みたいに動けるかは別の話ですが」
「あー…ちげぇねぇ」
「謙遜は辞めてください。俺はあの時のように援護に回ります」
あの大柄な男、父さんや青梅さんから立川と呼ばれた男が父さんと青梅さんに応援要請を出していた事は聞いていた。
それでも本当に来るとは思ってなかった。息子の僕と対峙する事を躊躇すると思ったからだ。
そもそも父さんと青梅さんが特殊組織だったなんて聞いた事がない。自衛組織の人間が今更来たところで何が出来るんだ思っていたのもある。
それが今、僕の事をチラリとも見ずに僕をただ倒す為の会話をしてる。まるで倒せるような気で。
僕が物心付いてからちょくちょく家にご飯を食べに来ていた青梅さんも気の良いおっちゃんくらいに思っていた。当時、父さんを呼び捨てで、母さんをちゃん付けで呼んでて5年生くらいのときは少し嫌だったのを覚えている。それが特殊組織の元隊長だなんて。
そして、あの大柄な男。戦闘中、攻撃を喰らわないように一番気を付けていた。火花で防いだつもりでも増幅を施した身体に痛みが走る程の威力を持つあいつが、『あの時のように援護に回ります』…だって?
じゃあ父さんと青梅さんの能力はどれだけ強い?邪炎で相殺すればいけるのか?
ーそもそも僕はなんで父さんと対峙してこんなに冷静なんだ?
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修造の親父が自衛組織中佐、元特殊組織副隊長なんて聞いた事が無かった。隊長が応援要請に昭島なんて苗字を出した時もそんな偶然なんてあるんもんだなと思っていた。
到着してきて、顔を見たら見覚えのある顔だった。修造の家に遊びに行くとたまに見る顔。修造の親父の顔。
俺でも知らされたんだ。対峙する相手が修造だと。親父さんも聞かされた上で覚悟を決めて来たはず。
…どんな気持ちなんだ。友達の俺だって苦しいんだぞ。息子が吸生蚊で、戦わなくちゃいけないってどんな気持ちなんだよ。
「君は修造の友達の…保谷君だったね。すまない。馬鹿息子のせいで辛い思いをさせたらしい」
「…何故来たんです?」
「…それが俺の仕事だからだよ。それに最後くらい一目見たいだろう。機構に研究対象として保護される前に」
「…」
「やめないか?保谷君。君は特殊組織として、俺は自衛組織として目の前の化け物を無力化する。それだけでいい」
「…はい」
一番辛いはずの親父さんが本当に覚悟を決めているのに、俺が躊躇してたら駄目だ。俺に何かできる訳でもない。それでも意識だけは共有する。守られてるからって余計な事を考えずに自分で自分の身は守るつもりでいく。
「それでね。君の能力について、立川から聞いたよ。面白い能力だ。いいかい、もし俺が致命傷を負ったら…」
「分かってます。隊長から命令されました」
「…そうか。やっぱあいつは優秀だ」
修造の親父は、口角をニィと上げて俺の肩を二回叩くと修造に始めて顔を向けた。
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「父さん…なにして…っ!?」
修造が口を開いた瞬間だった。忠彦は目にも止まらぬ速さで修造の懐に入り顔面に拳を一発入れた。増幅で強化されているはずの修造だったが、まるで関係無いかのように目測で2メートル吹っ飛ぶ。
「ぐぅう…ぁあ」
「戦闘中、悠長に隙だらけで会話なんて、随分と格上を気取るじゃないか。修造」
声にならない呻き声を上げて、顔を抑えて地面でのたうち回る修造が抑えた指の隙間から見たのは、およそ普通の人間じゃあり得ない高さで跳躍して自身の真上に居る青梅の姿だった。
「大きくなったな修造君。身体だけじゃない。気も。一番強い気でいるんじゃあないぜ」
青梅の身体が地面に倒れた修造に急降下する。咄嗟に反応した修造は、手を地面に当て、火花で爆発を起こして落ちてくるポイントから身体をずらした。
元々自分がいた場所を見るとコンクリートの地面に人一人分の歪な穴が空いていた。その穴から遠く離れた修造が寝そべる地面まで地割れが届いていた。
土誇りに塗れた青梅が頭を掻きながら、手応えが無い事に驚いた顔をしていた。
「あれ。すげぇ判断だな。…義弘、間違いない。お前の予想通り戦闘経験も構築されてるみたいだな」
「そうですね。忠彦さんの攻撃も紙一重で鼻を、急所を避けてたみたいです」
「あれが戦闘においては旧世代って言われてる能力で、できる戦いなのか…?」
保谷を守る為戦闘に参加していない隊員達は、彼等の戦いぶりに驚きの色を隠せなかった。
忠彦の能力『増強』は、増幅とは似て非なる能力。強化できる場所が腕と脚に限定、一度に1箇所と決まっている代わりに増幅以上の強化幅をもつ。10数年前は戦闘型能力として増幅と共に特殊組織採用能力とされていた。強化箇所の咄嗟の判断が必要となる為、使いこなせる人間が少なく特殊組織採用範囲外能力に改正されたもの。
