親友のウワサ 3
「どういうことですかッッッ!!」
バン!と強く教壇を叩きながら、私はクラス担任で数学教諭の深谷に鬼の形相で詰め寄る。私の上げた声と音に教室中の視線が集まっているのを感じるが、そんなことを気にしている余裕はなかった。
「ま、待て、とにかく落ち着け水野」
深谷は必死にそう繰り返すが、落ち着けと言われても落ち着いていられるワケがない。
だって―――
「何で…何で瑛理が退学なんですか!!」
話は数分前に遡る。
冬休みが明けた3学期の1日目。長期休暇明けでまだ誰も彼もやる気エンジンがかかりきっていないからか、教室には弛緩した空気が漂っていた。登校した生徒たちの声も「あけましておめでとー」「今年もよろしくー」「まだ正月ボケ抜けんわー」「今日帰りどっか寄らね?」とどこか気の抜けた感じのものばかりだ。
私も例に漏れず、休みの間は遅寝遅起きが習慣化してしまったこともあって気が緩みきった状態で自分の教室に入った。友人たちと「あけましておめでとう」と挨拶を交わしつつ自分の席へ向かってのろのろと歩いていたのだが、そこで突然教壇に立っていた担任の深谷から声を掛けられた。
「水野、ちょっといいか」
「はぇ?」
間抜けな声で返事しつつ振り返ると声を掛けてきた深谷は困ったような顔で私を手招きしていて、私は訝しみながらそちらへ足を向けた。新年早々何かやらかしたか?と不安になりながら身構えていたのだが、深谷から発せられたのは予想外の言葉だった。
「お前、春岡と仲良かったよな? 冬休みの間、春岡と連絡取ってないか?」
「え? えーっと…」
何故深谷がそんなことを聞いてくるのか意味がわからなかったが、それに関しては私も思うところがあった。実は年が明けてから瑛理と連絡が取れなくなっていたのだ。
冬休みに入ってからも、私と瑛理はSNSで連絡を取り合っていた。瑛理は「バイトきついよー」「年末人多すぎー」と毎日のようにバイトの愚痴を言っていたが、年が明けた1月1日0時の「明けましておめでとう!」というメッセージを最後に音沙汰が無くなっていた。私からの「初詣行かない?」「宿題終わった?」「始業式のあと時間ある?」といったメッセージもいつもはすぐに返事がくるのに一切反応がなく、それどころか既読にすらなっていなかった。心配になって電話をかけたことも何度かあるが『電源が入っていないか電波が届かない場所に…』という電子音声が返ってくるばかりだった。
それでも学校が始まれば元気な姿を見せてくれるはず…と一縷の望みをかけて今日を迎えたのだが、深谷の言葉を受けて教室内を見回してみても瑛理の姿はない。
「…実は、最近連絡が取れてなくて。大晦日までは連絡ついてたんですけど」
私が正直にそう言うと、深谷は「そうか…」と更に困ったように溜め息を吐いた。
「あの、瑛理に何かあったんですか?」
深谷の態度に不安げにそう尋ねる私に、深谷は小声で「ここだけの話なんだが…」と前置きしてからこっそりと打ち明けた。
「実は、学校へ水野の退学届が送られてきたんだ」
「瑛理が、瑛理が自分から学校辞めるわけがない!! 先生だって知ってるでしょ!! アイツは大学行きたいって言ってたんだから!!」
私は半狂乱で教壇に身を乗り出し、悲鳴のような声を上げ続ける。その様子を見て流石にヤバいと思ったのか、何人かのクラスメイトが駆け寄り私を教壇から引き剝がした。肩で息をしながらなおも深谷を睨みつける私だったが、頭に上った血がだんだん下がったからか数秒後には何とか冷静になり、ここで深谷を問い詰めても何も解決しないことに思い至った。
「…ごめんなさい。先生に言っても何も解決しないのに…」
「あ、ああ…わかってくれればいいんだ」
私が落ち着きを取り戻したからか、深谷はホッとした表情で胸を撫で下ろしていた。
(…でも、どうして…)
私は冷静になった頭で、瑛理の行動の不可解さについて考えてみた。
瑛理は将来の夢のために大学進学を希望していた。学費に不安があったようだが、奨学金についてよく調べていたし教師たちにも何度も相談していた。第一志望の大学のオープンキャンパスにも参加していたし、入学案内のパンフレットも何度も熟読していた。そんな人間が、いきなり退学届を出すなんてあり得るのだろうか?
