恋のウワサ 4
週明けの月曜日、いつも通り昼休みを告げるチャイムを号令に事務所内がにわかに騒がしくなる。
私も一旦作業を止め体を伸ばしていると、背後から聞きなれた声が飛んできた。
「なつみせんぱ~い、お昼一緒に食べましょうよぉ」
そう言っていつも通り染谷が隣の席に腰を下ろす。
ちなみに本来のこのデスクの主は中年の男性社員だが、昼休みはいつも他の社員と外食に出ているので基本不在だ。染谷もそのことを良く知っていて毎日のように席を利用しているし、男性社員の方も気を遣ってくれているのかいつも戻ってくるのは午後の業務開始の10分前くらいである。
「先輩は今日もお弁当ですかぁ。毎日えらいですねぇ~。尊敬しますよぉ」
「大したことじゃないわよ。週末に作り置きしているだけだし」
私のお弁当は毎日自分で用意しているが、基本的には週末に大量に作り置きしたものを前日の夜に詰めているだけだ。中身も1段目に雑穀入りご飯と梅干し、2段目はおかずとして蒸し鶏・茹で卵・茹でブロッコリー・プチトマトと非常にシンプルで、やろうと思えば染谷だって作れるだろう。ちなみにこのメニューはほぼ毎日固定である。
ちなみにこのお弁当を見た染谷の初期の反応は「…先輩ってボディビルダーなんですかぁ?」だった。
言いたいことはわかる。でもこれが一番作るのが楽だし飽きがこないし健康にもいいのだ。渉にも「もう少し彩りとかをさ…」と言われたが、毎日早起きして作るのは面倒過ぎる。自分ひとりの分なのだから好きにさせて欲しい。
そんなことを考えつつ蒸し鶏とブロッコリーに別添えのゴマドレッシングをかけていると、染谷のお決まりのセリフが飛んできた。
「そう言えば先輩、あのウワサ聞きましたぁ?」
今日も来たか、と耳を傾ける。普段は適当に聞き流す社内のウワサ話だが、今日は気になるトピックスがあるので若干身を傾けて聞いてしまう。
しかし染谷が今日話してくれたのは例の歳の差カップルの話ではなく、受付の女子がホストにハマってるらしいとか、印刷部のおっちゃんが競馬で一山当てたらしいとか、期待した話題とは関係の無い話ばかりだった。
(うーん、どうしたものか)
私の方から突っ込んで話を聞き出そうとするのは、普段の態度からすると違和感があるだろう。でも知りたい。例の件について何か新しい情報を掴んでいないのかを。少し悩んだが、染谷に週末見たものを話してウワサの呼び水にできないかと思いつき試してみることにした。
「…そう言えば、先週話してくれた中で営業部の木下課長が新卒の子と…って話があったじゃない? 実は週末に街で木下課長っぽい人を見かけたんだけど、若い女性と一緒だったのよね。あれがウワサの新卒の子だったのかしら」
見たそのままを簡潔に伝える。
するとコンビニおにぎりを口にしていた染谷はバッとこちらに振り向き、興味津々といった表情で早口にまくし立ててきた。
「え!? 外で木下課長を見たんですかぁ!?
どんな格好でした!? 女性の方の顔は? 髪型は? 背格好は? 服装は?
