死体の栄華、殺影
塾帰りの夜のマンションはまるで幽霊屋敷のようだった。普段はマンションのいたるところを照らしている黄色っぽい光が、ところどころ消えていた。
まわりの建物は普通に明るいというのに、このマンションだけ異質な雰囲気を放っている。
「変だな。いつもはもっと明るいんだけど。電球が一斉にきれたのか?いやそれとも節電?」
俺はとりあえず薄暗い駐輪場に自転車をとめると、正面入口の方に歩いた。いつもは眩しいロビーが今は各部屋番号と苗字の書いてあるパネルすら見えにくいほど暗い。いつもはうっとおしいくらいに照らしてくるライトもいざ無くなると気味が悪いものだ。
俺は急ぎめにポケットから鍵を取り出し数字ボタンの下にある鍵穴にさして回した。自動ドアが開いて、その開閉音が静まり返ったロビーに響く。普段なら気にも留めなかった音が今はやけに俺の不安を掻き立ててきた。俺は薄暗いロビーを大きな音をたてないようにそろそろと、エレベーターの前まで歩いた。
ボタンを押そうとしたが、1台しかないそのエレベーターが15階に止まっていることに気づいてやめた。俺の家は301だ。
「これなら階段を使った方が早いな。」
そうつぶやいて俺はエレベーターわきのドアを出た。さっきのロビーや駐輪場に比べたら階段はまだ明るい方だった。その明るさに俺は少し安堵した。
「でもやっぱり以前としてなんか不気味なんだよな。」
何か言葉を発さないと不安に飲み込まれてしまいそうだ。
一刻も早く家に帰りたい。帰って夕飯を食べて、風呂に入って、布団に入りたい。
俺は階段をひとつ飛ばしでグイグイ上っていった。
ちょうど2階と半分をすぎたときだった。下を向いていた俺の視界に足が映った。反射的に俺は顔を上げた。するとそこには若い男性が立っていた。
しかしその男性は普通の人とは違った。青白い少しただれた肌。赤く充血した目。だらしなくあいた口、そこから覗く鋭い牙。完全にゾンビだった。
「ギャルルルゥアアアゥ!!」
そのゾンビは喚きながら襲ってきた。
一瞬俺の脳は考えることをやめた。
「うわぁぁぁぁぁああ!!!」
次の瞬間俺は我に返ると向きを変えて全速力で階段を駆け下りた。しかし下からも同じようなゾンビが階段を駆け上がってくる。
「やばい。このままじゃ挟み撃ちだ。…そうだ!」
俺は一か八か階段の途中でジャンプして高さの利を生かして下からきたそのゾンビの頭に膝蹴りを食らわせた。ゾンビはそのまま仰向けに倒れ俺はそれをクッションがわりに着地した。
「グゥエエリリャアア!!」
自分の下敷きになっている恐ろしい顔が叫んだ。
逃げなければ。とにかくここから逃げて安全なところに避難しないと。
すぐさま俺は立ち上がると、今いる2階からさらに一階分階段を降りようとし、そしてそこで戦慄した。まわりにはすでに5、6体のゾンビがいたのだ。1階からさっきのぼってきた階段にもいるし、2階のフロアにも数体いる。男性だけでなく女性のゾンビも混じっていた。彼女は特に目が鋭く赤く光っている。
「お…いおい……」
恐怖のあまりそれ以上の言葉は出なかった。もう俺に残された逃げ道はひとつしかない。俺は1番近くにあったドアを開け、誰の家かもわからないがそこに入った。そして入ったと同時に鍵をしめた。チェーンも忘れずにした。
ドアの外からはわけのわからない喚き声が響いてきて、ドアがどんどんと叩かれる。だがこの様子だとゾンビどもも腕力は人間と同じくらいのようだ。ドアが壊されるような気配はない。
ドアを背にして俺は崩れ落ちた。体中が震えている。
「なんでこんなことになったんだよ。そもそもあのゾンビどもはなんなんだ。現実世界にゾンビっていたのかよ。」
そして少し呼吸を整えて気づいた。さっきここのドアはあいていた。
「中に人がいるのか…?」
確かに玄関から続く短い廊下の先には電気のついた部屋がある。この部屋の住人はそこにいるのだろうか。だが、不気味なのは後ろでこんなにドアが叩かれて音がしているのに誰も出てこない点だ。本当にいるのか。
俺は恐る恐るその部屋に近づいた。俺以外の生き残りの人間の存在を信じて。
「誰か、いませんか!!」
思い切ってドアを開けると…目の前には牙を見せて笑ったおなじみのゾンビの顔があった。
「い、いやだ…。」
俺は後ずさりする。だがもう手遅れだ。
そいつの裂けた口がパッカリ開く。
俺は悲鳴をあげた。
「いやだァァアアアア!!」
「はいカットォ!良かったよ、風見くん!」
部屋の奥からカメラさんやディレクターさんと一緒に監督が声をかけてきた。
「はぁ、疲れましたよ監督。」
「うんうん、けっこう眺めのノーカットシーンだったからねー。どうだいうちのメイク班はなかなかいい仕事してたろう?自然に悲鳴が出るレベルに恐ろしかったんじゃないかな?」
「いやほんとけっこうビビりましたよ!」
「監督ー次のシーン用意できましたー。」
「おっ、そうか。じゃあ風見くん早速だけど次のシーン行こうか。」
「はい、わかりました。」
俺の名前は風見俊介。今回ゾンビものの映画の主役に抜擢された天才子役だ。そして今、日々撮影に励んでいる。
「ところで風見くん、どのゾンビのメイクが1番怖かったかな?」
「いやー、どれも怖かったですけどね。やっぱあの女性ゾンビですね。1人異様な雰囲気醸し出してましたし。」
「ん?女性のゾンビ?そんな人いたかなぁ…。」
「え?」
まだ次のシーンは始まっていないのに、ドアの外からはスタッフの悲鳴が聞こえてきた。
読んでいただきありがとうございました。