1-9 ボーフラ
「奴は邪炎を手に入れた!てめぇの頭がトチ狂っても近付くな!距離を保て!」
近付いてはならない理由は、それだけじゃない。文献で読んだ事がある。吸生蚊が何故、生物に変態しその生物として一生を終える事が出来るのか。本来ならば、身体の使い方や狩りの仕方に群れでの生き方、それらを知らない吸生蚊はその生物として生き残れないはずだ。
答えは至極簡単。吸血した生物の身体だけでなく経験や生き方をも自身に再構築出来るからなのだ。
つまり、仲間を吸血した今の奴の中には特殊組織としての戦闘経験、身体の使い方があると思っていい。
…いや、違うな。あると断定して動く。故に近付けば増幅により強化された邪炎と近接戦闘の経験で殺される。殺されるという事は吸血され、更に危険になる。それだけは避けなければならない。
幸い能力『邪炎』は近距離型の戦闘能力。身体の一部に黒い気を纏って、攻撃の威力を上げるだけでなくその時与えた最大の痛みを一定時間持続させる能力。そして黒い気が広がる範囲分の攻撃リーチを上げるが、申し訳程度だ。
遠距離能力で牽制すれば、一定の距離を保つ事は出来るはず。
そして注目すべきポイントはもう一つ。奴の身体つきに変化が見られない事。
身体的に優れた人間を吸血したはずなのに、体格と…これは目分になってしまうが筋肉量に変化が見られない。理由は分からないが、これも幸運。いくら戦闘経験を再構築したとしてもその動きに身体がついてこれない可能性がある。増幅でカバーは出来るだろうが、さっきまでの速さと想定していれば対処出来ないものじゃない。
もし筋量を再構築され、その身体に増幅を使われていたらと思うとゾッとしてしまう。
あくまで昭島修造という形に拘るか、化け物め。
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「なんで修造はこの人達と戦えてるんだ…!?」
保谷がこの言葉を口にしたのは、隊員の一人が吸血されてからの事ではない。
修造が火花と増幅を駆使して隊を混乱状態に陥れるまで応戦していた時まで遡る。
修造に格闘経験があるなんて聞いた事が無かったし、仮に言わなかっただけでやっていたとしても実戦経験に富む特殊組織の隊とまともにやりあう事など出来るのか。
保谷は自分の記憶を掘り返して、修造のらしき言葉を探っていく。引っ掛かる言葉は思ったより早く出てきた。はやくなんてものじゃなく最近で、最近もいいとこの三日前だった。
胎児だった時の事を覚えているか。
町田が口にした何気ない話題。
ーそうだ。俺と町田が精子だとか言ってからかった。
「白くて、俺も周りもウネウネしてー
ー生き抜くって強い意志があった気がする」
保谷は今までの出来事を整理する。
「昭島修造が蚊で、町田くん…だっけ。君の友達を殺した事までは聞いたね」
「はい。にわかには信じられません。蚊って蚊ですよね?あの…」
「うん。蚊だよ蚊。噛まれると痒い、あの虫。僕、幼体苦手なんだよね。白くてウネウネした…なんつったっつけ?…あぁ!ボーフラ!あれ」
研修中に呼び出され、白衣を着たヤケに日本語が流暢な外人の男に聞いた話だ。
「でも、吸生蚊のボーフラは好きなんだ。あれは面白いよ。幼体同士で殺し合うからね」
「…何故殺し合うんですか?」
白衣の男は、その質問を待ってたと言わんばかりに言葉の雪崩の口火を切った。
「吸生蚊は子供であるボーフラに、吸血した生物を再構築…変態できる特性を丸々遺伝させないんだ。産んだ複数のボーフラにバラバラにして散りばめる。部品のようにね。その代わり対象を殺す事で相手の持つものを奪って自分の物にできる幼体固有の特性を持つ」
「部品を完成させる為に…成体になる為に殺し合うって事ですか」
「君、察しがいいね。吸生蚊が一度に産むボーフラは300から400匹と言われいて、そして晴れて成体になれるボーフラはせいぜい3から4匹と言われている」
「100分の1ですか。厳しいですね」
「そうやって競争させて、生き残るって本能を高めて生存率を上げるって説もある。殺し合いさせてちゃ本末転倒って気もするが…」
ー生き残る意志、生き残る本能これが戦えてた理由?もし隊長の予測通り、戦闘経験を再構築出来ているとしたら…。
保谷は、最悪の事態を想定して一瞬身体を震わせた。心霊映画の佳境に感じる嫌な身震い。
先ほどまでの戦いが戦闘経験や格闘経験に基づく物では無いとしたら、隊員を吸血して経験が上書きされたという表現はおかしくなる。
生き残る強い意志だけで戦っていた修造に、今まで無かった経験が加わるという表現が正しくなる。
隊長の指示通り、距離を保って戦況を維持するのは容易いかもしれない。しかし倒すと、無力化するとなればどうだろう。出来るのだろうか。
保谷は自分の無力を痛感していた。ただ守られているだけ、隊内で激しく怒号が飛び交う中、一人だけこんな考察を出来る余裕があったから。強い人達に囲まれて強くなった気でいたのだ。今、修造を見つけた時のように修造に物が言えるだろうかと考えて、保谷は顔を熱くさせる。
「隊長!青梅大佐と昭島中佐、もう時期到着との事です!」
「そうか!これで形勢は変わる!」
伝令の時にも聞いた知らない名前。ただ昭島という苗字を聞いて、小さな偶然だと思うだけだった。