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受難続き

 いまでも覚えている。いまも忘れない。

 屈辱がこの目に焼きついている。

 あれから、気持ちを持てあますときは握りしめた拳を放さない。

 ここでは命すら簡単にすり抜けてしまう。



 どこまで流されたのか。

 雨風にかき回され、にごった水に呼吸を奪われる。やっと静まったかと思えば、今度は塩辛いもので満たされた。

 すぐに次の波が迫りつつあるというのに、しがみついた木片は役目を終えてしまいそうなほど小さい。

 焦ったところで短い手足は実に無能だ。仔狼ではなく、成長した狼だったら、もう少しなんとかできたのだろうか。

 あらゆる感覚が薄く、瞼が重い。すがるものを探して周囲に耳を傾けた。


「なんだあ? これ。雑巾?」

 間の抜けた声がする。とても救世主だとは思えないガラガラ声も続く。それでも力を振り絞り、手を伸ばす。

「ああ? なんぞあったかあー?」

「何か流れて来たっす!」

「金目の物か!」

「食い物でもいいぞ!」


 足音がわらわらと集まってくる。残念なことに、どれもこれも頼りがいがなさそうだった。それどころか、ぞんざいに腕をつかまれて引き上げられた。

「うわ、ばっちい!」

 水気をたっぷりと含んだ身体がだらりと伸びる。ひとまず助かったものの、申し訳ないほど汚れきっている自覚があった。

「ずいぶん小さいな。ん? まだ息がある……」

「うへえ。生き物ぉ?」

「おカシラに報告だ!」

「待て待て。食われちまうよ」

 聞き捨てならない言葉に腰が引ける。しかし宙に浮いたまま揺れたので、なにやら勘違いされてしまった。


「かわいそうに。震えてるじゃねえか」

「ちがうだろ。痙攣けいれんしてるんだよ!」

「ど、どうしよ?」

「先生に診せれば」

「そーだ、それだ!」

「往診の日じゃなくても診せるべき」

「いや、だめだろそれは」

 本当にだめだ。もう体力が持たない。この頭の悪そうな会話を最後まで聞いていられない。動力を断たれた自動人形のように、ふっと気を失ってしまった。


「あれ? 動かなくなったぞ」

 慌てふためき振り子のように動かす。毛のかたまりから水滴がぼとぼとこぼれていく。

 足下に水溜りができていた。

 濡れ雑巾からモップに変貌したこの毛玉は、乾かせば毛皮の帽子になるだろう。そんな打算が働くが、これは予想外に気持ち悪い。


 青ざめながら振り向いた。

「し、死……!」

「急げば生き返る!」

「すげえな、それ体験談?」

「ああ。あの世のねえちゃんたちはべっぴん揃いだ。天国最高」

「うひょー、行ってみてえな!」

 小さな漂流者を発見した面々は、ところ構わず阿呆口を叩きながら狭い通路に戻る。

 物ともせずにそびえ立つ監獄船の一角に人影が吸い込まれていく。

 住人である彼らは、押し合い圧し合い走り始めた。


 沖に浮かぶ孤島のような監獄船は、船として動くのか疑ってしまうほど重厚感がある。

 かつては、まさに地獄と呼ぶにふさわしい場所だった。

 ただでさえ船舶は病に冒される者が多いというのに、囚人たちは満足に治療も受けられない。ひどく不潔で、飢えや伝染病が蔓延し、外に出るときは死体になったときだと恐れられていた。

 いまではずいぶん改善されたが、変わらない部分もある。常駐する医師がいないことだ。

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