可愛い後輩
私達はあの日からよく、約束もせずに並木道で会うようになった。私がその道を通ると奴はいつも少々だらしなく着こなした制服姿で本を読んでいた。
私が近づくと奴はニッコリ微笑み本を閉じた。
「先輩んとこテストそろそろ?」
「二週間後。私バカだから本当困るんだよね。そっちは?」
二人でベンチに座り、くだらない話をしては時間を潰した。私はどうにも照れくさくて奴の名前を呼ぶことが出来ないでいた。
「俺の方もそんな感じ。なんか全然やる気でないんだよね。」
「まだ一年生だから大丈夫でしょ。ってゆーか、頭良くなかった?」
「勉強してなかったから駄目。褒美とかあったら別なんだけど……」
生意気な後輩は私の中でいつのまにか良き友達のような存在になっていた。私は時折見せる奴の子供らしい表情をたまらなく可愛らしいと感じていた。
中間テスト一週間前。テストに対する自信がまったくない私は毎朝早くから登校し、テスト勉強をして、毎晩必死こいて教科書暗記に励んでいた。
いつもなら目の周りにくまを作る勢いで幽霊のごとく身も心も変貌している私だったが、今回はそうでもなかった。
「おはよう、永瀬。今回は調子良さそうだな?」
「おはよう、高村君」
教室の扉を開けて鞄を降ろす彼に向かって私ははにかむような笑顔を返していた。彼の前では可愛らしくしていたかった。
「ねぇ高村君、今回調子いいから数学教えて♪」
「いいよどこが分からない?」
彼、高村愁君は一年の時から同じクラスの男子。そして密に私が思いを寄せている人でもある。
今の所この気持ちをどうにかする気も、その勇気も私にはない。少し可愛い子ぶって彼の友達でいる事が今の所は精一杯だった。
テスト一週間前。朝が大の苦手な私が寝不足の目をこすって教室まで早朝登校してくる意味は、間違いなくここにある。
「ねぇ、高村君てさ進路決まってるの?」
「進学はしたいけど……下の弟達がいるから…浪人は出来ないしなぁ」
「高村君ならどこだって入れるよ」
生徒会の副会長をしている彼はもちろん秀才だが、そんなこと少しも鼻にかけない気さくで優しい笑顔がとても好きだ。
「永瀬は?」
「……私も、進学。だけど自分が何やりたいのか分からなくて」
「こら、暗い顔するなって。皆そうだよ。俺なんて出来る事ならちょっと現実逃避したいくらいだし。分からない事だらけなのは永瀬だけじゃないよ。な?」
そう言った彼は私の頭に大きく温かな手でそっと触れた。胸が高鳴るこの感覚は嫌いじゃない。
「ありがとう」
「ど~いたしまして♪」
この時、私は幸せに酔いすぎていて……のちに自分が、衝撃的事実に深く胸を打たれることなど、知るはずもなかった。
「へー。じゃあ先輩そいつに会うためにわざわざ早く学校行ってんだ」
いつもの並木道。久々に会った奴は少々不機嫌らしく、べンチの背もたれから背中を滑らせ、両ポケットに手を突っ込んで薄紅色の唇をへの字に尖らせていた。
「とってもステキな人だから、仲良くなれただけで私は…すごい嬉しいんだけど…」
「先輩さぁ、好きなんでしょ?そいつの事」
唇を尖らせたまま、奴はふと私の方を見た。私は真っ赤に染まっていた顔を隠す事が出来ずに、混乱してしまった。絶対にからかわると思っていたのに、奴は私を見るとからかう様子を見せず…「ふんっ」とでも言うような顔つきでプイッとそっぽを向いてしまった。
「……ねぇ、そいつさぁ」
「なに?」
「やめときなよ」
それだけ言うと奴はそれっきり黙り、ついには私に背中を向けて不機嫌なまま帰って行ってしまった。