そして青梅の能力は増幅。町田、もとい修造が持つ能力と同じものだが元の並外れた身体能力と発想で、まるで七色の能力を操るように見える事から『虹の操縦手』の異名を取った。
今、修造に使った技も、脚をを増幅させて地面を蹴り上げ、真上に来た瞬間に自身の体重を増幅させたのだ。増強と同じく、青梅程に使いこなせる人間が居ない事から一般能力として格下げされた能力。
立川から恐ろしく強かったと話は聞いていた隊員達だが、まともには信じずに、あくまで旧世代内での強さと思っていたのだ。それが自分達が対峙していた時より強化された吸生蚊を圧倒している。
「青梅さんと忠彦さんの戦いをよくみとけ!能力に頼り切ったお前らの良い参考になる!」
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顔が痛む。なんの躊躇も無く僕を殺そうとしてきやがった。
父さんも、青梅さんも。僕を良く知ってるはずなのに。
保谷も。初っ端から化け物呼ばわりだ。
でも良く分かった。僕はどうやら吸生蚊って化け物を
らしい。人を食べる。町田を殺した。知らない人間も食べた。だから殺そうとしてくる。それは分かった。
何を説明する訳でも無く、それだと分かった途端有無を言わさず殺そうしてくる。そりゃそうだ。人を食べる危険生物を放って置くわけにはいかない。
僕に取っては腹が減って食事をしただけでも、こいつらに取っては人殺し以外の何でも無いのだから。
いや、そもそも腹が減ったから人を食べる事自体おかしいのだ。現に僕は今まで腹が減って人を食べた事があるか。無い。あり得ない。
冷静に考えればあり得ない事を、本能でしょうがないと思ってしまう。異常だ。
最初は、本能で能力を得た事を理解した。どうして能力を得る事が出来るのか、よく理解していなかった。
でも今なら分かる。吸生蚊の特性で僕は町田から知らない人間から特殊組織の隊員から能力と戦闘経験を奪ったのだ。それが出来るのが吸生蚊しかいないというなら言う通り僕は化け物なのだろう。認めるしかなかった。
それでも、素直に殺される事は許されなかった。僕は生き残らなくちゃいけない。冷静な中でもこれだけは譲れない。食べるのも生き残る為、強くなるのも生き残る為、全ての行動が生き残るという目的に集結している。
僕は修造という人間である前に蚊なのだ。血を啜った特殊組組織隊員の肉体も再構築すれば良かった。修造という容れ物に拘る必要も無いのだから。
僕は吸生蚊としてただ、生き残れば良いだけだ。
僕が食い散らかした血肉の匂いに誘われて、鴉が夕焼け空で上も下も赤く染まったを紅一点ならぬ、黒一点で残骸を喰らう。
激痛が走る身体にムチを打ってそれに近付き、クビを掴む。喧しく鳴き声を発する頭に噛み付いた。
「何を……っ!!止めろ!頼む誰でも良いから俺の息子を息子のまま…」
「忠彦さん…!?おい、一斉に掛かれ!なんでもいいから止めろぉ!!」
ーお前がどんな能力になっても俺達は友達だ。お前は気にしいだから一応言っとく
町田。能力を持てなかったら友達じゃないのか?
ーお前の過去なんてどうでもいいし、気にしねーよ
保谷。お前にとって修造は過去になるのか?
「駄目です!間に合いません!」
ー俺はいつでもお前の味方だ修造
「父さん。あの言葉は嘘だったんだね」
「しゅうぞっ…くそ…遅かったか…」
背中に熱いものを感じる。吹く風に僕の知ってる身体以外の場所に大きな抵抗を感じた。
さっきまで背中から差していた夕日が遮られて消えた代わりに、影が増えた。
人型の黒い影の背中から生える大きな二つの大きな黒い影は、驚くべきでもなく僕の予想通りに僕が作った物だった。
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修造が空を飛んでいた。能力でただ浮いている訳でも無ければ、青梅大佐の様に高く飛び上がった訳でもない。
黒い翼を羽ばたかせ、悲しい顔で飛んでいた。
周りのざわつき様からとんでもない強化なのだと気付いた。それでも俺はまた別の事を考えていた。自分の身を守る事だけ考えると決めたはずなのに。
「なんて、羨ましいんだ」
空を飛んでいる事でもない。能力をたくさん使える事でもない。なりたいように慣れる吸生蚊の特性を羨ましいと感じてしまった。
「義弘。これはお前の予想外れだな」
「…奴はあくまで昭島修造の形に拘っていたように思っていました。それが…」
「それでもある程度の予想はしていたんだ。俺らの、いや。あそこで仕留められなかった俺に積がある。忠彦、分かるな?」
「…はい。制空権を取られた以上、俺達三人でも対応して仕切れない処か深傷を負って逃げられる可能性もありますから」
「お二人とも何を…?まさか…!」
「保谷君。俺と大佐を殺して、撤退の殿を努めなさい」
「はい」
即答したのは、この特殊組織の人達を守る為だけじゃない。
俺はどうしようもなく吸生蚊の特性に魅力を感じていた。