親友のウワサ 4
「…ここ?」
「そう、ここ」
瑛理のアパートから歩いて約30分。私たちは地元の寂れた商店街の中にある古風なスナックの前に立っていた。こんなところに本当に瑛理が?と訝しむ私をよそに、日高さんは何食わぬ顔で扉をコンコンとノックする。すると中からドスの効いた男の低い声。
「誰だ」
「真樹だけど」
日高さんがそう言った直後、鍵の開錠音に続いて扉が中から開かれる。そこで現れた人物に、私は腰を抜かしそうになった。
「来たか、まぁ入れ」
そう言うのは、身長190センチはあろうかという角刈りの巨漢だった。背格好だけでもいかついのに、その装いは紺のスーツにサングラスといかにもな見た目をしている。この人まさか…?
男は日高さんの後ろですっかり縮み上がった私を見ると「ソイツは?」と低い声で問うてきたが、日高さんは物怖じひとつせずに短く「友達」と返すのみ。男もさほど興味は無かったのか、ふぅんとだけ返事をすると私たちに背を向け店の中へ消えていった。
日高さんは「ほら行くよ」と目線で店の奥を指しているが、のこのこと入っていっても問題ないのだろうか。どう見てもあの人、カタギじゃないような気が…。
「だ、大丈夫なの?」
心配そうに聞く私に日高さんは、やれやれといった顔で答えた。
「ああ、信頼できるヤツだよ。ウチが保証する」
日高さんの言葉にスーツ男はハッと鼻で笑って返しながらも通路の奥へと進んでいく。日高さんもその後に続いてスタスタと歩いて行ってしまった。残されたのは私だけ。
「…こ、ここまで来たからには、後には退けないし…」
意を決した私は、薄暗い廊下を進んでいった。
3メートルほどの廊下を恐る恐る進むと、その先は開けたバーカウンターとなっていた。そしてカウンター席には、私のよく知る人物が1人。
「え、瑛理…!?」
「え? 菜瑞?」
そこにいたのは普段と変わらない様子の瑛理だった。年末会った時より少々やつれている気もするが、正真正銘本物の春岡瑛理に間違いなかった。
「え、えりぃ…」
もう会えないかもしれないと思っていた瑛理とあっけなく再開できた私は、気が緩んだのかその場で立ったまま泣き出してしまった。瑛理は狼狽えながらも大泣きする私に駆け寄ってきて、よしよしと頭を撫でる。
「ちょ、ちょっとどうしたのよ菜瑞? ほら泣きやめ、なーきーやーめー」
「ぐずっ…えりぃ…うっ、うっ…会いたかったよぉ…」
目の前の瑛理に抱きつき、胸に顔を埋めながらも泣き続ける私の様子に「どういうこと?」と日高さんに助けを求めるように視線を送る瑛理。日高さんは呆れた様子で答えた。
「その子、アンタが退学しちゃうと思って学校飛び出してアンタのアパートまで行ったのよ。アパートにもアンタがいないと分かると部屋の前で大泣きするし、大変だったんだから」
「え、ええ??」
日高さんの言葉に瑛理は目を白黒させ驚いている。
「どうしてそこまで…」
「…だっ、だってぇ…あんなに一緒にいて楽しかったのにぃ…ぐず…何も言わずにいなくなっちゃうなんてぇ…お別れも言えないなんてぇ…ひっぐ…嫌だぁ…」
私は嗚咽交じりになりながらも自分の気持ちを正直に伝えた。
その言葉に顔を真っ赤に染めながら瑛理は
「…もう、馬鹿ね」
そう言うと、私を優しく抱き返してくれた。
数分して私の涙も収まったあと、私たちは落ち着いて話すために店内のL字型のソファに座り直す。そこで私はそもそもの疑問を口にした。
「そもそも、何で瑛理はこんなところに?」
私の言葉に瑛理は眉を下げ、物凄く困った顔をして
「すごく面倒な内容で、話すと長くなるんだけど…」
とスーツ男の方をチラチラと見ている。あの男が何か関係あるのだろうか?
