血文字の続き
ありさは部屋に戻る間、色んな思いが駆け巡った。
(もしかして、昨日のせい…? 私ってば昨日の夜、暢一にキツイこと言ったからな。私のせいだ)
ひどく後悔していたありさは、勢いよくドアを開けた。
「暢一、本気で帰るつもりなの!?」
部屋に入るなり、ありさは暢一に聞いた。
「あぁ…。しばらくの間、ありさと離れておいたほうがいいって考えてな」
ありさに背を向けて、冷たく言い放つ暢一。
「さっきからそればっか言うんだぜ」
トリスタンはありさに助けを求めるように言う。
「私のせいなの!? 私がキツイこと言ったから!?」
興奮しているせいか、早口になるありさ。
「そうに決まってんじゃん」
「どうして…?」
「仕方ねーじゃん。ありさの気持ちが変わらねーんだし…」
荷物を持って立ち上がる暢一。
「昨日、キツイこと言ったのは変っていく暢一が嫌だったから!! だから、帰らないで!!」
ありさの言葉に、部屋中がしんとなる。
「暢一、ありさの言葉信じてあげてよ」
理恵子が暢一に優しく言う。
「…わかったよ」
荷物を下ろす暢一。
五人はホッとした表情になった。
その日の午後、のんびりしたものだった。
昼食後、ありさは自分の部屋で事件のことを考えつつ横になっていた。
千恵達は宿を散策をすると言って部屋にはいない。
「ありさ、また事件が起こった!」
急いで部屋に戻ってきた千恵の言葉に、
「えーっ? またぁー?」
ありさは嫌気が刺してしまった。
「どこで事件が起こったの?」
「野本さんって人の部屋よ。五○二号室」
「ありがとう!」
ありさは静奈の部屋に直行した。
五○二号室の部屋の前には、たくさんの野次馬が集まっていた。
ありさは野次馬の中をすいません、と言いながら部屋の前までやってきた。
「石井刑事!」
ありさは石井刑事を見つけると呼ぶ。
「あぁ…ありさ君、中に入ってくれ」
石井刑事はありさを現場に入れる。
「次は野本さんなのね」
ありさは午前中に静奈と会ったばかりなのに、殺害されたことに内心驚いていた。
「壁に血文字の続きがあるよ」
石井刑事はありさから壁に書かれた血文字に目をやった。
ありさも血文字を見る。
「‘…愛していた’なんて、誰と誰が愛し合っていたんや?」
石井刑事は腕を組んで呟く。
「もしかして、若女将と野本さんが…?」
ありさはヤバイことを考えて口にしてしまった。
「そんなワケないやろ? 二人とも、女性なんだから…」
「そ、そうね…」
ありさは自分が考えたヤバイことをすぐに否定した。
「石井刑事! 若女将の横田さんと野本さんは高校時代同じ部活の仲間だったのが判明しました!」
「なんやて!? 何の部活だ!?」
石井刑事が大声を出す。
「バスケット部です」
「そうだったのか。でも、なんでさっきの事情聴取の時に野本さんは若女将と知り合いで、同じ部活だってことを言わなかったんやろう?」
石井刑事は正直に言わなかったことを不審に思った。
「確かに…。何か言えない事情があったのかな?」
ありさも同感していた。
「そこを調べたら何か出てくるかもしれないな」
石井刑事は署に戻ったら、正代と静奈の関係となぜ静奈が正代と学生時代の同じ部活だと言わなかったのかを調べることにした。
(二人に恨みを持った人物が殺害したってわけ? でも、この血文字の意味がわからない。それに二人の同じ部活だって言わなかったことも変だよね)
ありさは血文字が書かれている壁を見つめて思っていた。
「死亡推定時刻は午後十二時過ぎです」
「我々が事情聴取を終えてすぐっていうことか…」
「そう考えるのが一番ですね。野本さんが殺害された時間、客は野本さんとありささん達を含めて数人いて、外に昼食を取りに行っていたそうで、従業員の場合はそれぞれシフトがあるのでそれに従って働いていたそうです」
山元刑事は宿にいた静奈の殺害時刻の全員の行動を聞いていて、石井刑事とありさに伝えた。
「従業員の場合はシフトがあるのなら犯行は無理だな。だとすると、客の誰かか客以外の誰かが犯人ってことになるな」
「始めて宿に入るお客さんは声かけるんじゃないかな? 入れないってことはないけど、一応確認のために声かけると思うよ。私達もそうだったし…。翌日、観光から帰って来た時は声掛けられなかったけどね」
ありさは石井刑事が言った客以外の人物が犯行説を否定した。
「そうなると観光から帰って来た客に紛れて入ったかもしれないな。もっとも午前中に宿に戻る客はいないだろうが…。それにしても、一体どうなっているんや? 凶器も発見されない上に証人もいないなんて…」
石井刑事は困った表情をして、頭を掻く。
「第一発見者は誰や?」
「料理長の福山さんです」
「またあの人か…」
山元刑事の答えに、石井刑事は面倒なことになったという声をあげる。
