高田わたるは苦しんでいる
もはやいっても詮無きことではあるが、高田わたるが異世界へ転生する準備は着々と進められている。
唐突に一つの疑問が浮かびあがる。なぜ高田わたるなのか。高田わたるでなければならなかったのか。高田わたる以外の選択肢はなかったのか。
けっして答えの出ない問いなど、むなしいだけなのである。もうすぐ、高田わたるはこの世界から消えてなくなる。死を迎えるということだ。身体は残るだろう。しかし、それはすでに高田わたるではないのだ。なぜなら高田わたるという存在はその時点で、異世界にいるのだから。そこで高田わたるがどのような体験をするのか。それはまだ誰にもわからない。まだ語る段階ではない。
では、残された者たちはどうか。父親である高田のぶしげはどう思うか。離れて暮らしている母、吉岡りさこはなにを思うだろうか。妹である高田しほは。祖父の高田たけしは。祖母、高田ゆりは。遠藤けんじは。早川よしおは。そして、白石つぐみは。高田わたるがいなくなった世界で、いつしか高田わたるを忘れてしまうのだろうか。それは、なんだかさみしいことのように思わないか。
高田わたるは人気者ではない。それは事実である。このまま、この世界で生き続けたとしても、その部分が覆ることはないように思われる。なぜなら高田わたるは諦めているからである。どうせ。どうせ自分なんか。諦めながら、いじけているのである。
例えば、同じクラスの加藤かずひこはプロサッカーチームの下部組織に所属しており、当然のように運動神経抜群、自信に満ち溢れ、女子人気も相当なものである。そんな加藤かずひこにだって挫折はあるのだ。
加藤かずひこの目標は下部組織からトップチームへの昇格であるのだが、どうやらそれは叶いそうにない。上には上がいることを、加藤かずひこは痛感している。トップ昇格が叶わなかった場合の身の振り方も考えてはいるが、サッカーの道を選んだ場合は、そこでもまた競争である。一度敗れてしまえば、もう二度と勝ち上がることができないような気がする。
加藤かずひこは恐れている。競争に敗れることを恐れている。敗れ続けた場合、今まで必死になって頑張っていたことの全てが無に帰するような気がして加藤かずひこは恐れている。
無論、そのようなことは高田わたるには関係のない話である。高田わたるからすれば、加藤かずひこの悩みは贅沢に思えるに違いない。
高田わたるは挫折を知らない。挫折に値するようなものをもっていない。それが高田わたるを苦しめる。高田わたるは苦しんでいる。その苦しみは加藤かずひこの苦しみと何ら変わりはしない。それでも高田わたるは苦しみの差をつけたがる。加藤かずひこの苦しみは貴いが、自分の苦しみはくだらないものだと考える。その考えこそが、高田わたるを苦しめているものなのだと高田わたるは気づいていない。
高田わたるの暗部。高田わたるを語るには避けてはとおれない部分だ。もどかしくもいじらしい、そんな部分だ。できることなら手をさしのべてやりたい、そんなふうに思わせる部分だ。
だが、高田わたるはそんなものはいらないと、その手をはねのけるだろう。高田わたるは誇り高い男なのである。
うんざりしてきた頃合いだろうが、それでもいわねばなるまい。今日、高田わたるは、異世界に転生する。