あと2人はどんな雰囲気でした? 見かけた場所は? 時間帯は?」
「え、ちょ、ちょっと待って、順番に話すから」
予想以上の食いつきに思わず面食らう。他の女子とも良くウワサ話をしているらしいが、その時は毎回こんな感じなんだろうか。とにかく、一度深呼吸をしてから一つ一つ冷静に答えていくことにする。
「えーっと、木下課長っぽい人はジャケットとシャツにチノパンって恰好。女性の方は細面で、だいたいだけど身長は150cmくらいだったかな? 髪はダークブラウンっぽい色のセミロングで、ウエーブがかかっていたわね。服装は白のロングスカートとチュニックに淡い水色のカーディガンだったかしら」
「ふんふんなるほど」
「見かけたのは6駅先の町の駅前通りで、時間は夕方の4時くらい。2人でニコニコしながら駅の方へ歩いていったわ。詳しい行き先までは知らない」
「なるほどー」
「…参考になったのかしら?」
「ええ、とっても」
うんうんと頷きながらこちらの話した情報を反芻しているようだ。
この流れで何か情報を引き出せないものか、少し探りを入れてみる。
「やっぱりその2人って、その…付き合っているのかしら?」
「うーん、この前は話さなかったんですけど、実は嫌なウワサがあるんですよねぇ」
少しだけ面倒くさそうな成分を含んだ顔で染谷は語りだした。
「ご存じの通り、木下課長ってばアラフォー…というか今年で38歳なわけなんですけどぉ。新卒の子は大学卒業したばかりの22歳くらいだとすると、歳の差が16コあるワケですよねぇ。そうなると当然、普通の恋愛じゃなくパパ活みたいなお金目当ての関係じゃないか、もっとひどいと財産目当ての結婚詐欺じゃないのかとか色々な憶測が飛び交ってるみたいなんですよねぇ」
「まぁ…そう思われても仕方ないかもね」
ここまではある程度予想できた話だ。というかやはり前回話した時は染谷が気を遣ってその辺りは黙っていたということか。
しかしそんな憶測まで出始めたら件の新入社員は会社に居づらくなるのではないだろうか。今はまだ新人研修の途中だろうが、来月には研修を終え現場配属になるはずである。職場にいる間、常に影でコソコソとあることないこと言われ続けたりしたらストレスで病んでしまうのではないだろうか。
「で、新卒の娘の方にウワサの内容について直接聞いた人がいたらしいんですよぉ~」
「は? 本人に正面から聞いたの? デリカシーなさ過ぎない?」
「本当ですよねぇ。その日の研修担当の社員が印刷工業を案内している最中に、彼女が1人になったタイミングで話しかけたみたいなんですけどぉ、ちょ~っとナイな~と思いますよねぇ~」
確かに、いくらなんでも失礼過ぎるのではないだろうか。私でもそこまではしないぞ。
「…ちなみに、女性の方の回答はどうだったのかしら?」
とは言え、回答が気になるのは事実だ。染谷に続きを促す。
すると染谷は若干胡乱げな表情になった。
「なんか先輩にしては珍しくグイグイ来ますねぇ…。この前は恋愛なんて自由にさせてやれとか言ってませんでしたっけぇ? 普段はこ~いうウワサもど~でもいいって感じなのに、どういう心境の変化なんですかぁ?」
いかん、態度があからさま過ぎただろうか。
「べ、別に、実際に2人でいるところを見かけたから気になっただけよ。深い意味はないわ」
「本当ですかぁ? ま~別に何でもいいですけどぉ」
若干訝しげな目をしながらも染谷は続けた。
「本人曰く、事実無根だそうですよぉ~。ウワサ自体もその時まで聞いたこともなかったし、木下課長とも会ったことすらないと言っていたそうでぇ。まぁホントかウソかまではわからないですけどねぇ」
「ふーん」
まぁそりゃ否定するか。本当は付き合っていたとしても、それを認める必要はないわけだし。
「でも、先輩の証言が出回ったらまた一波乱ありそうですねぇ~」
「え? どういうこと?」
「先輩が見たっていう木下課長と女性なんですけどぉ…女性の方が、体形や髪型の特徴がウワサの新人社員と似てるんですよねぇ」
マジか。それが本当ならウワサの真偽はほぼ決定的ではないだろうか。
「ウワサになってる新入社員…須崎って名前の子なんですけどぉ。その須崎さんも身長150cmくらいのシュッとした顔で、髪もダークブラウンっぽい色のセミロングなんですよぉ。他人の空似にしては共通点が多いなってぇ」
「それは…確かにそうね」
「で、一度は関係を否定してたけど本当は…ってことになると、ウワサが過熱して本人への風当たりが強くなると思うんですよねぇ。まだ試用期間で研修中なのに社内のみんなから白い目で見られたら、多分正式採用になる前に自分から辞めちゃうんじゃないかと思うんですよぉ」
「大いに予想できるわね」
周囲の人間から好奇の目で見られ、裏でひそひそとウワサされながら仕事をするというのはかなりのストレスだろう。まだ社会の荒波を知らない新卒の子ならば尚更だ。染谷の言うように、早々にスッパリ会社を辞めてしまうことだって十分考えられる。
(ウワサになるのは本人の自業自得のような気もするけど…)
原因は本人にあろうとも、私の発言一つで彼女の立場が悪くなるようなことがあれば後味が悪い。
そもそもまだ本人かどうかも確定していないのだ。憶測で人を貶めるようなことはしたくない。
「あのさ、染谷…私から話しておいてなんだけど、このことは」
「ええ、もちろん黙っておきますよぉ~。私だって人が不幸になるようなウワサは広めたくないですからねぇ~」
デキる後輩はこちらの意図をきちんと汲んでくれたようだった。