高田わたるは死を想う
さて、高田わたるは今日、異世界に転生して、血湧き肉踊る冒険の日々を送ることになるわけである。高田わたるにとってもやぶさかでないことであるのは想像に難くないのだが、転生するということは、即ち死を迎えるということである。
人間であるならば、一度ならずとも死というものについて思いを馳せることだろう。平和な世の中に生まれようが、悲惨極まりない世の中に生まれようが、死について考えない人間はいないのである。人間というものはなまじ想像力があるものだから、どうしても死から目を逸らすことができない。場合によっては、死こそが救いであると考え、実行に移してしまう者もいるのだ。
高田わたるとて例外ではない。2015年現在の日本において、彼の16年と5ヶ月の人生は、そこまで実りの多いものではなかった。無論、高校生の殆どがそうではあるのだ。そういう意味では、もしかしたら彼もどこにでもいる普通の高校生なのかもしれない。多くの高校生男子がそうであるように、高田わたるもコンプレックス特盛状態のなか、死を想ったり、性に煩悶したりして生き抜いてきたのだ。
では、高田わたるのコンプレックスとはどういったものなのか。いちいち数え挙げていればきりがないので、代表的なものをあげることにする。
まずは、高田わたるの一番の悩み、家庭の貧しさである。
彼は勉学に励むタイプではないため、すでに大学進学を諦めているから、将来への影響は今のところ低そうなのが救いではあるのだが、それでも家自体の古さ、作りの悪さは如何ともし難く、また、家の中の雰囲気も暗く汚く、まさに貧困といった状態。
また、これも貧しい家にありがちなことではあるが、住人たちはのほほんと楽しそうに暮らしているのだ。その雰囲気が高田わたるには耐えられない。なぜ普通の家庭に生まれてこなかったのだろう、とため息をつく毎日である。
次に、高田わたるの能力的なコンプレックスである。
彼は運動が苦手なのだ。実をいうと、そんなことはないのだが。彼の父親も母親も比較的運動が得意な方であったし、妹のしほも運動だけはいっちょまえにこなす。彼だけが運動ができないということは考えにくいし、実際にそうではないのだが、これにはからくりがある。
高田わたるの誕生日は2月の中頃である。つまり、早生まれなのだ。日本ではなぜか4月が学年開始になっているため……などとくどくどいわずとも解るであろう。早生まれは不利なのだ。
早生まれだとしても、成育が早かったりもともとの運動能力が桁違いであった場合ならば問題にはならないのだろうが、不幸なことに高田わたるは成育が遅かった。貧困ゆえの栄養不足も関係していたのだろう。
そんなわけで、高田わたるは幼少のころから運動において良い目を見たことがなかった。自然と運動から離れていき、更に運動が苦手となってゆく。
実は高田わたる、長距離走の才能があり、磨き上げればそれなりの、一つの自信になるくらいのものを持っているのだが、彼自身も周囲もその才能に気づくことはないと思われる。いやはや、すこしのボタンの掛け違いで、本来発揮されるべき能力が日の目を見ないのだから、人間界恐るべし、である。
最後に人間関係である。
高田わたるは人見知りである。家庭の貧しさと運動能力への不信、その他大小さまざまなコンプレックスがごた混ぜになって、彼は自信をもって人と接することができない。異性と語らうなど、もってのほかだ。
当然のことながら、友人もすくない。同じクラスの、遠藤けんじと早川よしおだけである。この2人も高田わたると似たりよったりで、自信がなく、華やかな青春とは無縁の男子たちである。
授業の合間の休み時間となれば3人一緒になってこそこそと級友たちの低能さを嘆き、放課後になれば比較的裕福な早川よしおの家に入り浸り、テレビゲームやアニメ鑑賞に興じる毎日だ。
しかし、高田わたるはたまに考える。自分の人生はこのままでいいのか、と。こんな冴えない連中とつるんで、高校を卒業して、その後どうするのか、と。希望がない。そう考えるのである。死んだら楽になるのかも。そう考えるのである。
現時点での高田わたるにとって、人生は緩やかに絶望へとむかう列車のようなものであり、ブレイクスルーを強く望むものの、打破すべきものが何であるのか検討もつかないといった状態である。
ただ、繰り返しになるが、高田わたるは今日、異世界に転生する。