Bug&Peaky 2
――システムチェック……異常なし。これより起動します。
ゆっくりと瞼を押し上げる。分厚い強化ガラス越し、真っ先に飛び込んできたのは男と女だった。鋭すぎる赤い目と白い髪の、細身の男。金髪碧眼、穏やかに笑う白衣の女。
「おはよう!」
女がヒラヒラと手を振る。確か朝目が覚めた時に人がかわす挨拶の言葉だ。内蔵された時計を参照する――現在の時刻は、午後3時。
ゆえに、
「時刻的には、”こんにちは”が適当かと思われます」
と返す。己の発した声は、穏やかなテノールだ。
「……可愛くねぇ」
男の方が舌打ちした。
くすくすと女の方が笑う。何がおかしいのか分からないが、その笑顔を見ると何故かこう、胸部の中がくすぐったいような感じがする。
「快」か「不快」かでいうのなら、恐らく「快」にあたる感覚だろう。だが女の方はその笑顔を消すと、真顔になった。
形の良い唇が動き、紡ぐ。
「機種名:Type:H シリアルナンバー:003 これよりマスター登録を行います」
自分の中のプログラムが、その文言に勝手に反応して動き出す。自分の意図とは別の領域が反応して、勝手に言葉を導き出した。
「マスター登録を開始します。マスターの名前は」
「マチルダ・R・ヴィドル」
「名前と声紋の登録を完了しました。サブマスターの登録を開始します。サブマスターの名前は」
「ほら」
女――マスターに背中をせっつかれて、不機嫌そうな顔をした白髪の男が渋々といった感じで唇を開く。
「002-W」
「ちょっと!」
「名前と声紋の登録を完了しました」
「ちょ、ちょっと待って今のなーし!」
マスターが叫んでいるが、自分の意志ではどうにもならない。口が勝手に開いて、告げる。
「マスター登録プログラムを終了いたします――マチルダ様?」
最後の一言は、自分の意志で紡いだ呼びかけだ。
「マスター登録に不備がありましたか? 何か私に欠陥でも――」
そうだとすれば、一度初期化しなければマスターの再登録は出来ない。
胸部の中が再びざわめく。今度はどちらかと言うのであれば、「不快」にカテゴライズされる類の感覚だ。
ああごめんね違うの、君は悪くない。
マスターはそう言って笑った。さきほどの笑顔とは少し違って見える。が、ひとまず胸部異常はそれに沈静化した。その笑顔が消える間もなく、次の表情へと移り変わる。キリリと眉尻が上がって、それにほんの少しまた胸がざわめいて。
だがその表情が向けられた先は、自分では無く男――サブマスターの方だった。
「あーもう、どうして個体名じゃなくてシリアルナンバーの方を言っちゃうかなぁシロ君は!」
シリアルナンバー? ということは――
「個体名より識別番号の方がマシだって意思表示だよ」
「ちょっと私のつけた名前が気に入らないっていうの!?」
「ったりめーだろ。シロってお前、犬か猫じゃねぇんだぞ!!」
何やら言い争いを始めてしまったマスターとサブマスターを見守りつつ、与えられた情報から導き出された答えは。
「サブマスター、002-Wはアンドロイドですか?」
ぴたり、と両者の言い争いが止まる。白い頭の男がこちらに目を向けた。赤い目が真っ直ぐとこちらを見る。
「そうだ。機種名:Type:H シリアルナンバー:002-W」
「個体名はシロ、ね」
「言うんじゃねぇバカ」
なるほど、と彼は頷く。たった今得たデータを反芻し整理して格納。サブマスターは、同型機種のシリアルナンバーは002-W、個体名は「シロ」。
その個体名をつけたのはマスター・マチルダであり、サブマスター・002-Wはそれをあまり好意的には思っていない、と。
さて、それを踏まえた上で。
「どちらで呼称するのが適切でしょうか」
「もちろん個体名のシロで」
「当然シリアルナンバーの002-Wだ!」
まったく正反対の応えの男女の声が重なる。それにまた一つ頷いて、彼は言った。