頭にハテナマークを浮かべる私の疑問に答えたのは、瑛理でもスーツ男でもなく不機嫌そうな顔をした日高さんだった。
「コイツ、父親に売り飛ばされかけてたのよ」
その後の瑛理と日高さんの話を要約するとこうだ。
瑛理がまだ小学生に入る前のこと。瑛理の母親はある日突然、夫と娘を置いて蒸発してしまった。そして父親は長距離トラックの運転手で滅多に家に帰ることなく、瑛理は幼い頃から自宅のアパートに1人残されることが多かったのだという。その間の家事に関しても瑛理1人でこなしていたそうだ。
それでも父親が瑛理を真っ当に愛して2人支え合って生活していれば問題はなかったのだが、この父親というのが娘にはほとんど関心を示さなかったらしい。しかもギャンブルとアルコールに依存気味で、酔えば暴力を振るうという役満レベルのクソ親父だった。
そんな父親に嫌気が差した瑛理は、小学校高学年になる頃から家を出て1人で生きていくための計画を立てていたのだという。そうしてアルバイトが出来るようになる高校生になって早々に仕事を始め、一人暮らしをするための貯金を始めた。友達からの遊びの誘いも一切断ってバイトに明け暮れていた甲斐あって1人暮らしを始める資金は確保できたのだが、今年に入ってある問題が起きた。
これは瑛理も最近になって知った話らしいのだが、父親は元々ギャンブルのせいで借金を抱えていて普段から金に困っていた。そしてそれは段々と積み重なっていき、返済の取り立てが厳しくなってきたところで年明けに瑛理から「大学進学したい」と話があり、口論になったそうだ。
瑛理は貯金があるので親にお金は求めないこと、進学後は家を出て自立して生活することを伝えたが、それを聞いた父親は事もあろうに「自分の借金返済のために貯金をよこせ」と言い出したのだとか。加えて「高校なんかやめて働いて家に金を入れろ」とまで言ったようで、それを聞いた私は開いた口が塞がらなかった。
父親は瑛理を無理矢理ガムテープや荷造りロープで拘束して車に投げ込むと、自分に金を貸している人間の元へと向かった。その道中で高校のポストに手書きで作成した瑛理の退学届を投函したらしい。
で、その金貸しというのがどうやらここで出迎えてくれたあのスーツ男だったようだ。父親は男に瑛理と彼女の預金通帳を差し出し「この金と、残りは娘を働かせて返済する。娘はそちらの好きに扱ってもらって構わない」と瑛理の目の前で言った。悔しさに押し潰されそうになりながらも身動き出来ない状態でその様子を見ていた瑛理だったが、そこで金貸しの男は父親の胸ぐらを掴むとどこかへ連れて行ってしまったそうだ。数分後、1人で戻ってきた男は瑛理の拘束を解くと「親父さんには自分でケジメをつけさせる。アンタは自由だ」と告げた。その言葉に感極まった瑛理は、その場で泣き出してしまったらしい。
瑛理たちの話が終わると、私はまた目から涙が零れていることに気付いた。「ど、どうしたの菜瑞?」と心配そうに私の肩を揺らす瑛理に、私は泣きながら
「私…瑛理がそんなに辛い状態だったなんて知らなかった…ずっと一緒にいたのに…ごめん…」
そう懺悔のように謝罪した。しかし瑛理は穏やかに微笑みながら
「私が言わなかったんだから知らなくて当たり前でしょ。もう…」
そう言って私の頭を優しく撫でた。
その後、制服の袖で涙でごしごしと拭いた私はもう1つの疑問を思い出した。
「ところで、日高さんは何で瑛理の居場所を知ってたの?」
私の質問に日高さんは苦笑しながらスーツ男を指さすと
「アタシ、コイツとはまぁ…ちょっとした知り合いでね。コイツ、瑛理がアタシと同じ高校に通ってるって知って連絡寄越してきたんで、適当な場所で保護しておいてって頼んでおいたの。それがここだったってワケ」
なんて何でもないように答えたが、この怖いお兄さんと知り合いって結構ヤバい事なのでは…?
