猫のウワサ 10
その後の話をしよう。
ぐったりとした様子の日向君を発見した私たちは急いで救急へ連絡し、数分後に到着した救急車によって彼は近くの病院に緊急搬送された。家から担ぎ出された日向君は土気色の肌でストレッチャーの上に力無く横たわっており、見ていて痛々しく思えた。
それとほぼ同時に、同じく連絡しておいた警察も到着。警官は私たちや救急隊員の話を聞くと、抵抗する母親をパトカーに押し込み警察署へと連行していった。それを見送った後に私と瑛理、翔太と夕美は救急車に同乗し病院へと向かった。
救出された日向くんだが、十分な食事を与えられず体力が落ちていたものの命に別状はないとのことだった。点滴を受けると1時間ほどで血色も良くなり、間もなく意識も回復したようだ。私が後から病室へ到着すると、翔太と夕美は大泣きしながらベット上の日向君に縋り付き彼の無事を喜んでいたが、2人の様子に日向君本人は困ったような笑みを浮かべていた。
余談だが、救急車に同乗し病院に到着した私は日向君に同行しようとしたものの
「あなたも怪我を見せてください」
と救急隊員に別の診察室に連れていかれ、頬のひっかき傷の治療を受けた。
施術中に医師が「猫とかに引っかかれたにしては傷が大きいねぇ」と漏らすのを聞いた私は、愚痴っぽく
「ヒステリー女にネイルでひっかかれました」
と思わず漏らしてしまったのだが、それを聞いた医師は「うへぇ」なんて言いながらげんなりした表情を浮かべていた。
私が到着して間もなく2人組の刑事が病室へやってきて、日向君と私たちへ簡単な事情聴取を行いたいと申し出てきた。病み上がりの子ども相手なのだからもう少し配慮すべきでは…と思ったが、日向くんは嫌な顔をせずそれを了承した。
日向君によると、あの女性…圭子さんが日向君の実母であることは間違いないそうだ。しかし圭子さんは普段ほとんど家に帰らず、日向君はあの家でいつも1人で過ごしていたらしい。母親からの指示で、周囲には怪しまれないよう「母は日中働いていて家に居ない」と言っていたが、実際は月に数回帰ってきては食費として適当な額のお金を置いていくだけだったというから驚きだ。小学生を養育している親とは到底思えない。
ここまで話を聞けば当然「父親はどこに?」という疑問が浮かぶだろうが、刑事が投げかけたその問いに日向君は
「前にお母さんに聞いたら『リコンした』と言っていました」
と答え、その場にいた大人たちを唖然とさせた。
そんな圭子さんがスーツケースを引きながら家に帰ってきたのが約1週間前。突然帰宅して「しばらく家に居る」と言った彼女に日向君は驚いたそうだが、同時に久しぶりに母親と過ごせるということを少なからず喜んでいた。だが、彼が何気なく発した「久しぶりに一緒に外にご飯を食べに行きたい」という言葉に圭子さんは突然激怒し、その場で日向君に手を上げた。最初に受けた平手は大したことは無かったそうだが、それで体勢を崩した彼はリビングにある机の角に額を強かにぶつけたらしい。痛みに悶絶する日向君だったが、圭子さんは彼に一切興味を向けず寝室へと入っていったという。
しかし翌朝になると圭子さんの態度が一変。早朝に日向君の部屋に押し入り彼を叩き起こすと、彼の顔を見てチッと舌打ちをし「アンタ、しばらく学校休みなさい。外にも一歩も出ちゃダメよ」と言い放った。なんで?と言う日向くんを今度はグーで突き飛ばすと、彼女は彼の部屋の扉に外側から掛け金を取り付け、鍵をかけて彼を監禁した。
その後は日に一度、圭子さんがコンビニで購入した食事を届ける時以外に扉が開けられることはなく、排泄も部屋の中に用意されたペット用のトイレにしていたらしい。
最後まで話を聞いた私は、その壮絶な内容に開いた口が塞がらなかった。実の息子に暴力を振るうだけでは飽き足らず、監禁し満足な食事も与えずトイレにも行くことも禁止するなんて…親として、いや人としてあるまじき行為にふつふつと怒りが湧いてきた。隣の瑛理を見ると憤りからか拳を握り締め震えているし、聞き取りをしていた刑事2人も怒りからかペンを握る手には力が入っているように見える。同席していた医師は日向君の境遇に同情してか、目にうっすらと涙を浮かべていた。
日向君が一通り話し終えたあと、2人組の刑事のうち年上の男性が日向君に「お母さんはなんで君を閉じ込めていたのかわかるかな?」と聞いていたが、日向君は「『しつけのためだ』と言っていたけけど、意味はよく分からない」と首を左右に振る。そこに日向君のために同席していた医師が