と同時にありさも石井刑事と同じことを思う。
他の刑事に呼ばれて、健一と美沙が部屋に入ってくる。
「どういうことですか? 二度も続けて…」
石井刑事は厳しい目つきで健一に聞いた。
「偶然です!」
健一は強い口調で偶然だと主張する。
正代はともかくとして、静奈の場合知り合いってわけではないから、偶然といえば偶然になる。
「福山さん、不自然なんですよね。少しお話をお聞きしたいので署まで来ていただいてもいいですか?」
石井刑事は健一に署まで来るように促す。
「ちょっと!」
健一は戸惑う表情を見せる。
「お父さんは犯人なんかとちゃう! 私が証人なんやから!」
美沙は必死に健一が犯人ではないことを伝える。
「スマンが容疑者と思われる人物の親密な関係の人は、いくら完璧なアリバイがでも重要な参考にしかならへんのや」
石井刑事は美沙にはっきりと言って部屋から出て行った。
「そんな…」
美沙はその場で泣き崩れた。
「大丈夫よ。お父さんは犯人じゃない」
ありさは美沙に気休めの言葉をかける。
「そう、証拠がない限り、福山さんが犯人だという立証は出来ない。ねっ? そうでしょ? 美沙ちゃん」
ありさの言葉に、美沙は希望を見出したというふうに涙ながらに頷いた。
ここは警察署。健一が取り調べを受けている。
警察はありさには教えていない重要な鍵を握っていた。
「福山さん、若女将と愛人関係だという噂が流れているそうやないですか?」
山元刑事が嫌味を言うように健一に正代と愛人関係のことを話す。
「若女将と別れ話をしたが、別れてくれへんかった。そして、カッとなりナイフで刺した。そのことを野本さんにバレてしまい、野本さんも殺害した。そうやろ?」
続けて石井刑事が言う。
「若女将と愛人なのは認めます。でも、僕が正代を殺害するなんて考えられません」
健一は主張するが、二人の刑事には通じない。
「ほぅ…正代…。下の名前を呼ぶということは相当親しい間柄なんですな」
石井刑事も山元刑事同様、嫌味のように言う。
「親しい間柄と言えば親しい間柄ですけど…」
健一は何かを隠しているような言い方だ。
その言い方に二人の刑事は何かを察知した。
「他に我々が知らないことでもあるんですか?」
山元刑事が聞くが、健一は何も答えない。
「まぁ、いいでしょう。でも、美沙ちゃんが父親と若女将が愛人関係やと知ったら驚くだろうな。もしかしたら、親子の縁を切られるかもしれへんな」
石井刑事はイスから立ち上がり、健一の背後の回り言った。
「美沙は何も関係ない」
「全く関係ないってことはないんじゃないのか?」
「そ、それは…」
自分の本当の気持ちを二人の刑事に見透かされたように俯いてしまう健一。
俯いた健一を見た石井刑事は軽くため息をついた。
「ありささん、実はお父さん、事情聴取が終わってすぐ食材の仕入れに行っててん」
美沙はありさに健一のアリバイを言った。
話がある、とありさの部屋に来た美沙。
「え? どうしてそのこと言わなかったの?」
「それはわからない」
「証言してもらったらアリバイになるのに変よねぇ…」
ありさは健一がなぜ自分のアリバイを主張しなかったのか、疑問に思っていた。
「そうだよね。なんで言わなかったんだろ?」
理恵子もありさと同感している。
「食材の仕入れの人に話を呼んで警察に行ったほうがいいんじゃねーの?」
トリスタンがありさに提案する。
「そうだな。そのほうがいいかもしれねーぜ」
暢一もトリスタンの提案に賛成しているようだ。
「そのほうがいいよね。千恵と春佳はフロントの人に食材を仕入れている場所を聞いて連絡いれて署まで来てよ。署の前で落ち合おう!」
ありさは適切に指示した。
四十分後、ありさ達は署の前で千恵と春佳と仕入れ担当の三十代の男性と落ち合うことになった。
「本当に福山さんと会ったんですよね?」
署に入る前、ありさは確認した。
もし、証言を翻されたら大変だからだ。
「はい、そうです。若女将が亡くなった話もしていたので…」
仕入れ担当の男性は答えてくれた。
「さっ、中入ろう!」
意を決して署に向かうありさ。
ありさは受付で石井刑事を呼んでもらうように伝えた。
しばらくして石井刑事は山元刑事と共にやってきた。
「なんや? ありさ君?」
「福山さんのアリバイを証明してくれる人が現れたの」
「なんやって!?」
二人の刑事は驚く。
「犯行時刻の十二時は、福山さんが仕入れの人と会ってたのよ」
「はい。福山さんに頼まれていた食材を仕入れたので、来てもらったんです」
仕入れ担当の男性ははっきりと言った。
「それはホンマですか? ウソを言ってるんじゃないでしょうね?」
山元刑事は仕入れ担当の男性をギロリと睨んだ。
「ホンマです。多くの人間が福山さんが来てるの知ってます」
「ホンマにホンマですか?」
