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中学卒業の日、三年間片思いしてきた相手に好きですと言ったあとに何と言えばいいのだろうか。
三月九日の今日、僕は福井県敦賀市立粟野中学校を卒業する。
三年間通った通学路を歩くのも今日で最後。高校受験のために一年間一丸となって励んだクラスの皆とも今日でお別れ。
制服は物持ちがよく、三年間使えた。すでに履きすぎてお尻の部分に艶々の光沢が出ていた。つまるところ、僕は三年間ほとんど身長が変わっていないということ? いや、そんなことはない、ちょっとは伸びたはずだ。最近、そんな気がしている……、気がしているだけかもしれないが。
「優っ、おはよう、いやあ、今日で卒業か。思っていたより、あっと言う間だったな」
僕の背中を叩くのは、丸刈り頭の桐谷陽翔くん。身長が一七〇センチメートルを超えており、順調に成長しているお調子者。
彼のおかげで中学の部活や学校生活が充実した。でも、それも今日まで。
彼は部活動推選で、福井県の中でインターハイ常連校の福井工業大学付属高校に入学が決まっている。さすが、県大会二位の実力者。僕も三年最後の夏の県大会は三位。まあ、体重が軽すぎて出場者が三人しかいなかったんだけれど……。二年生や、一年生に負けちゃったんだけど。
嫌な思い出が頭の中に流れてくるが、頭を横に振って気持ちを切り替える。
「優は卒業しても柔道を続けるのか?」
「いや、どうだろう。僕、公式戦で一度も勝ったことがないから……」
陽翔くんの誘いで僕もちょっとは男らしくなれるかと思い柔道部で三年間過ごしてきたが、そう上手くもいかず。
「優は続けた方がいいと思うぜ。パッとみ、ショートヘアの女の子過ぎて悪い男に襲われるかもしれない。柔道を続けていれば、そうなっても怖くないだろ」
「そ、そこまで女の子っぽくないでしょ!」
「冗談だ、冗談。そんな気にするなって。成長期が遅いだけだ。優の父さんはガタイがいいし、母さんもスポーツ万能だったんだろう。血って結構凄いらしいぜ、知らんけど」
僕の視線は自転車小屋から一人で歩いていく女の子に向いた。星野香奈さんだった。腰まで伸びた黒い髪、でもパサついて見える。黒ぶちの大きめな眼鏡をかけ、下を向き背中を丸めながら歩いていた。
図書委員で大概図書室にいる。一度も同じクラスになれなかったけれど、多くの学校行事や校舎内で見かけた……僕の好きな人。
中学校側が定めた学生鞄に取り付けられた氣比神宮の縁結びや学業祈願、交通安全のお守りが風に揺られる。僕も一部同じ品を付けている。それだけで表情がほころんでしまう。
僕たちはまだ高校生になれていない。一般受験の者は今日が合格発表日だ。だから、お守りを身に付けた者も必然と多い。
「おーい、前、見えてるかぁ~? また、星野さん見てるのかよ、優って以外に趣味が変わっているよな」
――まったく陽翔くんは星野さんの魅力がわかっていないな。まあ、僕も何で好きになったのかよく思い出せないけど、いつの間にか目で追うようになっていた。
陽翔くんのツッコミにムッとしながらも、僕はそのまま目線を逸らせなかった。
生徒会の者たちや先生が僕たちの胸に花飾りを付ける。
通い慣れた教室の席に座り、集まるのはもうほとんどない皆と最後の朝の出席確認をこなす。着物姿の担任の先生、窓から見えるグラウンドに入ってくる保護者の車、予定通りに始まる卒業式。
体育館で名前順に座っているため、僕の位置から星野さんの姿は見えない。ときおり、後ろを振り返って隣のクラスに混じる彼女の姿を探す。
まだ体育館に入場したばかりなのに泣いている者もいる中、星野さんはすんとした表情で椅子に座っていた。さっさと終わらないかなと思っているのかも。
「学校長祝辞、一同、礼」
椅子に座ったまま、僕は声に合わせて頭を下げる。ステージの上に置かれた演説台と豪華な生け花、背後に掲げられた国旗と学校の校旗は皴一つなく、窓から入り込む日差しが非常に柔らかい。柔らかい光が校長先生の頭に当たり、いつも以上に光って見えた。カメラのシャッターのようにチラチラ光るので、周りの者は笑いを堪えるので精一杯。
何も気づいていない校長先生が胸もとから挨拶の言葉が書かれた紙を取り出すとマイクの前で喋り出す。皆、校長先生の話など一切耳に入っておらず、頭を動かすたび光の反射する位置が変わるのを目で追ってしまっていた。僕もその一人……。