訝しげな表情を浮かべる私に、日高さんは今度は不満げな顔を向けてくる。
「だいたいアンタもアンタよ。アタシ、教室でアンタがあれだけ瑛理のことで必死になってたのを見てたから、元々始業式が終わったらアンタをここに連れてきてやろうと思ってたの。なのにアンタってば、これから始業式だってのにいきなり学校飛び出したりして…」
「あはは…ごめんなさい…」
せっかく日高さんが気を回してくれていたのに、私は必死過ぎて見事に空回りしていたというわけか。彼女には申し訳ないことをしてしまった。
「あの、ところで父は…?」
場が一段落したところで、今度は瑛理が不安げな顔でスーツ男にそう尋ねる。
確かに、瑛理の父親はどこへ行ってしまったのだろうか?
瑛理の言葉に、スーツ男は抑揚のない低い声で淡々と答える。
「親父さんは山奥の飯場…まあ住み込みの工事現場だな。そこに行ってもらった。借金分働くまでは帰ってこれないだろう。完済には…だいたい5年ってところか」
男の言葉に瑛理は複雑な表情を浮かべている。父親の行く末に彼女は今、何を考えているのだろうか?
男はそんな瑛理の顔を横目に見つつ、懐から一つの通帳を取り出した。
「春岡さん。ここにアンタの親父さんが持ってきた、アンタ名義の預金通帳がある。悪いが口座の中に200万近い金が入っているのは確認させてもらった。これがあれば親父さんの出稼ぎ期間を半分にできるが…どうするね?」
200万円。高校生からすれば途方もない大金だ。それを将来のために一切使わず貯金していたというのだから、瑛理の意思の強さは推して知るべしである。その金を、父親のために使えるか。腐っても肉親、しかし自分を売ろうとした相手である。瑛理の判断は―――
「いいえ。冷たいと思われるかもしれませんが、父を助けることはしません。すべて父が自分が招いたことですから」
それを聞き届けたスーツ男は「そうか」と短く返すと、瑛理へと歩み寄り通帳を手渡して
「まぁ、アンタの人生だ。悔いのないようにな」
それだけ言うと、そのままスナックを立ち去った。
そうして残されたのは、私と瑛理と日高さんの3人。
私は改めて、瑛理の手を取りながら訪ねる。
「ねえ瑛理。大学行きたいんだよね?」
私の言葉に一瞬ポカンとしていた瑛理だったが、すぐにスッと真剣な顔になると
「もちろん。ここまで頑張ってきたんだから、今更諦められないよ」
そう力強く答えた。しかしすぐに困った顔を浮かべ
「でも、今のアパートは引き払わないとかな…一応、親父が家賃払ってたからさ。今後はそのお金もないワケだし…ああ、来月からどうすればいいんだろ…」
と目下の悩みを吐露した。住む場所がなくなるとは、いきなりヘビー過ぎる問題だ。
「だれか頼れる親戚とかいないの?」
「私、両親以外の親戚に会ったことないんだよね…物心つく前はわからないけど、保育園入って以降はまったく覚えがない」
「マジか…」
頼りたくても親戚のことが何一つ分からないとは。高校生じゃ自分で賃貸契約も出来ないだろうし、そうなると行政を頼るか、それとも民間の支援団体を頼るか…。
私と瑛理が2人してうんうん唸りながら考えを巡らせていると、暇そうに体を伸ばしていた日高さんからまたも予想外の言葉が飛んできた。
「友達のよしみだ。アタシが何とかしてやるよ」




