恋のウワサ 8
これまでの経緯をかいつまんで染谷に話すと、彼女は
「いやー先輩スゴイですねぇ。私なら助けてあげたいなんて思いませんよぉ。さっすが菜瑞先輩ぃ~、立派ですねぇ~」
なんて褒めているのかバカにしているのかわからないリアクションをしていた。
とりあえずこのことについては他言無用であることを念押ししておき、また何か変なウワサが回ってきたら教えて欲しいと伝えておいた。
その後は通常の業務に戻り、そのまま定時で仕事を終え帰路に着いた。
自宅最寄りの駅に着き、今日も渉の作る夕飯に想いを馳せながら駅前通りを歩いていたところ、たまたま目の前を横切った人影が見覚えのある顔のような気がして立ち止まった。
「…ん? あれ?」
気のせいだろうか、彼女がこんなところにいるはずがないのに…なんて思いながらその人物の方を再度確認すると、やはり思った通りの顔だった。
(こんなところで何してるんだろう…)
なんてぼんやり考えていたが、そこでぼうっとしていた頭が急激に覚醒していく。
「あっ…!! ちょ、ちょっと待って!?」
(何で彼女がここに!?)
私は訳もわからないまま走り出し、人波をかき分けその女性の元へたどり着くと肩を掴んで引き留める。
「あ、あの、あなた須崎さんでしょ!?」
そう、目の前の人物は服装こそ違うものの身長や体形、髪の色や長さが最近良く会う須崎さんにそっくりだった。一体どういう事かと慌てて引き留めたのだが…
「…は? お姉さん誰ですか?」
振り返った女性は、ぶっきらぼうな態度でそう言い放った。
ところ変わって、現在私がいるのは駅前のファミレス。駅前で私が呼び止めた女性と2人でテーブルを挟んで対面する形だ。彼女はここまでついて来てはくれたものの、非常に不機嫌そうだ。知らない女に引き留められて強引に近くの店に連れ込まれたのだから無理もない。
対面に座る女性は身長150cmくらいと小柄で、ジーパンに大きめのパーカーとラフな服装。ダークブラウンの髪は後頭部でお団子状にまとめられている。シュッとした顔立ち、切れ長の目は須崎さんにそっくりだが、右目の下にある泣き黒子のせいかどこか艶っぽい印象を受ける。
(どうしてこんなことに…)
数日前にも似たようなことがあった気がする。だがその時と違うのは、引き留めたのが私の方ということだ。
とにかくこのままでは埒が明かないので、気合を入れて彼女に話しかけた。
「えっと…とりあえず、私の名前は秋本菜瑞。百代印刷って会社に勤めています」
身分を示すため、自分の名刺を差し出す。
それを受け取りしげしげと眺めると、嫌々といった感じで彼女も名乗った。
「…レイコっていいます」
レイコ? なんか聞き覚えのある名前だな。
どこで聞いたんだっけと一瞬悩んだが、そのまま彼女が続ける。
「で、あたしを誰と勘違いして強引に連れ込んだりしたんです?」
「つ、連れ込んだって…」
確かに他人から見ればそうなるのかもしれないが、言い方ってものがあるのではないだろうか。事実ファミレスとはいえ彼女を拘束し自分に付き合わせているのは確かだが…。
気を取り直してコホンと一つ咳払いをしてから、姿勢を正しレイコさんへ訪ねる。
「あの、初対面の相手にこんなこと聞くのも変なんだけど、木下誠二って名前に聞き覚えはないかしら?」
木下誠二というのは営業部の木下課長のフルネームだ。須崎さんと話したあと、一応調べておいて良かった。
素直に話してくれるといいんだけど…と思っていると、レイコさんは
「きのした…せいじ…?」
と小さく呟きながら、一層怪訝な顔でこちらを見る。
なんかマズいこと言ったか?と焦っていると、彼女は不機嫌さを隠さない声音で訪ねてきた。
「…知っていたとして、それがあなたと何の関係があるんですか?」
まぁ当然の疑問だろう。ここは本当のことを正直に言うだけだ。
「1週間前、あなたが駅前で男性と歩いているのを見かけたわ。その男性が私と同じ会社に勤めている木下誠二さんだったの。木下さんは社内で新卒の女の子と付き合ってるってウワサが流れてるんだけど、でもその新卒の子は全く身に覚えがないって言うの。その子がアナタと顔や背格好が良く似ているので、思わず引き留めちゃったんだけど…」
追加情報として細かい日付や時間帯、その日の2人の服装なども話すと、レイコさんは少し考えたあと若干疑いの色が薄まった目でこちらに向き直った。
「…秋本さんが先週見たっていうのは、多分私に間違いないと思います。日時や服装も合っているし」
「なるほど。ちなみに、レイコさんは木下さんと、その…お付き合いされている?」
「確かに私はその男性とお付き合いしているんですけど…でも、名前が違います」
「…はい?」
名前が違う? どういうことだ?
