高田わたるは恋をしている
ここまで再三再四、述べてきたことであるが、高田わたるは異世界への転生を控えている身だ。
では、異世界というのは何であるか。残念ながらそれは誰にもわからない。なにしろ、この世界とは異なる世界なのだ。何が異なるのかすら誰にもわからないのだから、説明のしようがないのである。そのようなところへ高田わたるは単身乗り込んでゆくのだ。もちろん、彼が望んだことではない。誰が望んだわけでもない。高田わたるはこの世界で何かを成したかったのだ。その何かが見つからぬまま、高田わたるは異世界へと転生する他ないのだ。
高田わたるには好きな女子がいる。
数少ない友人、遠藤けんじと早川よしおには、「恋をしたことがない、人を好きになるという感情が理解できない」と常々語っておきながら、ちゃっかりと片思いをしているのである。
白石つぐみ。彼女こそが高田わたるの長年にわたる想い人だ。天真爛漫を絵に描いたような女子である。すくなくとも、高田わたるはそう思っている。彼女と高田わたるは、家こそ近所というほどではないものの、保育園のころからの付き合い、つまり幼なじみである。
とはいっても、それほど深く交流があるわけではない。むしろお互い高校生となった現在、交流はなきに等しい。なにしろ白石つぐみは人気者である。高田わたるは日陰者である。高田わたるにとって白石つぐみは遠い存在なのだ。白石つぐみが教室内で他の女子たちと雑談に興じている。その風景は、ニュース番組で観るどこかの国同士の首脳会談のような、それくらいの遠さである。
では、白石つぐみにとって高田わたるはどういった存在なのか。石ころのような存在、高田わたるはそう思っている。そう信じている。まれに、彼女がわたるの背中を叩いて、「わたる、おはよ!」ととびきりの笑顔で朝の挨拶をしてきたとしても、例え高田わたるがその瞬間は涙がでるほど嬉しかったとしても、高田わたるは、勘違いをしてはならない、と自分を強く戒めるのだ。
白石つぐみは誰にでも優しい。石ころにだって優しいに違いないのだ。わたる、と下の名前で呼び捨てにするのは、ただ単に子どものころからの慣習にすぎない。高田わたるは高鳴る胸を抑えながら、粘り強く、自分にそういい聞かせる。それから、うつむき加減でああ、とか、おう、とか小さくうめいて、軽やかに走り去っていく白石つぐみの背中をただ見つめるだけなのだ。
もうすこしだけ自分に勇気があれば。高田わたるがそう考えたことがなかったわけではない。「なんだよ、つぐみ、いってぇなぁー」なんて台詞を吐いて、そのまま2人仲良くけんかしながら登校としゃれこみたいのはやまやまなのだ。白石つぐみの弾けるような笑顔を、朝日をはねかえす八重歯を、シマリスを彷彿とさせる黒目がちのつぶらな瞳を、もっと長い時間見ていられたら。そう願ってやまないのだ。
だが、もし、高田わたるがそれを実行に移してしまったら。高田わたるの予想はこうだ。白石つぐみは顔をしかめ、心の中で、あるいは口に出して「なに、コイツ……きもちわる」そう呟いて、それきりである。白石つぐみは二度と高田わたるに笑顔をむけることはない。
その予想が当たっているか外れているかは誰にもわからない。高田わたるがそのような行動をとることはありえないからだ。なにしろ高田わたるは、もうすぐ異世界に転生する。
高田わたるだって恋をする。そのこと自体を高田わたるは恥じているが、それ以上に恥じていることがある。
性欲だ。本来、仕方のないことなのだ。逃れられないのだ。そういう仕組みなのだから。
だが、高田わたるは嫌なのだ。汚いものに思えてしょうがないのだ。16歳である。考えても見てほしい。16歳なのだ。嫌悪感で抑えられるようなものではない。当然、高田わたるの体は高田わたるの精神を裏切る。ものの見事に裏切る。毎夜毎夜、裏切りに裏切りを重ねる。高田わたるはその衝動を抑える術をしらない。そもそも、そのような術はあるのか。高田わたるは涙にも似た、へそ下三寸に渦巻く汚物そのものを、吐き出さざるを得ない。吐き出した後に思い浮かぶのは、きまって白石つぐみの笑顔だ。
そろそろだ。そろそろ、高田わたるが異世界へ転生する時間が迫っている。