山元刑事は疑っているのか、まだ睨んだままでいる。
「ウソは言ってませんって!」
仕入れ担当の男性は山元刑事に強く言い放つ。
「証言信じろよな。…ていうか、もっとちゃんと捜査しろよ! このカス刑事!」
暢一が山元刑事に暴言を吐く。
「暢一、やめろって!」
トリスタンが暴言を吐く暢一に止めに入る。
「アリバイを証言してくれる人物がいるなら釈放するしかないな」
石井刑事はありさには完敗したというふうに言った。
「石井刑事!?」
「仕方ない。振り出しや」
石井刑事はそう言うと、取調室に戻り、健一を釈放した。
「お父さんを犯人扱いしんといて!」
美沙は釈放された健一を抱きしめて、二人の刑事を睨んで怒る。
ありさ達は署を出て、仕入れ担当の男性と別れて、宿に戻ることになった。
「みなさん、ありがとうございました」
疲れたような表情の健一は、ペコリと頭を下げる。
「いいですよ。それにしても、犯人の目的ってなんなんだろう?」
ありさはため息交じりで呟く。
「ありさ、何かわからないの?」
千恵が聞く。
「一つわかったことがあるんだけどね。福山さん、もしかして、若女将と愛人関係じゃないのですか?」
ありさは健一にはっきりと言った。
「な、なんで…そんなこと…」
健一はかなり動揺している。
ありさは自分の勘が当たったと思った。
「ホンマなん!? お父さん!!」
美沙は健一の身体を強く揺さぶる。
「ホンマや」
「ウソや…」
美沙は今にも泣き出しそうな声を出す。
「実は美沙の生み母親は若女将なんや」
衝撃的な告白をした健一。
その告白にありさ達も胸を何かを突かれたような驚きになった。
これにはありさも予想していなかった。
「そ、そんな…」
「その話、本当なんですか?」
理恵子は唖然としながら聞いた。
「ホンマなんです。美沙が六ヶ月の時に離婚して、十歳の時に今の妻と再婚したんです。今の妻は、美沙の生みの母親が若女将、正代だっていうことは知っています。正代とは離婚してもたまに会っていたんです」
「前の奥さん、つまり若女将と会って何をしていたんですか?」
ありさは再婚してもなお、健一が正代と会っていたというのはわからないでいた。
「もう一度、やり直そうって…。でも、正代に無理だって言われたんです」
「そうだったんですか…」
ありさは釈然としないまま返事をした。
ありさ達は宿に戻って少し休むと静奈に部屋に向かった。
証拠になりそうな物証を探すことにしたのだ。
(若女将とやり直そうとしていた福山さん。でも、無理だと言われて殺害した。だけど、野本さんを殺害するちゃんとした理由がない。それに、若女将と野本さんの犯行時刻には完璧なアリバイがある。福山さん親子はシロだ。…となると、犯人は大川さんなの?)
「ありさ君!」
ありさの背後から誰かに呼ばれ、一瞬身震いしたありさ。
振り返ると石井刑事と山元刑事がいた。
「石井刑事と山元刑事…」
「何かわかったか?」
「まぁまぁ…です」
「そうか。それにしても、凶器はどこにあるんや?」
石井刑事は静奈のバッグを開けながら言う。
少しイライラしているようにも見える。
それも無理はない。
健一が犯人ではないというアリバイがあったからだ。
「石井刑事、私に言ってなかったことがありましたよね?」
突然、ありさは石井刑事に言った。
「なんのことや?」
石井刑事はありさの言ってる意味がわからないようだ。
「福山さんと若女将の愛人だということですよ」
「あぁ…そのことか…」
「本人に聞いたんですか?」
「ううん。血文字を見た時に思ったの。福山さんは若女将か野本さんが好きなのかなって…。でも、野本さんはお客さんだから、野本さんの可能性はない。確証はなかったけどもしかしたら…って思ってね」
ありさの答えに、二人の刑事は感心している。
「さすが、高校生探偵やな」
山元刑事は納得したように言う。
「いや、それほどでも…」
照れるありさ。
「こんな娘が警察官だったら事件はあっという間に解決するだろうなぁ…」
ポツリと呟く石井刑事。
あまりの恥ずかしさに俯いてしまうありさ。
俯いた瞬間、ある物を目にしたありさ。
二人の警官に気付かないようにハンカチにそっと包みズボンに入れた。
「私、そろそろ部屋に戻るね。みんな、部屋で待ってるから…」
ありさは二人の警官に軽く会釈をすると部屋を出て行く。
「普通の高校生って感じがしませんね」
「ホンマやな」
二人の警官はありさの後ろ姿を見つめて言った。
夕食後、ありさは部屋で一人事件のことを考えていた。
(野本さんの部屋から‘あれ’が見つかったっていうことは、犯人はまだ証拠を処分していないハズだわ。それにしても、犯人の目的がどうしてもわからない。若女将と福山さんの関係を気付かせるため? そうだとしたら、なんで野本さんは殺害されたの?)