「一緒にいた男性は、木下誠二さんじゃない…ってこと?」
「はい、木下誠二さんじゃなく、木下雄一さんです。免許証も見たことがあるので間違いありません」
「え? ええ!?」
「それに雄一さんが働いているのは印刷会社じゃありません。商社勤めと聞いています」
「えええええ!?」
ど、どうなっているんだ。私があの日見たのは(恐らく)木下課長のはずだった。実は先日密かに営業部へ行って本人の姿を再度確認したが、顔や背格好も先週見た姿そのままだった。だというのに名前も仕事も違うとなればそれは間違いなく他人だ。名字が同じということは、雄一さんというのは木下課長の兄弟なのかもしれないが、だからといって顔や背格好まであんなにも似るなんてことあり得るのか?
私は予想外の事実に混乱しきっていたが、レイコさんは構わず話を続けた。
「雄一さんと出会ったのは半年ほど前で、当時バイト先で迷惑な客に悩まされていた私を励ましてくれて…それがきっかけでお付き合いをさせて頂いています」
「そ、そうだったの…いい人なのね…」
頬を赤らめながらそう言うレイコさん。つり上がっていた目尻も幾分か下がっていて先ほどまでの凛々しい雰囲気はどこへやら、デレデレと浮かれた様子である。そう言えば私も渉の話をする時は目尻が下がると染谷に言われていたっけ。まさにこんな感じに見えていたのだろうか。
私がぼんやりとそんなことを考えていると、レイコさんはハッと我に返り今度は私に質問をしてきた。
「ちなみになんですけど、その私に似てるっていう女性…なんて名前なんですか?」
「ああ、言ってなかったっけ。その子の名前は須崎彩花って言うんだけど…レイコさんとは顔もすごく似てるし、親戚だったりする?」
それを聞くとレイコさんは顎に手を当て考えるそぶりをしていたが、何か思い当たったのかハッと顔を上げると、再度私に問う。
「あやかって、どんな字で書きます?」
「ええと、彩りの”あや”に花壇の”か”だったはず…」
私がそう口にした瞬間、対面のレイコさんはガタンとテーブルに手を付き立ち上がった。
「なっ、ど、どうしたの!?」
「…あやか…!!」
何事かとレイコさんの顔を覗き込むと、そこには驚きと戸惑いが混ざったような表情を浮かべていた。彼女はバッと顔を上げたかと思うと、テーブルに両手を付いたまま前のめりで私に顔を近づけてくる。
「あ、あの! どうにかその須崎さんに合わせてもらうことってできませんか!?」
「ど、どうしたの急に」
私が半身を引くのを見て冷静になったのか、彼女は前のめりになっていた体を戻し席に座り直した。かと思うと今度は俯いて自分の手元をじっと見て、何も言わなくなってしまった。
「ねぇ、なんで会いたいのか理由を教えてくれない? 事情によっては協力できるから」
「………」
できるだけ優しい声色でレイコさんに話しかけると、彼女はボソボソと答える。
「…かも…いんです…」
「ん?」
「…生き別れになった、妹かもしれないんです」
「…………え?」
…生き別れの……妹!?!?
「え、ええーーーーーっ!?」