10 *支える楽器*
未來と茅子は、お馴染みのケーキ屋のテラスで休日の午後を過ごしていた。
ライブハウス〈ROCK HEARTBEAT〉で楽器選びをした数時間後の話である。
注文されたメニューの乗ったトレイを片手に、茅子母が店から出てくる。
「お待たせ、二人とも。……珍しいわね、ケーキを頼まないなんて。太った?」
「違うよ! というか冗談でも年頃の乙女にそういうこと言わないで!」
憤慨する未來を、茅子母は笑って流す。
「ごめんごめん。で、どうしたの?」
「いま、お金貯めてるの。だからしばらくはケーキはお預け」
「あら、こないだまで使うアテがないって言ってたのに」
「これからどれくらいケーキを我慢しなきゃいけないのかと思うと憂鬱だよお」
「ウチとしても、お得意さんがいなくなっちゃうのは困りものねえ。みくちゃんがテラスでケーキ食べてると、それだけでお客さんの入りが違うのよねえ」
「あたし、いつの間にサクラにされてたの!?」
正直すぎるケーキ屋の女将が店内に戻り、テーブルの上のジュースとウインナ・コーヒーをそれぞれ手に取りながら、二人は雑談を再開する。
「というかちぃちゃん、バンドのことパパママに話してないの? あたしがギター買うのも知らなかったみたいだけど」
「うん、ちょっと、機を逃しちゃって……」
甘ったるそうなコーヒーを啜りながら、茅子は後ろめたそうに言う。
両親に黙っていることがあるということも、幼馴染への協力にいまいち踏み切れていないということも、茅子にとっては忸怩たる思いなのだろう。
「まあ、ちぃちゃんのペースでやればいいけどさ。でもモタモタしてると、あたしはどんどん先に行っちゃうよお~。今度マスターさんにギター教えてもらう約束したし!」
「……うん。私も、ちゃんとやるから。置いていかれないように、頑張るね」
「いっしょに頑張っていこ!」
日の当たるテラスで、二人仲睦まじく笑う。
たしかにこの絵面だけで客入りに明確な変化があるというのも納得だった。サクラがケーキを食べていなくとも、つい足を運びたくなってしまうものかもしれない。
「それで、みくちゃん」
改めて。
ケーキ屋の娘は、そんな風に切り出した。
「どうするの、椎葉さんのこと」
「……んんー」
質問に、未來は曖昧な返事しか返せない。
そもそも考えなど、あってないようなものだったのだ。
「ねえ、シイバさん──あたしたちといっしょに、バンドやろーよ!」
そんなことをあの金髪少女に言ってしまったのは、完全に『勢い余って』だった。
彼女の独奏を観て、聴いて、胸の奥から湧き上がる衝動を抑えきれなかったのだ。
この間よりも少ないオーディエンスの中で、この間よりも大きな感動を覚えて。
このひとと一緒にステージに立ちたい──強く、そう思ったのだ。
……まあ、その思いに対する椎葉の返答は、
「やだね。わたしはソロプレーヤーなんだ。それをなんだ、アンタらみたいな素人連中なんかと。あり得ないね」
という割かし辛辣なものだったのだが。
そう言い残して椎葉が会場を後にした直後などは、ステージの上で膝を抱えて打ちひしがれていたものだ。
午後からの公演の準備があるからと、つまみ出されてしまったが。
「でもみくちゃん、こないだまでは、椎葉さんを誘うつもりはないって、言ってたよね。憧れるけど、いっしょにやろうとは、思わないって」
「うん、まあ、そう思ってたんだけど」
そんな風に言っていたのは、単純に『ヤンキーっぽくて怖いから』という理由だった。
だからそういった偏見、先入観を取り除けば、誘わない理由の方が、むしろないのだ。
「昨日楽器屋さんで、親切にしてくれたでしょ? あたし、思ったの。シイバさんって、そんなに怖いひとじゃないんじゃないかな」
「そうだね、見た目は怖いけど、見た目だけで判断するのも、いいことじゃないよね」
「でしょ! だから、どうにかあたしたちのバンドに入ってくれるといいんだけど……」
「あの調子じゃ、難しそうだね」
まさに箸にも棒にも掛からないといった感じだ。
そりゃあ、今までライブハウスでパフォーマンスするようなバンドマンたちの中に混じってドラムを叩いてきたのだから、つい先週思いついたばかりの楽器の演奏もできないバンドに入れというのも些か無理のある話だが。
「んん、あたしたちが下手だから、入ってくれないのかなあ」
「まあ、椎葉さんの言葉をそのまま取るなら、そういうことになるね」
「だったらものすごい特訓して、シイバさんが感嘆するほど上手くなれば、入ってくれるかな?」
「そう、上手くいくとは、思えないけど……」
そもそも『上手い』というのは前提条件なのだ。その上で、椎葉が入りたくなるような、そんなバンドにならなくてはならない。
「シイバさんが入りたくなるようなバンド……って、どんなんだろう?」
空のグラスに立てられたストローを唇でいじりながら、未來は頭をひねる。