ありさは事件が起こった背景がわからないでいた。
その時、ありさの脳裏には健一と美沙の顔が浮かんだ。
(美沙ちゃんの本当の母親って若女将だったんだよね。福山さんと若女将が愛人関係だって言ったけど、本当のことを言えば愛人関係じゃなくて美沙ちゃんのことを思って会ってたんだよね。事件が起こったから愛人関係の話題を出したけど、何も美沙ちゃんの前でも良かったのにね。私が二人のことを愛人関係だって言わなければ良かったのかな。福山さんだって美沙ちゃんがもう少し大きくなったら、若女将が本当の母親だって言うつもりだったのかもしれないよね。福山家からすれば余計なお節介だったよね。美沙ちゃんに会ったら謝らないと…)
ありさは健一と正代の話を美沙の前でするんではなかった、もう少し美沙のことを考えれば良かったと後悔していた。
ありさは寝転んで目を閉じる。
(私ってば配慮が足りなさすぎるんだ…)
目を閉じたまま深い息を吐くありさ。
「ありさっ!」
春佳がありさを呼ぶ。
「うわっ!」
ありさは目を開けると大声を上げる。
「‘うわっ!’って…何よ? 人を化け物みたいに…」
千恵はふてくされた表情になる。
「ゴメン…」
「なんか、疲れてるみたいだな」
トリスタンがありさの顔を覗き込む。
「ちょっとね…」
ありさは無理して笑顔を作る。
「その無理した笑顔はありさらしくない。自然に笑った笑顔が一番いい」
トリスタンは正直なことをありさに言った。
「ありがとう、トリスタン」
「どう? 事件のほうは…」
理恵子は心配そうに聞く。
「明日までには解決しそうにない。私、もう少し京都に残るって決めたからいいんだけど…」
ありさは五人を見ながら言う。
「どこに泊まるのよ?」
春佳はありさが事件が解決するまでどこに宿泊するのか心配している。
「どこかビジネスホテルにでも…。みんな、先に東京に帰りなよ」
「オレも残る」
ありさが言った途端、暢一が真剣な表情をした。
「私もっ!」
理恵子もありさが事件解決するまでは…という思いで言った。
「みんな、京都に戻ろう。私だけ東京に帰るなんて出来ない」
「そうだよね」
千恵と春佳も賛成してくれているようだ。
「オレも残るよ。ミス・ありさ、みんな京都に残るって言ってるんだし、ゆっくりと事件解決すれば大丈夫!」
トリスタンが陽気に言う。
「みんな、ありがとう。感謝するよ」
ありさは五人の気持ちが嬉しくてたまらなかった。
「そういえば、千恵、入院してた時の年配の女性は見つかったの?」
話題を変えるありさ。
「ううん。諦めることにした。住所もわからないのに無謀だったなって…」
千恵は諦めていたようだ。
「そっか。いつか会えるかもしれないからね」
「ありさ、トリスタンの言うとおり疲れてるな。本当に顔色悪いぞ?」
暢一がありさの顔色を窺う。
「大丈夫だって!」
強がりを言うありさ。
本当は休みたかったのだが、事件が起こっている限り、ゆっくり休むわけにはいかないのだ。
一度、首を突っ込んだ事件を最後まで自分の目で確かめて解決したいのだ。
「あんまり寝てないみたいだしね」
「まぁね」
「無理だけはだめだよ」
理恵子が気を遣ってくれる。
「ありがとう」
「早く事件解決するためにもゆっくり休むこと。いい?」
春佳はお母さんみたいなこと言う。
「はぁーい」
「ありさってノンキだよな。人がこんなに心配してんのにさ」
呆れた暢一をよそに、ありさはのんびりした表情だった。