15
「神村くん、下山でも勝負しようよ」
香奈さんは歩けているが表情は薄暗い。モチベーションがだだ下がりしている。
「登りよりも降りの方が危険だから、今は……」
「むぅ、じゃあ、神村くんが勝ったら、何でも言うことを聞いてあげる」
彼女はどうしても勝負したいのか、これまでにないほど破格な報酬を提示してきた。女子が男子に「何でも言うことを聞いてあげる」と言ってはいけません、と突っ込みたくなった。
僕は彼女に勝って何をお願いしようか考えてみる。でも、特にお願いしたいことが思いつかなかった。エッチなお願いなど強制するのは男らしくない。恋人になって貰うのも、命令で付き合ったとして長続きするとも思えない。
「それでも、今は勝負しないよ。安全が第一だからね」
「はぁ~、つまんなーい」
香奈さんは僕の隣から離れるように前に出る。登りの時と同じように、体力を温存しながら降りなければ途中で力尽きてしまう。リュックは軽くなり、歩きやすくなっているとはいえ、ここまで相当な体力を使った。慎重に歩くに越したことはない。
「神村くんは香奈ちゃんについて行ってあげて」
「あいつ、なんか危なっかしいからなー。神村がいれば多少は大人しくなるだろ」
嵐山さんと楽間さんは登りより比較的楽な下山に慣れて来たようだ。僕がいなくとも、女子グループは纏まり、降りていけるだろう。
問題は香奈さんだ。彼女は集団行動が苦手ってわけじゃない。むしろ、いつも中心にいる。でも、どこか気まぐれで、ひょいと一人で離れてしまう。まるで猫みたいに自由気まま。
「わかった。みんなも足下に気を付けて」
僕は小走りで香奈さんの後を追う。泥の斜面や、水で濡れたコケなど、非常に滑りやすい状況のため、速度は出し過ぎない。吐出した石に躓いたら、簡単に転んでしまう。そう思った矢先。
「きゃあっ!」
香奈さんの聞き慣れない甲高い声がうっそうと木々が生える森の中に響く。
何事かと思い、僕は彼女のもとに安全を度外視して走って駆けつけた。彼女は急斜面で滑ったのか、前のめりに倒れたまま蹲っている。
「こりゃ派手にやっちゃったね」
体操服は前面が泥まみれ。でも、出血は見られなかった。どうやら切り傷はないようだ。彼女は鼻をすすり、目が充血していた。
ときおり、痛みを我慢するように頬が引きつる。左の足首が熱を帯びたように腫れており、おそらくひねったのだろう。
立ち上がる気力もなくなるほど完全にやる気を損失していた。もはややる気の問題ではないか。自力で立ち上がるのは難しそうだ。
僕はリュックから保冷剤を取り出し、バスで手に入れたポリ袋に入れて彼女の左足首に当てる。首に巻いていたタオルを外し、保冷剤や足首が動かないようしっかりと固定。
「……手慣れているね」
「これでも、運動部だったからね」
柔道部は相手を投げ合う競技のため、怪我が付き物。
僕は受け身が得意で、滅多に怪我しなかった。それでも他の部員はよく怪我したので応急処置の仕方位は心得ていた。まさか、こんなところで手ほどきするとは思わなかったけれど。
「あぁーあぁ、ほんと、私ってバカだな……」
香奈さんは小山座りするように身を縮め、見るからに傷心していた。
運動が苦手だとわかっていながら自分で突っ走って転び、周りに迷惑をかけてしまっている状況に、プライドの高さが相まって羞恥心と劣等感に苛まれているのかも。
そんな彼女の姿を見ると、どうも手を差し伸べたくなってしまう。暇そうな顔で授業を受けていたさい、話しかけた時と似ていた。
僕は背負っていたリュックからレジャーシートを取り出し、三角形になるように半分に折る。クルクルと丸め、長めの縄を作った。
「香奈さん、僕の背中に乗って」
「えっ。いやいや、こんな山中でおんぶなんて……」
「部活の時、香奈さんより重い男子を背負いながらよく走ってたから、ある程度は大丈夫」
坂が一番急な場所は乗り越えた。後は多少のアップダウンを歩いていくだけ。それなら、彼女を背負って下山できると思った。
肩に腕が乗ると、彼女の体が背中に当たる。作った縄を彼女の太ももとお尻辺りに通し、僕のお腹辺りでしっかりと結ぶ。すると、彼女はブランコに乗っているように体勢が安定し、無駄な力が必要なくなる。
僕もお腹に力が入り、バランスが崩れにくい。だが、背中に空間が開くと体勢が崩れやすくなる。
「香奈さん、もっとしっかり抱きついて。空間がなくなるくらい」
「んっ……。わ、わかったよ」
香奈さんの顔が肩に乗るほど密着し、ちょっと重いリュックを背負っている状態と変わらなくなる。なんか、普通のリュックよりも背中のクッションが柔らかく、温かい。
体幹を鍛えておいてよかった。そうじゃなかったら、彼女を背負って運べなかった。
一人で歩いている時より、ずっと遅いが着実に前に進んでいる。
「な、なんか、この恰好、恥ずかしいんだけど……」
「足を怪我しているし、誰かに背負ってもらうほかないんだから文句を言わない。西山先生におんぶされるより、僕の方がマシだと思わない?」
「別に……。西山先生の方が安全に運んでくれそう」
「うぐ、ぼ、僕だって一人の女の子くらい安全に運べるよ」
きっと西山先生を待っている方が得策だった。でも、背負ってからやっぱり止めるというのもなんかダサい。西山先生が追い付いてくれれば彼に預ければいい。そう思い、一歩を踏み出す。
敦賀高校一年生全員が野坂山の中にいるはずなのに、この場にいるのは僕と香奈さんの二人だけ。多くの者が集団で動いているのに僕たちだけ遭難してしまったみたいな雰囲気だ。
最初は運べるかちょっと心配していたけれど、彼女が思っていたより軽く、足取りも悪くない。彼女を助けたいという気持ちがやる気となり、活力として体の中で燃えているのかも。
「えっさ、ほいさ、えっさ、ほいさ。僕なら出来る、僕なら出来る」
呼吸を怠らないために掛け声を出す。しんみりした雰囲気を吹き飛ばすべく、笑顔は欠かさない。




