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受難続き2

 小ぢんまりとした医務室のなか、格子窓からは日差しが薄く差し込めていた。

 壁際に並ぶ戸棚には薬や医療器具が置かれている。小さな机には最低限の筆記用具が転がり、椅子の背もたれにかけられた白衣からは聴診器がのぞいていた。

 どれも使い込まれているが、入念に手入れされている。ただ、壁に残された複数の薄いシミは、変わりゆく部屋の主の肖像画に見えた。


「感謝しています、先生」

「何ですか。いまさら改まって」

「医療助手としてここに潜り込むには、相当お手を煩わせたと伺っております」

「役人たちのことか。まあ頭でっかちなだけなら、かわいいものですよ。それがただの怠慢となるとね……弱りました」

「すみません」

「ああ、ちがうよ。ロミラくん。君のせいじゃない」


 名を呼ばれた彼は(いや、彼女だろうか?)しおらしく俯いた。

 伏せた顔に長いまつげの影が落ちる。立ち姿はほっそりとしていて中性的だ。女性としては長身で、男性だとすると背は低いほうだろう。

 柔らかい栗色の髪を頓着せずに伸ばしている。新緑の生命力を宿したような緑の目は、その飾らない魅力をさらに引き立てていた。


 対して、その全身には古代文字のような紋様が刻まれている。それは決して刺青などではなく、生来のもの。ロミラが治癒術師である確たる証だ。

 癒しの力は絶大だが、制約も多い。すべての求めには応じられないため、人目を避けるときには丈の長いマントが重宝する。愛用の一着は丁寧に青く染められ、特に丈夫で大きなフードが気に入っていた。


「気がかりなのは嘆願書、ですか?」

「毎度のことながらね。何年も前から環境改善の要請をしているというのに、一向に通らない」

「監獄船の状況を深刻に受け止めているのは先生だけかもしれません」

「この分だと書類に目を通しているのやら。それすら疑わしいね」

「役人が腐っているのはどこも同じですか」

「工夫もやり繰りも、できるところは何とかした。でもね、限界があるよ。【監獄船は生きて出られないのが暗黙の了解】だなんて考え方は、過去のことにしなくては」

「如何なる人物にも、人権は守られてしかるべき。その上で罪を償うべきだとお考えなのですね」

「暗い時代に逆戻りしたくないからね」

 遠くを向いた医師は過去を見つめた。そむけることができないのだろう。


 ロミラは柱の掛時計に一瞥を投げた。

「そろそろ帰宅時間です、先生」

「まったく、夜間勤務が可能になるのはいつの日でしょうかね」

「監獄船が沈没するときじゃないですか?」

 肩をすくめ、おどけて見せた。

 まもなく終業を告げる鐘が鳴ったが、にわかに戸口の外が騒がしい。

「何かあったんでしょうか」

 せっせと器具やファイルを片付けていたロミラと医師は顔を見交わす。


 監獄船のなかでは割合自由に行動できる囚人たちも、この時間帯には自室に収容される。通路に設置されたゲートは閉じられ、翌朝までは移動範囲も制限されるはずだ。

 どかどかと地鳴りのような足音がやまないのはどうしてだろう。

「やった、いた!」

 壊れそうなほど勢いよくドアがひらいた。


「今日は治癒術師もいるな。運がいい」

「ここに来るのは、たいていヤブ医者だもんな」

「おやおや、あの治癒術師」

「ははあ。【いわくあり】じゃなかったか?」

「もう何でもいいだろ!」

 みなまで聞こえているぞ、当の治癒術師はこっそり毒づく。その間も帰り支度をする手は止めない。その横にいる、人が好い医師は何とも言えない顔をしていた。謂われない言葉だ。無理もない。

 恩知らずな悪党どもめ。もう一度ロミラは心中で吐き捨てた。


「大変なんだ! 診てくれ!」

 一段と大柄な囚人が叫んだ。

「ご期待にそえず申し訳ありません。もう診察の時間は終わりました」

 医師を差し置いて、ひややかな目と刺々しい口調で答えてしまう。

「先生! 本当に大変なんだ。診てくれよ!」

「人でなしは俺たちで十分でしょ」

「血も涙もここにある!」

「血は通っているのか!」

「献血第一!」

 大きい者から小さい者まで、様々な囚人たちが寄ってたかって迫ってくる。

「ちょっと!」

 ロミラは医師を守ろうと立ち塞がるが、抑えられるはずがない。

「まったく、紙で指を切ったとかくだらないこと言わないでくださいよ? いい大人が大げさなんだから」

 一日の診察を振り返ってロミラが言う。


「頼むよ、先生!」

「ロミラくん、そのくらいにしてあげなさい」

 聞いていられないとばかりに医師がたしなめる。

 罰当たりな囚人たちが少しでも彼に感謝してほしいとじれさせてしまったが、度がすぎたかもしれない。何よりここがどこかを忘れてはいけなかった。刃傷沙汰に及ばれては事だ。

「わかりました。では患者を連れてきてください」

 ロミラが促すと、すぐにボロ切れのような毛玉が運ばれてきた。

 診察用のベッドに寝かされ、力なく目を閉じている。その様子は痛々しい。


「ふむ、自発的な呼吸はできていますね。気を失っているだけのようだ」

「先生、この子は……」

「おい、先生よ。治癒術師は奇跡の力を使えるんだろ。ちょちょいのちょいとやってくれねえかな!」

 二人のやり取りを遮って囚人が訴えた。ロミラの代わりに医師が応じる。

「この子は獣人だ。すまないが、獣の姿をした獣人に治癒術は効かない。せめて人の姿に戻ってくれたらいいのだが」


「待ってください! この子の怪我は数日前に治療しました。まずは身体を清潔にして温めましょう。ひどく冷えています」

 ロミラの意見に医師も同意した。

 手際よく囚人の助けを借りて、暖房を兼ねた小さなコンロに火を起こし、ありったけのタオルを集める。作業は目くじらを立てた役人が囚人たちを連行するまで続いた。


「治療した子どもだというのは確かですか?」

 静まり返った室内で、医師が疑問を口にする。ロミラは介抱する手を休めずに経緯を話した。

「国境付近で起きた事故の被害者です。本当につい最近まで、町はずれのわたしの診療所にいました。まだ体内にわたしの治癒力が残っていますから、わかります」

「もしや箱鳥便(はこどりびん)の車が脱輪したという、あの事故ですか?」

 目を丸くする医師にロミラは頷く。


「ひどい事故でした。この子は出血も多く、いくつか骨も折れていて……。それなのに三日後にはベッドから消えていたんです。治癒術をかけられたとは言え、安静にしていなくてはいけなかったのに。まさか、獣の姿でいるとは思いませんでした」

「幼少期の獣人は不安定で、まだ力が制御できないと聞きますからね」


「あれだけの傷を負った獣人を治療したのははじめてです。もう傷口は塞がっているので治癒術は成功したと思いますが、わたしの力では懸念が残ります」

「君は……それほど力が落ちているというのですか?」

 答えを避けるように再びベッドに目を向けたロミラは、どちらが患者かわからない顔色をしていた。

「あの子は強い。本当に……」

 脳裏には、そのときの記憶が蘇っていた。

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