「マスターとサブマスターで意見が異なった場合、マスター・マチルダ様の意見が優先されるよう私にはプログラムされています。よってサブマスターのことはシロ様とお呼びさせて頂きますね」
「「様は要らない」」
今度の答えは全く同じだった。
「私のことはマスター、もしくはマチルダでいいわ。で、こっちはシロ」
「ですが」
「いいっつったらいいんだよ、それで」
だがそれに彼は首を横に振る。
「マスターおよびサブマスターは、私にとっては上位にあたる存在です。敬称をつけずに呼ぶことは不適切かと」
「なぁおいコイツむかつくんだけど」
ぐりん、と顔を女のほうへ振り向かせて、サブマスターにあたる男が言う。むかつく、というのは確か「気に入らない」に相当する言葉のはずだ。それに、何故だかずきりと胸の奥が痛んだような気がした。
「まぁシロ君とは正反対だもんねぇ」
でもこれが普通なのよシロ君。シロ君だって、本来ならこんな性格になっていたはずなんだから。
それにサブマスターの男が、ふんと顔を背けた。小さく小さく落とした呟きに、背筋が冷たくなるのを感じる。
「どうせ俺はバグっててシッパイサクでケッカンヒンだもんな」
バグ。失敗作。欠陥品。
アンドロイドである自分たちにとっては、もっとも恐ろしい言葉だ。サブマスターは自らをそう断じた。すねたように唇を尖らせて。
そして、そもそもそんなバグ持ちで失敗作で欠陥品のアンドロイドが、自分のサブマスターとして登録されたという事実をどう捉えるべきなのか――
しかしマスターは動じない。ふふんと胸を張って断じる。
「出来の悪い子ほど可愛いものよ」
「どうせ俺は」
「この子ね、こんなだけど最高傑作なの」
それはこちらに向けて。
「シロ君、私の最高傑作」
「バグっているのに、ですか?」
他意はない、純粋な疑問だった。首を傾げて思わず問い返すと、サブマスターが舌打ちを一つ。マスターはそれにくすくすと笑って、頷いた。
「ええ。それも含めて最高傑作なのよ」
そしてあなたもね、クロ。
自然に口にされたその単語の意味するところを、考える。もしかして――
「それは私の個体名ですか?」
「そうよ」
「ちょっと待てお前やめてやれそれは」
二つの声が再び重なった。すぐさま個体名として登録しようとして、一旦中止する。マスターが不満そうに唇を尖らせた。
「えーなんでいいじゃなーい。シロ君とクロ君! 髪の色と同じ、モノトーンコンビで!」
「却下」
「なんでよ」
「犬猫じゃねぇっつってんだ」
シロやクロといった名前は犬や猫などの小動物などによく使われる名前らしい、とこっそりとインプットしておく。それはそれとして。
「じゃあシロ君が考えてよ、この子の名前」
「やだめんどくせ」
「じゃクロ君で!」
「だからそれはやめとけっつってんだろ! あーったくもう!!」
サブマスターがガシガシと頭をかきむしると、ひたりとこちらへ目を向けた。赤い。真紅の瞳がキラキラと輝いている。
「おいお前!」
「なんでしょう――サブマスター」
個体名で呼ぼうとして、思いとどまった。なんとなく。無難かと思われる立場名で呼ぶ。彼はそれに舌打ちを一つ。
「シロ、でいい。で、お前の個体名だがな」
そこで一つ大きく息を吸う。お、とマスターが目を見開いた。
サブマスターの形の良い唇が動いて、音を紡ぐ。思わず聞き逃さないように集音機能をあげて、注視してしまった。
「――ロート」
ロート。ざわりと再び、胸の中が騒いだ。
「個体名はロート。赤っつー意味だ」
赤。彼の目の色と同じ、赤?
「俺らアンドロイドの目の色は、赤だから」
ということは、きっと。自分の目の色も赤いのだろう。
頭の中で復唱してインプット完了。自分の個体名。ロート。
――なんだろうこの感覚は。急に何かが生じたような、そんな。心地よくもあり、不快な気もして、言うなればとても不安定で。
でも、何故だろう。嫌ではない、と。そう漠然と感じて。
マスターがニヤニヤしながらサブマスターを肘でつついた。
「中々いいセンスしてるじゃないシロ君たら」
「お前に比べりゃ誰だってマシだろうよ」