ムーリア暦1△22年 朝顔月 国王陛下の ヒゲ 騒動 ( 現代語訳 ・ レイチェル )
ムーリア暦1△22年 朝顔月 ▼□日
お昼 1時
いつものように私は王妃様の 『 午後の調髪 』 を、行っていた。
この、『 午後の調髪 』 は、朝の調髪の時とは違い、午前中に乱れた王妃様の御髪を整え、髪飾りや 飾り布を午前中とは違ったものに取り替えるだけだ。
もっとも、午後に公式の儀式などがあるときは、朝の調髪の時に結い上げた髪を一度全てほどいて梳きあげ、最初から結いなおすのだが、王妃様の今日の午後は、これといった予定が入っていないため、髪型はそのままでの、簡単なものとなる。
私が、髪飾りを外す係りの侍女 ( 私は王妃様の御髪を結い上げて髪飾りなどで飾ったり、乱れた御髪を整えるのが役目なので、髪飾りを外して結い上げた髪をほどくのは別の侍女の役目になる ) が、一つ、一つ、髪飾りを外して天鷲絨張りのお盆の上に乗せていくのを見ていると、 王妃様はやにわ
「 全く、あの女ったら、ずうずうしいにもほどがあるわ 」
と、グチりはじめた。
王妃様が忌々しげに 『 あの女 』 と、呼ぶ方は、ただ一人しかいない。
王太子殿下の側室
『 木蓮 の方 』
こと バーバラ・グラス様のことだ。
元は騎士( 準貴族 ) の夫人で、王太子殿下が成人なされるまでの乳母兼養育係だった方だ。
琥珀の櫛を手に、髪飾りや飾り布を全て取り外した王妃様の後ろにまわりながら、
「 木蓮の方様が、また何かなさいましたか? 」
と、尋ねると、王妃様は被布の下でいらいらと両手を動かしながら、苦い薬でも飲まれたような表情でこうおっしゃられました。
「 あの女。 ずうずうしくも、今朝の行事に出席してきたのよ。 それも、王太子妃然といった表情で 」
今朝の行事
とは、毎月一度、わが国に駐在している各国の大使と公使を招いて行われる、謁見の儀式の事です。
特に今日は、先月の末に交代した北隣の国・セッスの大使をはじめて招いて行われる儀式でした。
その儀式には、国王陛下と王后陛下、既に成人している王族の方々とその妃殿下が出席されるのですが、当然の事ながら、出席できるのは
正式に
王族の方々と結婚なさった正妃殿下だけなんですね。
しかし、木蓮の方様は、一介の側室にも関わらず、その儀式に出席してしまったようなのです。
それも、王太子殿下と腕を組み、さも 『 王太子の妃です 』 と、いった表情で。
「 国王陛下はお咎めになられなかったのですか? 」
「 陛下がお出ましになられる前に儀典係りが気付いて、あの女に説教したのよ。 そしたら あの女。 「 私は王太子様の妻ですから 」 なんて嘯いて。 陛下がお出ましになられるまでその場を動こうとしなかったものだから、陛下も大変お怒りになられて。 結局、騎士達によって会場からつまみ出されていたわ 」
その様子を思い出されたのか、王妃様はクスクスとお笑いになられました。
笑う王妃様を鏡の中に見ながら、私は、王妃様の御髪に出来た後れ毛を、注意深く直していきます。
それが終わると、髪飾りを管理する係りの侍女がささげ持つ盆から、午前中とは別の髪飾りを一つ、また一つと取り上げて。
王妃様の御髪に仮止めしていると
「 そういえば・・・今日の陛下はどうなさったのかしら??? 」
と、王妃様が仰ったのです。
「 え??? 」
「 ああ、実はね、アリス。 例の儀式のとき、陛下が口元にやたら手を当てていらしたのよ 」
「 それは、陛下がご自分のおヒゲを、初めて謁見なされるセッスの大使に自慢なさりたかっただけなのでは? 」
国王陛下のヒゲ・・・特に顎ヒゲは、艶がある長くふさふさと波打った深紫色で。
とてもお美しく、国内はもとより周辺諸国の王侯貴族中でも有名なのです。
「 それならば良いのだけど・・・なんだか陛下のおヒゲが、いつもとは違うような気がしてね 」
「 いつもとは違う??? ですか? 」
「 なんていえばいいのかしら・・・なんとなく・・・そう!! 左右のおヒゲの色が、微妙に違うような気が・・・・ 」
「 おヒゲの色が・・・で、ございますか? 」
私は、仮止めした髪飾りのバランスを確かめながら、不思議なこともあるものだと思っていまいた。
数十分後。
午後の調髪が終わった私は、衣装の管理係りや髪飾りの管理係り、装身具の管理係り、化粧係り、着付け係りと言った侍女たちと、明日の王妃様のお姿の事で、打ち合わせをしていました。
北側の開け放たれた窓からは、夏の風がそよそよと室内に流れ込んでいます。
どこかで梔子でも咲いているのでしょうか?