「初心者大歓迎! 和気あいあいとした雰囲気の楽しいバンドです!」
「バイトの広告じゃ、ないんだから……」
大体、椎葉は初心者ではないのだからその文句ではなびかないだろう。
「高い空! 青い海! 私たちと一緒に青春の風を追いかけよう!」
「今度は、大学のサークル勧誘みたいになった……」
「挑戦者来れ! 私は強者を待っている!!」
「それで来るのは、道場破りのひとくらいじゃないかな」
途中からほとんど大喜利のようになりながら、未來と茅子はどうすれば椎葉が自分たちのバンドに入ってくれるのかを考える。
そして結局、
「やっぱりまずはあたしたちが上手くならないと! 話はそれからだよ!」
という結論に至ったのだった。
「それで、俺のところかい」
「ギター教えてくれるって言ったじゃん!」
「言ったけど、まさかその日の内に教わりに来るとは思わないだろ」
色々とせっかちな女の子だなあ、とライブハウスのマスターは頬をかいて苦笑する。
ケーキ屋のテラスで話し合いに結論がもたらされてからすぐここに向かったが、すでに夕方。
場内には、この間来たときのように人が溢れていた。
「今日はシイバさん演奏するの?」
「んにゃ、今日は特にねえな。なんだ、観たかったのか?」
「うん、何度観ても良いよねえ、シイバさんのドラム」
「ハッハ、そいつぁよかった。あのコはあれで自分に自信がないタイプだから──自分を追い込んじまうタイプだから、それ聞いたら喜ぶぜ」
そうやって笑うマスターの目には、実の娘に注ぐような慈愛が見て取れる。
その表情が気になった茅子が、首を傾げて
「マスターさんって、椎葉さんとは、どういう関係なんですか?」
「お、なんだい、カレシとかじゃねえから安心しな」
「そういうの、いいので」
冷たい笑顔に、やや怯むマスター。
咳払いで気を取り直して、真面目に答え直す。
「俺の従兄、つまり俺の親父の兄貴の息子が、直ちゃんの父親なわけだ」
「ん……? オヤジノアニキノムスコガチチオヤ……?」
複雑な相関図に、未來が混乱して頭をショートさせる。
普通に従兄の娘というだけなのだが。
従姪である。
「でも、意外と、遠い縁なんですね。せめて、叔父とかかと」
「せめてって言われてもなあ……」
そこはどうしようもない。血縁関係を塗り替えるわけにもいかない。
「でも遠縁だから、お付き合いしても問題ないんだぜ」
「うわあ」
「本気で引くな! 冗談だから!!」
心なし距離を開く女子高生二人に、マスターはつい怒鳴り声を上げる。
オッサンの冗談は、得てして笑えないものだ。
「つうか、ギターの練習に来たんだろうが。もうステージの準備は済んでるから俺も相手できるし、さっさと始めようぜ」
「おお、練習!!」
冷めていた顔に熱が戻り、ひとまずホッとするオッサン。
肩を竦めて、行先を示す。
「んじゃ、裏の控えスペースに行こうか。そこなら他の連中も練習してるし、邪魔にはされないだろ」
「他の連中?」
首を傾げる未來を見て、マスターは不敵に笑った。
「今日ステージに上がる連中だよ」
「緊張するよ!」
数グループのミュージシャンたちが休憩、練習する控えスペースの中心で、未來は悲痛な叫びを上げた。
その傍らに控える茅子も、叫んではいないが、叫ぶ余裕もないほどに委縮していた。
「なんで上手いひとたちのなかで練習しないといけないの!? 恥ずかしいよ!!」
「おいおい、始めたばっかなんだから、下手なことは恥ずかしいことじゃないぞ。むしろそれを乗り越えてこそ本物のミュージシャンだ」
「ゴタクはいいんだよ!」
「急にキャラ強ええな!?」
文句を言いながらも、マスターの言葉に納得はしたのか、ギターの準備を始める未來。
支度を終えて顔を上げると、茅子も何やら広げているのが目に入った。
「あれ、ちぃちゃん、楽器決まったの?」
たしか、今朝選びに来た時点ではまだ悩んでいたはずだ。そのあとは椎葉の登場でうやむやになっていたはずだが──
「うん、マスターさんが、これがいいんじゃないかって」
そう言って掲げて見せたのは、ギターに似ているが弦が四本の──青い、ベースだった。
「ベース? どうして?」
「うん、ツーピースバンドだと、ギターとドラムか、ギターとベースって話だったし、もし椎葉さんが入るんなら、ドラムだと被っちゃうなって。それに──」
一度言葉を切って、茅子は照れくさそうにはにかむ。
「ベースって、低音でバンドを支える楽器なんだって。みくちゃんのサポートをしたい私の気持ちに、合ってるかな、って」
自分のためにそこまでしてくれる健気な幼馴染の言葉に、未來はもはやお約束のごとく涙を浮かべた。
「あたし、絶対にちぃちゃんの想いに応えてみせるよ……!!」
「だったらまずはギターの弾き方を覚えろ」
拳を掲げて決意を表明するピンク頭をマスターがはたく。
興を削がれたピンク頭は渋々ギターを構えるのだった。




