ムーリア暦1△22年 菖蒲月 私は髪結い係り --- その1 --- ( 現代語訳 ・ レイチェル )
ムーリア暦1△22年 菖蒲月 ■◎日
今日から日記を書くことにする。
何で今日からですか・・・って?
日記の書き始めは、普通 元旦か、せいぜい自分の誕生日からだろ・・・なんて言わないで下さい。
たまたま書こうと思ったのが、今日からだったんですから。
私の名前は、アリス。
アリス・ブレイン。
今年、18歳。
王宮で、王妃様の御髪を結い上げる役目の侍女・・・王妃様付きの 『 髪結い係り 』をやっております
私の実家であるブレイン家は、代々、子爵の身分を賜っておりますので、私は貧乏貴族の娘ではありますが、一応『 子爵令嬢 』 。
それもありまして、私自身、王室から 『 貴婦人 』 の称号である 『 レディ 』 を、賜っております。
私が侍女として王宮に仕え始めたのは、今から約4年前
15歳になる年のことでした。
我が家は貴族とは名ばかりで、食べていくのがやっとの貧乏貴族でしたから、
『 口減らし 』
も、兼ねて、王妃様の実家・シルドニー公爵家で侍女・・・公爵夫人様付きの着付け係りをしている叔母 ( 父の妹です ) の伝手で、王妃様付きの侍女になったのです。
現シルドニー公爵様は王妃様の弟君
政治的には、親オルダ派貴族の筆頭ですから、公爵様としては仲がよい姉の傍に信頼する侍女の身内を置きたかったのかも知れません。
しかし・・・
何が幸いするかわからないものですね。
侍女奉公を始めて半年ばかりが経った頃
私は突然、王妃様付きの髪結い係りであるヤルナ男爵夫人に呼ばれまして。
「 私の後任に・・・王妃様の髪結い係りになってくれませんか? 」
と、頼まれたんです。
ヤルナ男爵夫人は、既婚の侍女で。
王宮に住み込みではなく、ご主人の御屋敷から王宮に通いの出仕をしているのですが、王宮内の『 燕館 』 と呼ばれる棟に、寝室付きの
『 控えの間 』
を賜っているんです。
通いの侍女でも、数日に一度は宿直・・・王宮に泊まりになる勤務がありますし、大きな儀式や舞踏会になりますと、侍女や女官を含めた首都にいる全ての貴婦人・貴族令嬢は参加しなくてはなりませんから、そんな時に 控えの間 があると重宝するんですよ。
本当に。
その控えの間に、私は呼ばれたんです。
とりあえず挨拶をした私に、ヤルナ男爵夫人は椅子に座るよう仰ると、自分付きの女中に命じてお茶と焼き菓子を出してくれました。
それから、さっきの話・・・
「 自分の後任として、王后陛下の髪結い係りになってくれないか 」
と、いう話をなさったのですが、私としては寝耳に水の、それも一度だって考えた事がない話だけに、何がなにやらわからなくて。
頭の周りに、いくつもの?マークを飛ばす事しかできませんでした。
それを見ていらしたヤルナ男爵夫人は優しい笑みを浮かべると、左手で茶碗をそっと取り上げられました。
『 あれ??? 男爵夫人様は、確か右利きだったはず??? 』
不思議に思うのも一瞬の事で、ヤルナ男爵夫人は優雅な仕草で、左手で茶碗を口に運ばれ一口飲まれた後、こう仰いました。
「 アリス、驚くのはわかるわ。 だって、突然の事だったから 」
その頃には、やっとヤルナ男爵夫人が何を仰ったのか理解できて。
思わず
「 わ・・・私が・・・男爵夫人様のこ・・・後任の・・・髪結い係りに・・・ですか???!!! で・・・出来ません!! できませんよ!! 」
と、叫ぶように言っていました。
「 アリス・・・でもね、私は、後任の髪結い係りには、貴女 しかいないと思っているの 」
「 なんで??? なんで私なんですか??? 」
「 アリス、貴女は気づいていないと思うけれど、私ね、見たんですよ。 貴女が大浴場で、侍女仲間の髪を結ってあげているところを 」
クスクス笑いながら仰る男爵夫人。
『 見られてたのか!! 』
私は思わずそう思いました。
実は、私を含めた未婚の侍女たちは、よほどの事情がない限り、王宮内の 『 雲雀館 』と、呼ばれる棟に住み込むことになるんです。
侍女は王宮勤めの使用人ではありますが、皆、子爵や男爵といった貴族か、騎士の称号を賜った準貴族の姫君たちです。
ですから、侍女は、一部屋に6人とか8人とかの大部屋で暮らす女中達 ( 召使ですね )とは違って。
寝室と居間に洗面所とトイレがついた居室 ( 勿論、相部屋ではなく個室です ) と、食事や掃除、洗濯などの身の回りの世話をする女中が二名与えられるんですが・・・。
なぜかそれぞれの居室には専用のお風呂がないんですね。
で、雲雀館の一角に設けられた共同の大浴場を使うんですが、そこでの湯浴みの後に、侍女仲間の髪を結ってあげていたんです。
侍女専用の大浴場に自分付きの女中を伴うことは許されませんし、侍女は髪結いや化粧、着替えなどの身支度は自分ですることになっているにもかかわらず
自分の髪を結うことだけが、やたらと苦手な人や、
侍女になるまで着替えから結髪まで全て召使にやってもらっていたことから、自分で自分の髪が結えない人も、いるんですね。
でまぁ・・・
湯浴みの後で、髪結いに四苦八苦している仲間たちを見るに見かねて
私が髪を結ってあげたんですよ。
実家は、自分付きの侍女なんて雇えない貧乏貴族でしたから、自分の事は自分でするのが当たり前でしたし
10歳頃から、妹たちの髪を結っていましたから、他人の髪を結うことには慣れているんですよ。
私は。
どうやらそれを、ヤルナ男爵夫人に見られていたようなんです。
しかし・・・
何時、見られてしまったのか。
前述のように、ヤルナ男爵夫人は通いの侍女で。
夜はご主人であるヤルナ男爵のお住まいにお帰りになられるんです。
また、宿直の時にでもとも思いましたが、この燕館にも大浴場はありますから、わざわざ私達の住まいである雲雀館の大浴場に、湯浴みにおいでになられるはずなんてないんですが・・・。
「 でも・・・なぜ??? 男爵夫人はまだまだお若いのに・・・ 」
そう。
ヤルナ男爵夫人は、王妃様が国王陛下に嫁がれていらした時、当時の王妃様・・・故王太后様が選ばれて王妃様付きの『 髪結い係り 』の侍女になられた方で。
それ以来、ずっと王妃様にお仕えしてきたのです。
御年は50歳になると聞いていますが、80歳近くになっても 『 老女 ( 儀式やお茶会の時の衣装や調度品選びの指南役ですね ) 』 としてお仕えしている未婚や既婚の侍女が珍しくないこの王宮では、まだまだお若い御年です。
私の言葉を聞いたヤルナ男爵夫人は、それまで隠していらした右手を卓の上に出され、そっと袖をまくりあげられたのです。
ヤルナ男爵夫人がアリスに見せた右手。
その右手には、どんな理由が隠されているのでしょうか???
謎解きは次週で。