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イロハスを頬に当て、香奈さんの笑いを増幅させる。自分では特に面白いと思わないのだけれど、笑いのツボが浅くなっている彼女には十分だったようだ。
やはり、笑顔が眩しい。たぶん、ずっと見ていられる。星野さんがあまり笑わないタイプだったから余計に、こういう自然な笑顔が眩しく感じてしまうのかもしれない。
集合の合図がかかり、僕は香奈さんに肩を貸しながら歩く。
「今日は少し張りきり過ぎちゃった」
「ほんとだよ」
「この借りはちゃんと返すから」
「別に何も貸しているつもりはないから、気持ちだけでいいよ。香奈さんの笑顔が見られただけで充分」
「……うん」
ぽそっと返事したかと思えば、次の瞬間、口角を上げてにやける。
「神村くんは将来、女たらしになるね。そうやって、甘い顔と言葉でいろんな女をとりこにしていくんだ。皆、神村くんに気を付けろ~、この男は沼かもしれないっ!」
香奈さんはなぜか周囲に向かって叫び出す。完全にテンションがおかしい。疲れすぎてテンションが壊れてるのか、それとも周りを元気にするためにふざけてるのか。
テンションが壊れてしまった彼女とそのままバスに乗り込み、帰路につく。
相当疲れていたのか香奈さんは十分もたたずに完全に寝落ちした。
僕の肩に頭を乗せ、何かに縋りつくように右腕に抱き着いている。柔らかい胸の感触が背中よりずっとダイレクトに伝わって来て、疲労による眠気が吹っ飛んだ。
周りをきょろきょろ見回してみても、多くの者が眠っている。なんなら軽くいびきかいてる人までいる。
誰も見ていないならいいかと思い、一瞬、スマホで香奈さんの天使の寝顔を記録したいという衝動に駆られた。左手で携帯電話を取り出し、シャッター音の鳴らない録画で記録しようとするが、これじゃあ一種の盗撮じゃないかと気づき、何も撮らずポケットにしまった。
――この瞬間は心の中に残しておけばいいか。なんだかんだで今日の登山は忘れられない思い出になりそうだ。
一時間もしない間に、敦賀市民体育館の駐車場に到着。午後五時頃で、外は夕焼けに染まり始めている。バスに乗っている間ずーっと腕を放してもらえなかった。
「香奈さん、香奈さーん、香奈さん? 香奈さぁ~ん、かーなさん」
何度も名前を呼ぶけど、まったく起きる気配がない。
「神村くん、こういう時はねー、王子様のキッスで起こしてあげるんだよ~」
嵐山さんがキャッキャと一人ではしゃぎながら笑顔を振りまいていた。お姫様気質のロマンチストだ。おちょくっているのか、本気で言っているのか判断がつかない。
「チュッてキスされてすぐに起きたら、寝てたやつは起きていただろって思わねえか?」
「もう、愛理ちゃん、なんでそんなこと言うの。あれは真実の愛の力なんだよ」
「真実の愛ねぇ……。そんなの現実にあるとは思えないけど」
嵐山さんと楽間さんがちょっと言い合いになっていると西山先生が「早く降りろ」と声をあげる。抗争も収まり、皆、バスから降りた。
僕は少し強めに香奈さんを揺らし、声をかける。
すると、彼女はようやく意識が覚醒し、瞼をしょぼしょぼさせながら目を覚ました。僕の腕に抱きついている状況を知ったのか、すぐに放し、何事もなかったようにその場で立ち上がろうとする。だが、左足首を痛めているのを忘れていたようで、痛みが走ったのか体勢を崩す。
「危なかった」
香奈さんが倒れないように、体で受け止める。半場、抱き合っているような状況。強引にでも受け止めていなかったら、おそらく彼女はまた横転していただろう。
彼女の顔が一瞬だけ上気する。長袖体操服をぎゅっと握りしめ、体に力を入れた。
僕は無理に離れず、そっと腕の力を緩める。バスの中央まで支えながら進み、そのまま一緒に降りる。
「ありがとう、その、何度も……」
「あれくらい誰でもするよ。病院に行くまで怪我が酷くならないように気を付けてね」
僕が連れて行ってあげられたらよかったけれど、車が運転できないので難しい。背負っていくのは効率が悪いし、香奈さんも望んでいない。
「小日向、蒼真に連絡すればいいか?」
西山先生は携帯電話を取り出し、通話しようとした。
「いや、親が迎えに来るので必要ありません」
「そうか。まあ、無理せず、安静にな」
僕たちは駐車場で解散となった。「今から部活かー」と嘆くものや「今日、親に迎えに来てもらおうかな」と自転車をこぐ気力のないものなどが敦賀市立体育館の前でたむろしている。
それぞれが学校の方に戻っていく中、僕は香奈さんのそばにいようと思っていた。けれど、
「……もう平気。ありがと、ほんとに助かった」
香奈さんの一言で、僕は少しだけ名残惜しい気持ちを抱えつつ、素直に帰路についた。
☆☆☆☆
夕食が終わり、お風呂や歯磨きを終え、眠る準備を終えた頃。自室で香奈さんの足を心配していたら机の上に置いてあった携帯電話がぴろりんっと鳴る。
確認してみると、香奈さんから「軽傷だったよー」という短いメッセージだった。
足首にバンテリンのサポーターを取り付けられた写真が送られてくる。
少し安心したその時、既読がついたとわかったのか電話がかかってきた。画面に「小日向香奈」と表示されていた。出ないのもおかしいので、サンコールまでに緑の受話器マークを押した。
「も、もしもし?」
「ああ、神村くん、私、大した怪我じゃなかったよー」
「そうなんだ、よかった。でも、怪我は怪我だから。安静にしていないと駄目だよ」
「わかってる、わかってるー。私もこんな状態で走り回るようなアホじゃないよ」
何気に女子と電話するのは初めてなのではなかろうか。思い返してみても記憶にない。小学校や中学校の時に女性の教師と連絡網の確認くらいか。
「なんか、不思議。電話なのに、冷たい感じがしない」
「冷たい感じ……って?」
「私、家族としか電話しないんだけどさ、連絡とかそんなんばかりで日常会話しないんだよね。だから、いつも冷めてるの。ニュース番組を見て、ウォーって盛り上がらないでしょ」
「なるほど確かに。でも、意外だ。香奈さんならひっきりなしに電話とか、メッセージを友達に送っているイメージがあったのに」
「根は陰キャだからねー。自分の核は簡単に変わらないんだよ。いっぽう、神村くんは誰とでも仲良くなれそうな陽キャ気質を感じる。もっとウェイウェイしていたらもっとモテるよ」
「ウェイウェイしている必要性が感じられないからなぁー。僕は香奈さんと話しているだけで楽しいから、大勢でワイワイしようと思わないな」
「……ほんと、ナチュラルに女を口説こうとする。そういうの、素で言っているの?」
「え、普通言わないの? ご、ごめん。無意識で。お父さんが、よくお母さんにそういうこと言っていて、それが普通かと思って。気持ち悪かったらごめん」




