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「……ありがとう、神村くん」
「気にしないで。香奈さんは何も悪くない。ちょっと運動音痴で、ドジなだけだから」
「むぅう……、私はドジじゃないよ」
――どの口が言っているんだろう。
何か口走れば、彼女が暴れかねないため、気持ちを飲み込んだ。
一五分ほど歩いていると、背後から声が聞こえてきた。嵐山さん達が駆け寄ってくる。
「ちょ、香奈ちゃん、どうしやったの、大丈夫なの?」
「疲れすぎて、神村に背負わせてるって言ったら、ちょっと引くぜ……」
「私でもそこまで言わないよ。すっころんで、足首を捻っちゃったの!」
女子たちが彼女のお尻を支えたり、僕の肩を持って安定するように配慮してくれた。大分歩きやすくなった。一種の騎馬戦状態。これなら、下まで持ちそうだ。
僕たちは最初に出発した影響か、他の先生と全くすれ違わない。でも、問題なく彼女を下山させることに成功した。歩いている間に泥は乾燥し、叩けば砂粒が落ちる。
僕の背中にも泥がついていたようで、香奈さんがが「じっとして!」と言いながらパンパンと叩いてくれた。干された布団の気分。
バーベキューもできそうな広場に入り、ベンチに香奈さんを座らせる。
下山は登りよりも早く歩け、一時間三〇分ほどで降りられた。もう、足の筋肉が張って仕方がない。
「ちゃんと病院に行った方がいいよ」
「わ、わかっているよ」
「香奈さんは病院が嫌いそうだからさー。ちゃんと言っておかないとと思って。湿布を張っておけば治る! って根性論を持ち出しそう」
「私にどんなイメージを持ってるわけ……。ほんと、お節介が過ぎるよ」
香奈さんは視線を背け、脚をぶらぶらさせながら愚痴を呟く。家出して交通事故にあってしまったのに、飼い主にツンツンしている猫みたいだ。
――滑って打ちどころが悪かったり、崖に落ちてしまっていたらもっとひどい怪我になっていたかもしれない。ちゃんと反省してもらわないと。
「僕は香奈さんが心配なんだよ。なんか、危なっかしくてしょうがない。自分のこと、もっと大切にした方がいい」
彼女は押し黙り、口をきいてくれなくなる。おそらくウザがられた。これ以上、内側に入り込んだら殴られそうだ。
一歩引き、一定の距離を取りながらこの場で体を休める。
午後三時頃の穏やかな日差しが暖かい。強すぎず弱すぎない風も汗をかいた肌が涼んで心地よい。
下山した者たちが自販機にお金を入れ、ボタンを押す。飲料が落ちる音が何度も聞こえた。多くの者がジュースやお茶、水を飲み、居酒屋にいるおじさんのように「ぷはぁ~!」といい声を出す。
「神村くん、お疲れ様。見た目以上に力持ちでびっくりしちゃったよ」
嵐山さんがちょこちょこと走って来て、イロハスを手渡してくれる。さっきまでと同じく天真爛漫な笑顔。でも、どこか雰囲気が変わっているように見えた。
「ありがとう。えっと、一二〇円くらいかな?」
財布を取り出そうとすると彼女は「いいよいいよ、気にしないで」と手を前に突き出す。どうやら奢ってくれるらしい。
香奈さんにも手渡しており、疲れていても面倒見がいい性格は健在だ。僕たちに水を渡した後、ほかの女子のもとに駆け寄っていく。
「嵐山歩ちゃん。小動物みたいで可愛いよね。なのにお姉ちゃん気質なのか面倒見が良くて愛想もいい。相手を気遣えるところも高評価。神村くん、好きになっちゃったんじゃない」
香奈さんはペットボトルを太ももに挟み、俯きながら呟く。元気が一切なく、眠る前の子供みたいな雰囲気を纏っていた。猫背具合がやはり、星野さんとちょっと似ている。
「確かに香奈さんと同じように思っていたけれど、好きになっていないよ」
「彼女と付き合ったら凄く尽くしてくれそう。何でも健気にこなして大学生で大人になり、男の本性を知って辛い目に合うけれど、五人目くらいの彼氏と幸せな結婚生活を送るの……」
「な、生々しいな……。どうしちゃったの」
「別に……、どうもしていないよ」
――その雰囲気でどうもしていないってことはないと思うけどなぁ。
「おおい、小日向、シップを貰って来てやったぞ」
楽間さんは一枚のシップをヒラヒラと動かして走ってくる。登山で疲れた後なのに、走ってしまったからか、数メートルで息が上がっていた。
ぶっきらぼうに見えるも、自分に何かできないかと考えている優しい人だ。香奈さんの左足首に張り付け、満足そうに口角をあげる。
「ありがとうー、すうすうして気持ちいー」
「そうかそうか、じゃあ、安静にな」
やることを終えると、さっさと仲間のもとに戻っていく。今日の夜のアニメもリアタイするんだとオタク仲間と話し合っていた。明日も死人のような顔で登校してくるんだろうな。
「楽間愛理ちゃん。ちょっと暗いけど、知識が豊富で聞き上手。社会にねたみ嫉みがおおそうだけれど、意外に常識人。本気で好きな人ができたら化けるタイプ……。顔も前髪を整えて健康な睡眠をとれば大分可愛い。神村くん、好きになっちゃったんじゃない?」
「……いや、好きにならないけど。というか、香奈さん、滅茶苦茶詳しいね」
どこからそんな情報を仕入れてくるのか、謎だった。でも、女子の情報網があれば何でも筒抜けなのかもしれない。
「彼女と付き合える人は限られるかな。大学デビューしてオタサーの姫になるの。勝手に回りが狂ってサークルクラッシャーと陰で言われ大学に居場所がなくなり中退。高卒アルバイトとして働いていたら趣味が合う年上の男性と出会い、熱が冷めることなく結婚。子供が五人産まれ、何だかんだ幸せになる……」
――香奈さん、相当疲れちゃったんだな。同級生の将来を妄想して現実逃避している。
「じゃあ、僕は?」
「……神村くんは、わ、わかんない」
さっきから全然視線を合わせてくれない。何か悪いことしてしまったのだろうか。
もしかすると、頂上で彼女のペットボトルを直飲みしてしまった件で未だに怒っている可能性もある。
「昼間は香奈さんのペットボトルを直飲みしてしまい、申し訳ありませんでした!」
僕は誠心誠意を込め、思いつく限り自分の失態を謝る。だが、彼女の目は丸くなり、ぽけーっと呆けた顔になった。
ぷっと空気を吐き出したかと思うと、お腹を抱えて笑い出す。
「いきなり謝らないでよ。ほんと、天然だね」
「天然じゃないけど、天然水並に純情だと思っているよ」




