第6話 海の嵐
「蛇のことを知られてしまっては、無事に返すことはできませんわね」
その時、船が大きく揺れ、テーブルの上のオレンジが転がり落ちる。
「姫様。港から出航いたしました」
黒服の男が船室の外から、エスメラルダに報告した。
先ほどの揺れは、船が海を走りだしたかららしい。
エスメラルダはもう、隠すつもりはないようだった。
「ビジュー王国の方、残念ですが、あなたにはここで死んでもらいます」
「はっ。使い古された脅し文句よのぅ」
ラズベリーは嘲笑する。
皆つごうよく忘れているが、ラズベリーは恐ろしい魔女なのだ。
海の妖精たち、クラーケンやセイレーンは皆、魔女の味方である。
ほら、揺れがどんどん激しくなる。
「うわっ」
「何が起こっている?!」
「嵐です! 船長、嵐に突っ込みました!」
「なっ、さっきまで快晴だったろう!」
船員たちは、姫を放り出して右往左往した。
ころころ、ころころ、床をオレンジが転がっていく。
その一つをラズベリーは拾い上げた。
「もったいないのぅ。これから船は沈没するのだから、今のうちに食べ物を拾っておかんか」
「あなた何を言って」
「私は魔女だ。不幸を呼ぶ、な。今は夏で水温が高いから、ちょっと海水浴で済むじゃろうよ」
しかし、泳いでグレイス島に帰れるだろうか。
自然に宿る妖精たちは、ラズベリーをいつくしみ、守ってくれるが、思い通りに動く訳ではなかった。頼みを聞いて嵐を起こしてくれたが、アフターフォローまで保証してくれない。
―――私から離れないでください。
セファイドの言葉が脳裏をよぎる。
すまんな、セファイド。でも、これが私たちの運命だ。いずれ別れるのなら、早い方がいい。そなたは若い人間の娘を見つけて、ふつうの恋愛をするのだぞ。
「魔女だと?! おい、そいつを海に突き落とせ!」
ラズベリーの言葉に、水夫たちは興奮してにじりよってくる。
「分かった、分かった。甲板に出るから、近寄るな」
連れていかれるくらいなら、自分で飛び降りる。
ラズベリーは、階段を登って甲板に出た。
外は真っ暗で、雨と風が激しく荒れ狂っている。
暗闇の中、ちかりと光が走った。稲光が、もう一隻の船影を照らし出す。
「―――ラズベリー!!!」
波を蹴立てて、船が近づいてくる。
あれは、セファイドが船長を務める氷鳥号だ。白い木材で組まれた、優雅で力強い印象の中型軍船である。嵐に揺られながらも巧みに進路を調整し、すぐ近くまで船を寄せてくる。
舳先に立った銀髪の男は、セファイドだ。
見通しのきかない暗い嵐の中だというのに、彼はこゆるぎもせず、まっすぐ紺碧の瞳でラズベリーを見つめてくる。
「この、魔女めっ」
サリバン国の船員が背後から、ナイフで斬りかかってくる。
ラズベリーはそれを避けるため甲板を走り、暗い海に身を投げた。
サリバン国の船から、黒髪の女性が落ちた。
暗い海に吸い込まれていく彼女を追い、セファイドも船から飛び降りる。
「船長?!」
氷鳥号の副長を務めるシンは、仰天する。
嵐で空が暗すぎて、海の様子が分からない。
闇の中に消えた二人が無事かどうか、まったく見えない状態だった。
「やっば! セファイド様が!」
「え。でも、あの方なら大丈夫じゃ」
「大丈夫かな? だって船長は鳥類じゃん。しかも海を泳げない種類な気がする」
「あの方を鳥類と言っちゃう不敬者は、シン副長くらいっすね」
氷鳥号の面々は、混乱して甲板でおろおろした。
そうこうしている間に、嵐は収まり、海は徐々に平穏を取り戻す。
波間に浮かんでいるのは、氷鳥号だけで、サリバン国の船は難破してしまったようだ。あたりの海面には、木板や布が浮かんでいるばかりである。
「……グレイス島に戻ろう」
「それしかないっすね」
船長は自力で戻ってくると、信じるしかない。
シンの判断に、氷鳥号の船員たちはしぶしぶ同意し、帰路を目指して帆布を広げ始めた。