どうにも納得がいかない私は、思い切って深谷に尋ねた。
「…あの、よければ詳しい話を聞かせてもらえませんか」
「ん? ああ…」
深谷は一度は言い淀んだものの、教室中の注目が集まっていることを悟ると盛大に溜め息を吐いてから「他のクラスの奴には話すなよ」と念を押してから話し始めた。
ことの始まりは昨日のこと。
深谷を始めとした教諭たちは、私たち生徒とは違い始業式前日の昨日から学校に出勤していたらしい。出勤し最初に行ったのが年末年始で溜まった郵便物の整理だったそうなのだが、その仕分けの途中で宛名も消印もない不審な封筒が一通発見された。怪しみながらも中身を確認すると、中に入っていたのは瑛理の名前で書かれた手書きの退学届だった―――ということらしい。
「もちろんそれだけじゃ退学は認められないから、春岡がこれで即退学になるなんてことはない。しかしどうしてこんなものが届いていたのか確認しようにも、春岡本人にも親御さんにも全く連絡がつかなくてな…」
深谷は面倒臭そうな顔で後頭部をポリポリと掻きながらそう言った。
クラスメイトたちは突然の話に戸惑い、ひそひそと小声で何やら話し合っている。私は未だ瑛理が退学届を出した理由がわからず悶々としていたが、ある女子生徒の
「…やっぱりウワサは本当だったんだよ。あの子、裏で危ない人たちと繋がりがあってそれで…」
という発言が耳に入った瞬間、勢いよく声の方へ振り返る。私の視線に女子生徒は「ヒッ…」と短い悲鳴を上げていた。自分ではわからないが、凄まじい顔をしているのかもしれない。
(瑛理は、そんな子じゃ…)
心の中でそう反論するも、確証はない。彼女が何故今日登校していないのか、何故休みの間一切連絡がつかないのか、何故退学届を提出したのか。現状ではわからないことだらけだ。
(なら、直接会って聞くしか―――)
そう考えた私は居ても立ってもいられず、そのまま教室を飛び出した。
「お、おい水野、どこへ行くんだ!? 戻れ、戻りなさい!!」
背後で深谷が何やら叫んでいたが、そんなものお構いなしに私は昇降口へ向けて駆け出していた。
「ハッ、ハッ、ハッ、ハッ―――」
学校を出て、私は全力で町中を走っていた。目指すのは学校から歩いて20分ほどの場所にある、瑛理の住むアパートだ。過去に一度だけ行ったことがあるので、場所だけならなんとかわかる。
「瑛理っ…瑛理…っ」
そうして無事瑛理のアパートについた私は、彼女の居室である103号室の前まで到着するとドアノブに手をかける。当然施錠されていたため今度はインターホンで呼び出しをするが、何度鳴らしても反応なし。仕方なく扉を叩きながら、中に居るかもしれない瑛理に向かってひたすら呼びかける。
「瑛理!! いないの!? 返事してよ!! 瑛理ぃ…!!」
扉をドンドンと叩きながら呼びかけるが、一向に返事はない。それでも諦めず数分間扉を叩き続けていると、隣の部屋から出てきたお婆さんが「うるさいよ!」と怒鳴ってきた。私は突然のビクッと身を縮こませたが、お婆さんは言いたいことだけ言うと私に目もくれず扉を勢いよく閉めた。
一瞬呆気に取られていた私だったが、数秒して我に返ると不意に目から涙が溢れてきた。
「うっ…うううう…瑛理ぃ…」
もう瑛理に会えないのだろうか。あんなに仲良くしてくれたのに。あんなに笑い合えていたのに。あんなに楽しい時間を過ごせていたのに。そう思うと涙が止まらず、私はその場にしゃがみ込み嗚咽を漏らしながら泣き続けた。
「ひっぐ…瑛理…どうして…っ」
何で何も言ってくれなかったの。何で突然いなくなっちゃうの。何で夢を諦めちゃったの。何で、何で、何で…。
「…大学行くって、言ってたじゃん…子どものために働くって、言ってたじゃん…」
アパートの廊下で泣きながら絞り出すようにそう口にした時、不意にこちらへ近づいてくる足音が聞こえた。もしかして瑛理?と顔を上げた私だったが、そこにいたのは予想外の人物だった。
「…え?」
立っていたのは、私と同じ制服に身を包んだ女子。しかし瑛理ではない。
身長は私や瑛理より高くスラッとしていて、顔もスッと細く整っており目尻はキリっと上がっている。全体的にシャープで強気な雰囲気を持つ人物。確か彼女は―――
「…日高、さん…?」
私の言葉に彼女は「ああ」と短く頷いた。
彼女は同じクラスの日高真樹さん。クラスのギャルっぽいグループのリーダー格で、確か瑛理とも仲が良かった。瑛理も「真樹はぶっきらぼうに見えるけど、めっちゃ面倒見がいいんだよー」とよく言っていたっけ。
でもその日高さんがどうしてここへ? もしかして私を追って? でも、何のために?
次々と浮かぶ疑問に頭がパンクしそうになる私に向けて、日高さんはさらに予想外の言葉を発した。
「アンタについてきて欲しい場所があるんだけど、今から時間ある?」
「…どういうこと?」
訝しげな顔で質問を返す私だったが、次に日高さんが放った一言に目を丸くして驚いた。
だってそれは、今の私が求めてやまない答えだったから。
「もしかしたら、瑛理に会えるかもしれないよ」