「今日で、皆さんの義務教育が終了します。高校に進学する者、仕事する者、様々な進路が木々の枝のように分かれていきますがここまでめげずにやり遂げてきた皆さんは立派に成長しました。自信をもってこれからも生活してください」
視線を左右に振ると、パトカーや救急車のランプのように光の筋があっちこっちに飛び交い、こらえきれなくなった者たちが口を手で押さえ始める。
「人という字は二辺であるように、一人では生きていけません。支えられ、支える。このような関係が大切です。決して一人で悩まず、誰かに支えられ、また支えてあげてください」
僕は笑いを堪えるふりをして、視線を星野さんに向けた。だが、あくびしながら眼元を手の甲で掻いている。寝不足なのかもしれない。猫みたいでかわいい……。
校長先生の挨拶が終わると、来賓祝辞や卒業生謝辞、在校生答辞など瞬く間に終わった。校歌斉唱、立ち上がったり座ったりするたび、僕は星野さんを見てしまった。
――星野さんはどこの高校に行くんだろうか。
現在の中学生の進学率は九八パーセントを超える。おそらく彼女もどこかの高校に入学するはずだ。知名度の低い福井県と言えど、高校は結構ある。
福井市にある藤島高校や高志高校、武生市にある武生高校など、勉学が盛んな福井県屈指の進学校に入学するのだろうか。
そうなれば、星野さんと会うことはない。もしかすると、今日で一生会えなくなる可能性もゼロではなかった。
小学校、中学校共に彼女と僕の接点はゼロ。
告白したところで、いい返事がもらえないことくらいわかっている。
でも、せっかくここまで好きになった子にこのまま告白せずに終わって良いのだろうか。
担任の先生が「神村優」と僕の名前を呼ぶ。「はいっ!」と体育館中に響くほど大きな声をあげる。
声変わりしても、体格のせいか少々高めの声。名前も女の子っぽいし、弄られることが多い。ただ、柔道部に入っていたおかげで虐められることはなかった。柔道場で部活していると、クラスの女子から本当に柔道部なんだと毎度驚かれてしまうのも懐かしい思い出だ。
クラスの代表者がステージの上がり、校長先生から卒業証書を受け取り戻ってくるのを七回ほど繰り返した後、仰げば尊しを歌い、星の光のピアノ伴奏と共に卒業生は退場していく。
教室に戻れば保護者達が教室の後ろで中学生最後のホームルームに参加し、卒業アルバムや記念品などが配られる。
僕は受け取った卒業アルバムを開いた。一年生から三年生までの間に撮りためられた写真の中から写真屋さんが抜粋してレイアウトもプロがこなしているため、完成度が高い。
僕の顔写真だけ見ると、われながらもしかして女の子ではなかろうかと思ってしまう。だが、股に手を持って行けば確かに男だとわかった。
個人写真から集合写真、行事の写真、部活動の写真まで幅広い。柔道部の写真ももちろんあるが、僕と陽翔くんの二人だけ。三年生しか映っていない。後輩はもっと多いので部活がなくなることはないと思うとちょっと一安心。
二年生たちが強かったのと、僕がへっぽこだったのもあって一度も団体戦のメンバーに選ばれることはなかった。最後の夏の大会で団体戦は県大会三位、インターハイには行けなかった。もう、その時の後輩たちが泣きすぎて困ったのもいい思い出。
どうやら、三年の僕に引け目を感じてしまったらしい。県大会三位でも十分凄いと思うけれど、僕だけだったのだろうか。こ、こっちは三チームとかではなく、ちゃんとトーナメントが組めるくらいの数がいるから、本当に凄いよ。
卒業アルバムの中で自分を探すのが普通かもしれないが、僕は無意識に星野さんを探した。
彼女の影が異様に薄いので、まるでウォーリーを探せをこなしているみたいな気持ちになる。彼女の姿を見つけると毎度僕の視線が彼女に向っている状況だった。背景なのでほとんどの人が気にしないと思うけれど、なんか恥ずかしい。
何度探しても星野さんがアップで映っているのは個人写真のみ。部活写真の中に姿は見えなかった。粟野中学校の生徒はほとんどが部活に入っているというか、入らされるので途中でやめてしまったのかもしれない。彼女との接点がなさすぎて、全然わからないのが辛い所だ。
「優、これを渡しておくぜ」
陽翔くんは数字やアルファベットが書かれた紙を差し出してくる。
「俺の連絡先だ。今時、携帯電話を買ってもらえない中学生も珍しいんじゃないか?」
「ははは……、頑固と言うか、厳格と言うか、曾祖父、祖父、父って三代続く大工だからさ。でも、おかげでネットでのいじめも受けなかったよ」
