受難続き3
国境のちょうど境界線上で、その事故は起きた。
治癒術師としては心許ない自分の力。ロミラには絶えず不安がつきまとっていた。
「この子の怪我が一番ひどい」
地面に膝をつき、ロミラは呟く。
「トリアージ(治療の優先順位)の指示通りだ」
経験豊富な警備隊の一人が諭すように言う。彼にとっても苦渋の選択だったにちがいない。
「そうだね。あのトリアージ施行者は優秀だ。あとはこの子を救うだけ……」
「もうすぐ隣国のやつらが来る」
「さあ、治療を終えて引き上げるぞ!」
遠くにいた警備隊たちが声をかけ合う。
「待ってくれ! まだ患者がここにいる」
「面倒を起こすな。あとは向こうの連中に任せればいい」
「治療を後回しにされても、ここまで持ちこたえたんだ。強い子だよ。もう少し時間をくれないか」
統率が取れた警備隊も少人数の医療班も、すぐにでも撤退してしまいそうだ。
詰め寄るロミラに隊長は言い放つ。
「状況がわかっていないようだな。この行為はすでに一線を越えているんだ」
「この国の子かもしれない!」
「証拠はない。身元がわかる物は何も持っていなかった。密入国でないと、どうして言える?」
「本気で言っているのか」
「逆に言いたいね。正気か?」
「こんな状態で放り出せるわけないだろう!」
「あ、おい! だめだ、戻れ!」
「無理だ!」
あの子のそばにいてあげなくては。わずかな時間も無駄にできない。
「ちっ。バカ術師め……。これだから治癒術師は厄介でいやなんだ」
走り去る後ろ姿を見て、男はため息を吐いた。
*
仔狼は死の淵に立っていた。
いままでこんな痛みは知らなかった。
身体の至るところで、すべての感覚がのたうち回っている。
いつまでこうしていればいい?
激痛は波のように何度も押し寄せて来る。何もかも、もぎ取られていく。
このまま目を閉じてしまいたい。
自分の身体がどんな状態なのか知るのも怖かった。
きっと骨はたくさん折れていて、最悪内臓はつぶれているかもしれない。どことどこが、とは説明できないけれど。たくさんの血が流れたはず。手や脚のそこかしこに、べったりとはりつくような感触が広がっている。
かすれた声のような意識で叫んだ。
いたい……。いたい……いたい!
「そうだよ。骨が折れたんだから」
のど……かわく……。
「たくさんの血を失ったからね。水分で補おうとしているんだ」
そそがれた液体が舌の上を転がっていく。
「あ……」
癒しの光をさがし求める目が、柔らかい笑みと繋がった。
誰かが手を握っている。確かめたいのに、反対に瞼を閉じたいと思ってしまう。
「大丈夫だから。もう少し眠るといい……」
安眠を誘う言葉に、答えることもできなかった。
まどろみが仔狼を優しく包む。
「ごめんね。いまは君を動かせる状態じゃないんだ」
消え入りそうな声で、仔狼の頭を何度もなでる。
「さようなら。いずれ監獄船から出してあげるよ」
引き止められなかった。この人は誰かに呼ばれているのだと、気配でわかる。
「無理を言ってここにいさせてもらったんだ。だからもう行くよ……。今度はこっそり潜り込んででも迎えに行く。法を破っても」
「それはやめろ!」
やけに現実染みた自分の声が耳に響く。
動転して左右を見渡すが、ほかには誰もいない。
「うっわ、びっくりした……」
思わず胸を撫で下ろす。自分の声に起こされるなんて、なんて間抜けだ。目覚めたばかりの頭で、ぼんやりと狼らしい鼻先を宙に向けた。
やたらといい匂いだった。悪夢のような痛みはすぐに忘れられそうだが、柔らかいぬくもりはいつまでも残しておきたかった。