「恐らく、日向君が机に額をぶつけた時に出来た青あざが人の目に入るのを嫌ったのでしょう。虐待を疑われて通報でもされたら一大事でしょうから。治るまでは彼を外に出さないつもりだったのではと…」
と悲痛な表情で日向君を見ながらそう言った。見ると彼の額には包帯がグルグルと巻かれていたが、恐らくあの下にその青あざがあるのだろう。
聞きたいことはあらかた聞き終えた、と言わんばかりに年上の刑事がメモを取っていた手帳を閉じながら溜め息を零す。その目はやるせなさからか悲しい色を浮かべていた。
「今の話が本当ならば、母親は育児放棄や児童虐待の容疑で送検されるでしょう。そうなれば他の親族に保護を求める必要がありますが…日向君の身寄りについて、何がご存じではありませんか?」
刑事は私にそう尋ねてきたが、何せ私や瑛理は日向君とはほぼ初対面で彼のことなどほぼ何も知らない。翔太と夕美に助けを求めるも、彼らもふるふると顔を横に振るばかり。こればかりは私たちにはどうしようも…
「あの…お父さんの電話番号なら知ってます。前はたまに連絡を取っていたので…」
そこでおずおずと手を上げたのは、他ならぬ日向君だった。
離婚済みとはいえ他にアテもないからか、刑事たちは日向君から父親の連絡先を聞きだし、その後礼を言って足早に病室を去っていった。
刑事たちが去ったあと、日向君は私と瑛理に向き直り
「2人から聞きました。お姉さんたちのおかげで僕をあの家から連れ出すことが出来たって。本当にありがとうございました」
そう言うとベッドの上でぺこりと頭を下げた。
だが、今回の真の功労者は私ではない。
「私だけじゃキミを助けようなんて考えることはなかったわ。君を心配して行動した翔太と夕美のおかげよ。それに、あの時だってあの猫が鍵を…」
と、そこまで言ってずっと疑問に思っていたことをようやく思い出した。
「そうだ、結局あの『タスケテ』ってメッセージは日向くんが送ったの? あと君の家では猫は飼っていなかったはずだけど、あの黒猫とは前から仲が良かったの?」
私の疑問に日向くんは一瞬キョトンとしたあと、悩ましげにうーんと唸り声を上げる。
「確かに手紙をあの猫の首輪にはさんだのは僕です。あの時は誰かが助けに来るなんて思ってなかったので、冗談半分でやってみただけですけど。
あの猫のことは…うーん、僕にもよくわからないんです。突然窓から入ってきたかと思ったら、僕にじゃれついてきて…。首輪が付いてたからどこかのお家の猫なんでしょうけど、この辺ではあまり見かけたことはありません」
日向君も監禁された当初は大声で母親に「ここから出して」と何度も訴えていたらしいのだが、その度に母親から更なる暴行を受けていたらしい。しかも今度は跡が残らないように腹部を殴られていたというのだから悪質だ。そうしているうちに、十分に食事が与えられなかったこともあり憔悴した彼は助けを呼ぶ気力も無くなっていったのだという。
そんな中、ある日換気のために圭子さんが開けた窓から格子の間をすり抜けて入り込んできたのがあの猫らしい。どうしてこんなところへ?という疑問もありつつも、気まぐれに外部にメッセージを託そうと思った日向君は、コンビニ袋の中に入っていたレシートの裏面に爪で荒々しく文字を綴り首輪に忍ばせたのだという。
そのメッセージを見つけたことで、私たちがここへ辿り着いたのだと聞くと、日向君は目を見開いてとても驚いていた。
「…そうだったんですか。手紙のこともそうだけど、あの猫にはたくさんお礼してあげないといけないですね」
メッセージを預けた後も、あの黒猫は毎晩部屋に来ては日向君に寄り添い、彼が眠りに落ちるまで傍にいてくれたらしい。彼が命を繋げることが出来たのはあの黒猫の力があってこそだったのかもしれない。私がそう言うと、日向君は
「そうですね。あの猫は命の恩人…いや恩猫かな? あの子のおかげで、僕は今生きられているのかもしれない。そんな気がします。だから、もう一度会ってお礼が言いたいです」
そう答えながらはにかんだ。
その言葉はきっと、誇張でも妄想でもなく本当のことなのだろう。彼の言葉を受けて、友人2人は
「じゃあ、退院したら一緒にあの猫がいそうなところを見て回ろうぜ」
「そうね、そうしよう。それに、日向くんに紹介したい子もいるんだ」
そう言いながら笑いかけていた。