「なんで、優はいつも虐められる対象って思ってんだよ。お前みたいな良いやつ、誰も虐めようと思わねえだろ」
「いやぁ、それほどでも。両親の教育のたまものかな」
「まあ、困ったら連絡しろよ。高校は違っても、苦難を乗り越えた仲なんだからな」
「うん、ありがとう。携帯電話を買ったら一番に登録する」
「おぉ、優の初めてを貰えるなんて、光栄だねエ」
陽翔くんは猿のような顔でキキキっと笑い、身の危険を感じた僕は体を抱きしめる。そんなやり取りをこなして、いつも笑いあっていた。
「じゃあ、俺はもう行くわ。これから、福井市で寮生活だ。明日から、部活地獄が始まると思うと泣けてくる。まあ、柔道は嫌いじゃねえんだけどさ」
陽翔君は手を振って帰っていく。今から車に乗って一時間近く掛け、高校の寮に向かうのだろう。
小学校からほぼ毎日顔を合わせていた彼の姿が見られなくなると思うと、時間の流れを感じざるを得ない。
高校から多くの者が自分の進路のためにわかれていく。それが、義務教育を終えた者たちの進む道。どれだけ幼少期から一緒にいようと、進む道が違えば遠ざかっていく。
今は、彼の連絡先がある。携帯電話を手に入れれば、彼と連絡することは可能だ。
「でも、星野さんとは……、もう」
すでに三年生は下校しても構わない状況だった。このまま、家族とファミレスに寄って昼食を得る予定があるものの、それでいいのだろうかと考えてしまう。
このまま終わったら、一生後悔するんじゃないだろうか。
卒業式までの間に、星野さんに何度も話しかけようとした。でも、また今度と一歩引いた。今日で中学校は最後だ。もう、今度など一生来ない。
「優、どうしたー? 早く、ファミレスに行こう」
弟の直が話しかけてくる。だが、ここで家族について行ったら二度と星野さんと会えないかもしれない。
「ご、ごめん、ちょっと待ってて!」
僕は教室から勢いよく飛び出す。隣の教室を覗き込むが、星野さんの姿はない。もう、下校してしまったらしい。家族の車で帰る者が多い中、彼女は自転車小屋から出てくるのを今朝見たばかり。自転車できたということは、自転車に乗って帰るということ。
「自転車小屋だ」
僕は廊下を埋め尽くす人々の隙間を縫い、三階から一階まで駆け降りる。途中で陽翔くんを追い越し、外用の靴に履き替えずシューズを履いたまま自転車小屋まで走った。
まだ、各クラスのホームルームが終わったばかりで、帰宅中の者はほとんどいない。でも、自転車小屋で帰る準備をこなしている星野さんの姿が見えた。何か急ぎの用事でもあるのか、動きがいつもよりチャカチャカと動いている。
――い、言うんだ、今までの思いを全部。じゃないと、一生後悔するぞ。
一年生、二年生は部活、三年生は校舎の中、そのおかげで自転車小屋は僕と星野さんしかいなかった。
背後の道を走る車の騒音は、僕の心拍がかき消した。熱帯じゃないのに、立って呼吸しているだけで、背中から汗がにじみ出して止まらない。
縁結びのお守りを右手で握りしめ、目をぐっとつぶった。
一年生から三年生まで一〇九五日、心のどこかでずっと彼女のことを思い続けてきた。
接点がなかったのは、もう運がなかったとしか言いようがない。でも、運がなくとも自分で行動して話ができる仲にはなれたかもしれない。それをしなかった僕の落ち度だ。ここで思いを伝えられなかったら、男がすたる。僕は女じゃない、男なんだ。
「星野香奈さん、初めまして! 僕の名前は神村優って言います!」
声出しは僕の得意分野だった。柔道の練習中、いつも「ファイト」と声を出していたから。
声が聞こえたからか、僕の方に星野さんの視線が向く。彼女はすでにヘルメットをかぶっており自転車を引っ張り出している最中だった。
力任せに引っ張っており、ハンドル部分に引っかかった学業祈願のお守りが落っこちた。
「一年のころから星野さんのことがずっと好きでした!」
多分、産まれて一五年の内、人生で一番緊張した。
僕の無駄に大きな声を聴いた星野さんは目を丸くした。
こんな、真正面から彼女の顔を見たことなかった。前髪が長く、大きな目を隠してしまっているのがもったいない。
顔全体が整っており、化粧していなくとも美人の部類に入ると思う。好きな子フィルターが多少かかっている可能性もあるが、間違いなく大きくなればもっと美人になる。
僕が告白してびっくりするくらい沈黙が流れた。最初は表情が固まっていた星野さんも少しずつ表情が素に戻っていき、目つきが少しだけ鋭くなる。