時折、風にのって甘い香りがすかに漂ってきます。
そんな室内では、衣装の管理下狩りが、明日、王妃様がお召しになられるご予定の衣装のデザイン画が描かれた何枚かの紙を、卓の上に広げていきます。
その絵を見ながら、私は
「 このご衣裳でしたら、髪型は・・・ 」
と、何枚かの髪型見本のデザイン画を見せ、
「 私はこちらの髪型の方が、このご衣裳に似合っていると思いますわ 」
「 いえ、私はこっちの髪型の方が 」
衣装の管理係りや、装身具の管理係りの侍女と相談していきます。
と・・・・
その時
「 コラー!! 待たんか!! 」
と、いう声が、窓の外から聞こえてきたのです。
「 レディ・アリス、何事でしょう??? 」
「 レディ・モード、あれは・・・国王陛下のお声のようですが??? 」
「 皆さん、あれを!! 」
窓の一番近くにいた、髪飾り管理係りのローラが、驚いた声をあげました。
私たちが急いで窓の傍に近づき、ローラの指差す方向を見ますと・・・窓からみえる庭園では、数人が追いかけっこをしている様子。
前を走っているのは数人の子供。
おそらく5人いらっしゃる未成人の王子様・王女様方なのでしょう。
お一方の手には紫色をした 『 なにか 』 を持ち、それをさも見せびらかすように高く掲げて走っていらっしゃいます。
そして、王子様・王女様を追いかけておいでなのは、明らかに国王陛下・・・なのですが・・・
私たちがいる部屋の方向に向かって走っておいでになられた陛下のご尊顔を、窓越しに垣間見た私たちは、思わず目が点になってしまいました。
と、いうのも、国王陛下のお顔の向かって左半分には、あのお美しいおヒゲが無かったのですから。
口をポカンとあけて・・・
仕事も忘れて、窓の外を見つめる私達。
ちらりと見れば、窓の外の庭園では、ハサミを手にしたままの庭師や箒を持ったままの召使達、東屋にお茶と御菓子を運んでいく様子の侍女たちが、私達同様、口をポカンと開けたまま身体をこわばらせています。
陛下の前だからと、頭を下げるのもすっかり忘れている様子で。
「 待ちなさい!! 」
「 やだよー!! 」
「 コラ!! 返しなさい!! 」
「 お父様!! こっちこっち!! 」
皆が見ているとも知らず、ムキになってお子様方を追いかける国王陛下。
逃げる王子様、王女様方。
王女様のどなたかが 『 紫色をした 何か 』 を、別の王子様に渡そうと、投げられた瞬間!!
