恋のウワサ 6
須崎さんが落ち着いたところで一緒に店を出て、駅前で別れそれぞれの帰路へつく。別れ際、気丈にも笑いながら手を振る彼女を見て少し心が痛んだ。
そのまま自宅までまっすぐ帰ると、渉がいつも通りに出迎えてくれた。
「おかえり。今日は遅かったね」
「ただいま。ちょっと仕事以外で問題がね」
それだけ言ってリビング隣の寝室に入り手早く着替えを済ませる。洗面所で軽くメイクを落としてリビングに戻ると、渉は既に夕食の準備を終えていた。私が席に着くと2人で「いただきます」と手を合わせ夕食を食べ始めた。
「…ということがあったワケよ」
夕飯を食べながら今日あったことを一通り渉に話した。ちなみに夕飯は白米に麻婆豆腐、卵スープと鳥ささ身入りサラダといった献立だ。特に麻婆豆腐は辛いながらも香りが良く、旨味も強い絶品だ。渉は「市販の麻婆豆腐の素で作っただけ」というが、私が作る時とは段違いに美味しい。何か隠し味があるに違いないが、渉はそういったものを隠したがる傾向がある。
夕飯に舌鼓を打ちながらニコニコしている私とは対象的に、渉は途中から難しい顔を浮かべている。
「どうしたの? 何か考え事?」
「ああいや、さっきの話でちょっと気になることがあって」
「気になること?」
「ああ、その須崎さんに話しかけてきた先輩っていうのが気になってね」
あのデリカシーのないお節介野郎か。
「まぁ菜瑞が言う通り、初対面の相手に『君のこんなウワサが出回っているけど本当?』なんて聞くのは非常にデリカシーに欠ける行為ではあるんだけど…その後の『みんな知ってるよ』って発言がどうにも気になって」
「? どういうこと?」
「確かに既に社内でウワサは広まっていたのかもしれないけど、それをわざわざ本人に言うのって何か違和感が無いか? どこか発言に悪意があるというか、非難めいたニュアンスを感じるというか」
言われてみれば、確かにそうかもしれない。単に興味本位で話しかけたにしては『みんな知ってるよ』とまで言うのは若干違和感がある。まるで相手が疑心暗鬼になって苦しむのを楽しんでいるかのような…。
「…これはあくまで僕の推測なんだけど」
「ん? 何?」
「その工場案内の先輩とやらが、ウワサを流した張本人ということはないかな?」
「…はぁ?」
渉の突拍子もない推測に面喰ってしまう。
「いや、どうしてそうなるのよ」
「さっきも言ったようにその先輩の言葉には悪意を感じる。須崎さんはその先輩と面識がないと言っていたそうだけど、もしかしたら彼女が与り知らぬところでその先輩を傷つけるか、逆恨みされるような何かがあったりしたんじゃないか?」
「いやいや、いくらなんでも突飛過ぎやしない?」
「まぁ、あくまで勝手な推測だけどさ」
まぁ言うだけならタダだけど…いくら推測だとしても飛躍し過ぎではないだろうか。その先輩は須崎さんの事を一方的に知っていて、かつ何か恨みを持っているなんてそんな…。
「…いや、でも…」
もしかしたら、あり得る、のだろうか?
確かに須崎さんはその先輩とやらの発言のせいで、周囲から好奇の視線を向けられているのではと悩み苦しんでいた。仮にその先輩が元々須崎さんを苦しめる意図でウワサを流し、それが既に広まっている事実を本人に突きつけたというなら、目論見は見事叶ったことになる。
しかし、そうであるならその目的は何だ?
そこまでして須崎さんを追い詰めようとするなんて普通じゃない。本人の印象を悪くするようなウワサを周囲に振り撒くなんてやり方が陰湿過ぎるし、大の男がそんな手段を取るだなんてよっぽどの事があったんじゃないのか。
私が思った通りのことを口にすると、渉はうーんと腕を組んで遠い目をした。
「…菜瑞みたいに白黒ハッキリつけるタイプじゃやらない手段だけど…良くあるだろ、大学とかで彼氏にフラれた女子が、逆恨みで彼氏の悪口を吹聴して回るみたいな。弄ばれたーとか、浮気されたーとか」
「あー、いるわねそういう人」
自分の非を認めず他人の悪行をでっち上げて広めて陥れるヤツか。確かに私はそういう事はやらないな。
しかしそうしたネガティブキャンペーンをすると、一時的には周囲から同情して貰ったり一緒に相手を非難してくれたりするだろうが、嘘がバレると途端に立場が悪くなり逆に自分が排斥される側の立場になる。社会人にもなって後先考えずにそんな幼稚な手段に出るようなヤツがいるのだろうか。
ともあれ、その先輩が怪しいということなら確認するべきだろうか。
ふと脳裏に別れ際の須崎さんの笑顔がちらつき、胸の奥が痛む。
私が出来ることで彼女を助けられるなら、そうしてあげたい。
(私にできることなんて、たかが知れているかもしれないけど)
「その先輩のこと、明日須崎さんに確認してみるわ。まだ真相はわからないけど、私が出来る範囲で彼女を助けてあげたい」
そう言うと、渉は私が大好きな穏やかな笑顔で
「菜瑞のそういうところ、俺は好きだよ」
そう言ってくれた。