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「全員乗り込んだか?」
バスの天井に頭がついている西山先生がマイクを使うまでもなく野太い大きな声で生徒の数を数え始めた。
窓の外に視線を向けると、他のクラスの者たちがバスに乗り込んでいくのが見える。まるで修学旅行の出発みたいな不思議な雰囲気が漂っていた。
「ん〜、神村くん、いま私のこと見てたでしょ?」
「いや、外を見ていただけだって」
「ふーん。じゃあ、私のこと意識しすぎて目を逸らしているってことね?」
香奈さんを意識するなと言われても無理だ。だって、可愛いんだもん。可愛い人に隣で話しかけられて平静を保てる男子高校生がいたら、それはもう悟り開いているよ。
「可愛い香奈さんを見続けて気持ち悪いって思われないように気をつけているんだよ」
僕は前座席の背中に視線を向け、トレーを止めているプラスチックの摘まみを弄り、さらに下にあるネットに入った透明なポリ袋を手に取った。ごみ入れに丁度いい。
「……ばか、また、そんなこと言う」
香奈さんは窓際の縁に右ひじを乗せ、頬杖をつく。視線は窓の外にある松原に向けられていた。ただ、透明な窓ガラスにうっすらと彼女の褐色が良くなったにやけ顔の表情が映る。
バス内の温度が人ごみで上がってしまい、暑いのかもしれない。
人数の確認が終わり、バスは出発した。おそらく三〇分から四〇分程度で到着するだろう。
通勤ラッシュの時間帯故、少し伸びてしまうかもしれないが、隣に香奈さんがいると暇することはなかった。
妙に本の趣味が合い、人気作の内容を語り合った。時折、彼女が出すクイズを解き、折り畳み式の小さなマグネットオセロをこなす。
一時間近い移動が一〇分に感じられた。
「あれ、もう着いたの?」
どうやら、香奈さんも僕と同じ感覚になっていたようだ。
バスは野坂山の中に作られた少年自然の家という施設近くの駐車場に止った。
僕たちは安全な登山コースまでアスファルト舗装された急な坂を上っていかないといけない。
「よし、残りのバスが到着するまで一時待機。二組、三組が到着しだい、登るぞ」
トイレに行きたい者はバスを降り、問題ない者はバス内で待機。
「ねえ、神村くん、今回も勝負しない?」
香奈さんは普段の小さな勝負を仕掛けてくるときと違う雰囲気を纏いながら話しかけてくる。大勝負でも仕掛けてくるつもりだろうか。
彼女の雰囲気に気おされ、一瞬尻込みしそうになったけれど、勝負と言われ両手に力が入った。
「いいよ。受けて立つ」
僕は勝負事が好きな性格ではないと思っていたけれど、彼女との勝負は嫌いではなかった。
競い合うという人間の本能を刺激されているのかもしれない。
「どっちが先に山頂に着くか勝負。私が勝ったら女子全員にガリガリ君を奢って」
「もし僕が勝ったら?」
「私が神村くんだけにハーゲンダッツを買ってあげる。ただし、神村くんはハンデありね」
香奈さんは小悪魔な雰囲気を放つ。
「な、なんかいろいろと平等じゃない気がするんだけれど」
「神村くんは体力テストで圧倒的だったじゃん。私は運動がほんのちょっと苦手だから、いいでしょ」
香奈さんは両手を握りしめ、あざとい笑顔を振りまいた。
おそらく登山に乗り気ではないのだろう。何かしら気を紛らわせる、登る理由がなければやる気になれないから勝負を吹っ掛けてきたと思われる。
ここで乗ってあげないと、彼女の機嫌が最悪になるだろうな。まあ、クラスの女子にガリガリ君を奢っても千円ちょっとか。
「ハンデっていったい何なの?」
「私の荷物を持って上ってもらう」
香奈さんはリュックを差し出さした。一〇キログラム近くありそうな重さだった。
――いったい何が入っているんだ。でも、丁度いいハンデな気がする。
一〇分程度で、二組と三組のバスが到着。僕たちはバスから降り、駐車場に整列。百人近くの高校生が同じ体操服を身に纏い、青々とした森の新鮮な空気を吸っている。日陰にも拘らず、時おり差し込んでくる木漏れ日が柔らかい。
「軽く準備運動しておかないと、足がつるぞ。水分補給も忘れるな」
体育教師である西山先生の忠告にちゃんと従い、多くの者が屈伸運動や震脚、跳躍などをこなし、持参した飲み物を口にする。
運動部は表情が明るく、帰宅部や文化部、運動が苦手な者は上り切れるのだろうかという不安が表情に滲んでいた。
「さあ、みんな、頑張ろう。やればできる、やらねば出来ぬ何事も」
香奈さんは荷物を僕に預けているため、誰よりも身軽で元気だった。調子がいい人だ。
でも、皆は彼女の調子につられ、暗かった表情の者も明るくなった。元気がある者を見ると、自然に元気が貰えてしまう。
僕は夏場ではないが一応虫よけスプレーを振る。
「神村くん、私たちの顔にもかけて~」
他の女子たちも振って振って~と寄ってきた。
春と秋が消えたような暑さが特徴的な今の時代、蚊の対策をしておくことは無駄じゃないはずだ。
女子たちにスプレーを吹きかけていると、香奈さんもやってくる。
目を瞑り「んっ」と息を止める。ちょっとキス顔に見えなくもない。変なことは考えず、顔や首、手足にスプレーを振った。
登山の準備は万全。後は脚を動かし、頂上を目指すだけだ。
「頂上までおよそ、二時間から三時間だ。雨で地面が滑りやすくなっているから気を付けろ」
西山先生が歩きだし、一組は背を追うように付いていく。
アスファルトの道は舗装されているため歩きやすいが、登山路は自然そのもの。
決して標高の高い山ではないが、真っ直ぐ上り続けるだけではない。蛇行したり、上り下りしたり、直角三角形の高さと斜めった辺の長さが違うように、標高一キロメートルもない山なんて余裕じゃねと思っていた輩は、痛い目を見ている。
「登山、きっつーい!」
香奈さんは案の定、愚痴が零れた。疲労が脚に溜まっているようで緩やかな坂道を上っているだけで舌打ちを連発する。