庭園の木から飛び降りてきた一匹の猫が、その 『 紫色をした 何か 』 を、咥えて、しまいました。
「 アッ!! 」
「 早く、早く誰か!! あの猫を捕らえよ!! 」
陛下の声に、庭園のどこからか近衛隊の騎士達や女性騎士達がわらわらと現れ、猫を追いまわし始めました。
しかし、猫もさるもの。
東屋の屋根に飛び上がったかと思うと、次は噴水の傍にいる、その次は露台の手すりの上・・・と、次から次へと居場所を代え、なかなか捕まらないのです。
私たちは呆気にとられたまま見ていましたが・・・
「 キャー!! 」
着付け係りのモードが、叫び声を上げました。
件の猫が、モードや衣装の管理係りのメラニーが立っている傍の開け放たれた窓から、突然、室内に飛び込んできたのですから。
「 猫!! 」
「 そっち!! そっち行った!! 」
「 イヤー!! 私の裾の中に入らないで!! 」
「 卓 の上に乗った!! ローラ、捕まえて!! 」
「 ヤダー!! 私、猫を触ると蕁麻疹がでるのよー!! メラニー、お願い!! 」
「 そんなこと言っても・・・アッ!! か、花瓶が~!! 」
もう、上へ下への大騒ぎ。
ようやく捕まえて、やってきた女性騎士の一人に窓越しに手渡したのですが、その時にはもう、部屋の中はグチャグチャになっていました。
こうなったら、その場にいるみんなで手分けして後片付けです。
猫が飛び乗ったために床に落ちて割れた花瓶や、裂けた壁代などは、私たちではどうしようもありませんから、部屋つきの女中に任せることにして、
とりあえず床に散らばった衣装のデザイン画と髪型のデザイン画を拾い集めていますと、
「 皆さん、これ、なんでしょうか??? 」
メラニーが、床に落ちていた深い紫色の物体を見つけたのです。
「 キャッ!! 紫色のケムシ!! 」
モードが驚いて、メラニーの後ろに隠れました。
私も手を前で交差させ、暑い季節にも関わらず震えながらローラにくっつきます。
唯一人の平民出身で、装身具の管理係りのトレーシーが恐る恐る近寄ると、最初は暖炉の火掻き棒でつつき、動かないのを確かめてから、意を決して自らの手で紫色をした物体をつまみあげます。
「 ケムシ??? 」
「 キャー!! 」
「 どうやら違うみたい。 でも、これ、何??? 」
トレーシーが、紫色の物体を両手で広げて、私たちに見せました。
確かに、それは毛虫ではありませんでした。
女性の二の腕ほどの長さと太さがあるそれは、両端に細い紐がついた紫色をした物体でした。
材質は深紫色に染めた絹糸でしょうか。
髪結いで使う『 鬘 』や『 付け毛 』 にも似ています。
「 猫とか犬の玩具??? 」
「 それなら国王陛下が、騎士達に命じて取り替えそうとはなさらないでしょう? 」
「 ならば、新素材のネクタイ!! 」
「 ネクタイ??? こんなのが殿方の間に流行るなんて私イヤよ 」
そう。
国王陛下のお召し物や装身具は、貴賎を問わず国中で流行しやすいのです。
「 どうする? 」
モードが皆に尋ねました。
「 あの猫が、落としていったものに間違いないよ・・・ね??? 」
私がそう言うと、皆。コクコクと首を縦に動かします。
「 ならば、女中に頼んで、護衛の姫騎士達から国王陛下に渡してもらおうよ 」
「 うん 」
「 それがいいよ 」
「 そうしよう。 なんだか国王陛下、慌てて取り戻そうとしていたみたいだし・・・ね 」
割れた花瓶などの片付けにやってきた部屋付きの女中に、深紫色の物体を頼んだ私たちは、ホッとして大きく息を吐きました。
その夜。
雲雀館の大浴場で、侍女仲間から聞いたところによると、あの深紫色の物体は、国王陛下の
付け髭
だったことがわかりました。
なんでも、国王陛下が側室のお一人と、その方の誕生日の夜は必ずその方と過ごすと約束なされたのですが、そのことを国王陛下がすっかりお忘れになられ、件の側室の誕生日に、別の側室と夜を過ごされたとかで。
昨夜、件の側室の元にお渡りになられて一夜を過ごされたものの、約束を忘れていたことを謝罪なさらなかった国王陛下に、件の側室が怒り・・・
何も知らずに眠っておいでの国王陛下のおヒゲ・・・それも、ご自慢の顎髭の左側半分だけを、剃り落としてしまったらしいのです。
生憎、今日は午前中に、各国の大使・公使を招いての謁見の儀式がある日。
仮病を使って欠席するわけにもいかなかった国王陛下が、苦し紛れに取られたのが、
付け髭をつけて誤魔化す
と、いう方法だったのだとか。
これで午後の調髪の時に、王妃様が仰っていらした、
儀式の時に国王陛下がやたら口元に手をあてていらした
左右の髭の色が違って見えた
と、いう疑問も解けたのですが・・・
明日からしばらくの間
国王陛下が、側室に片側の髭を剃り落とされた
と、いう噂が、国中でささやかれる事になるのでしょう・・・ね。
多分。