猫のウワサ 9
高校生の時のこと。
当時、私には心を許せる友人が1人いた。
別に他に友人が全くいなかったわけではない。昼休みに一緒に食事を取ったり、放課後ファーストフード店に行ったり、休みの日に買い物に行ったりするくらいの友人は少なからずいた。
けれどその子…春岡瑛理とは特別仲が良かった。
キッカケは高校に入学してすぐの頃、まだクラスメイトたちが互いに距離感を測り合っている時期のこと。登校し教室に入り自分の席に着いた私は、授業前に電源を落としておこうと鞄からスマホを取り出したのだが、その時
「ねぇ、そのアニメ好きなの?」
と背後から唐突に声をかけられた。
驚いて振り返ると、そこにいたのはウェーブがかった茶髪の女子。入学して早々だというのに制服も着崩していて、うっすらとだがメイクまでしている。どこからどう見てもギャルだった。
彼女が声をかけてきたのは、恐らくスマホの待ち受け画面に設定していた画像が理由だろう。私はその時、当時ハマっていた深夜アニメのキービジュアルが大層気に入っていて待ち受けにまでしていた。
(やっべぇ…)
まずいと思ったのは、この女に私のオタク趣味がバレたと思ったからだ。まだ新しい友人もロクに出来ていないというのに、こんないかにもなギャルに入学早々目を付けられてオタクのレッテルを貼られようものなら、同学年内でのカースト最下位まっしぐらに違いない。いじめられるか手下みたいにパシリにされるか金をたかられるか。嗚呼、入学早々に高校生活がお先真っ暗になってしまう…。
などと内心悲観していた私とは裏腹に、彼女は目を輝かせながら予想外のことを口にした。
「ウチもそのアニメ見てるの! 仲間見つけられて嬉し~!」
「…へ?」
思いも寄らぬ流れに、私は間抜けな返事をすることしか出来なかった。
そんな他愛のない出来事を通じて、私と瑛理は友人同士となった。
彼女はギャルっぽい見た目の通りメイクやファッションに詳しく、同様にギャルっぽい見た目のクラスメイトたちとも仲が良かった。だが昼食はいつも私の席に来て2人で話しながら食べていたし、私が日直の仕事で放課後に日誌を書いている時も隣で色々と話をしてくれた。当然私も彼女が日直の時は一緒に残って話をしていた。
話の内容は主にアニメに関することで、あとはメイクやファッションの話が少々。当時の私はそういったものに疎く、よく「もう少し見た目に気を使いなー?」と瑛理から言われていた。
あとは…少しだけ、進路の話も。
「ねえ、瑛理は進路どうするの?」
高校1年生の冬、クリスマスの足音が聞こえてくる頃のある放課後のこと。茜色に染まる教室で日誌を書く瑛理にそう問いかけたことがあった。瑛理はうーんと少し悩む素振りを見せたあと「ここだけの話ね?」と前置きしてから
「私ね、児童福祉司っていうのになりたいんだ。公務員なんだけど、なるには資格が必要で、そのために教育学部のある大学に進学しようと思ってる」
そう、将来の夢を教えてくれた。
こう言うと本人には悪いが、私は瑛理がそこまで将来のことを見据えているとは思っていなかった。自分も他のクラスメイトたちも漠然と進学を考えていたし、瑛理もそうだと思っていた。予想外のことに私は一瞬呆気に取られたが
「…そうなんだ。すごいね、ちゃんと将来のこと考えてるんだ。カッコイイよ」
そう、何の捻りもない感想を口にした。カッコイイ、の部分に気を良くしたのか瑛理は「えへへ」と照れくさそうな表情を浮かべていた。
「ちなみに何でその…児童福祉司?になりたいの?」
話の延長とばかりに私が追加の質問を投げかけると、その瞬間瑛理の顔からスッと表情が消えた。初めて見る彼女の顔に私は背筋が凍り付くような怖気を感じ、何かいけないことを聞いてしまったのかと謝罪しようと立ち上がった。しかし次の瞬間、瑛理は自分の口元に1本指を立て
「…絶対、他の人にはナイショだよ?」
そう穏やかに微笑みながら言った。私はうんうんと大きく頷きながら椅子に座り直し、真剣な表情で瑛理の言葉を待つ。私の様子に口元を綻ばせてから一度目を閉じ深呼吸をすると、瑛理は静かに語り出した。
「世の中、ヒドい親がいっぱいいるでしょ? 子どもに暴力を振るうとか、あとはご飯をあげなかったり、ケガとかビョーキしてても病院に連れていかないとか」
「…うん、そうね」
彼女の言葉に、私は重く頷く。
残念なことだが、現実にそういう人はいる。
「私はそういう境遇にいる子どもたちを助けたいの。子は親を選べないってよく言うけど、だからって親がダメならその子に未来は無いの? 違うでしょ?」
普段とは違う彼女の真剣な眼差しに息を飲む。
「自分の未来は自分で選んでいいんだって、親に縛られてばかりいてはダメだって、私はそういうことを子どもたちに教えてあげたいの」
そう語る彼女の目は、決意に燃えているようだった。
私は心の底から驚いていた。同い年でここまで高い志を持って将来のことを考えている人を初めて見たからだ。それも上っ面の理想論と感じない、現実に根ざした理由と目標だ。
「凄いね、瑛理は。そんな風に考えて行動できるなんて」
思わず零れた私の言葉に、瑛理は何故か少し寂しそうな表情を浮かべた。
「…凄くなんてないわ。自分にそう言い聞かせてるだけよ」
私はこの時、この発言の真意が分かっていなかった。
その真意について私が知ることになるのは、もう少し先のことだ。
・・・・・・・・・・
それから紆余曲折あったものの、瑛理は見事志望校に合格。私も瑛理とは別の大学に合格し、別れを惜しみつつも私たちは高校を卒業した。
大学進学後は直接会う機会こそあまりなかったが、瑛理とは頻繫に連絡を取り合っていた。私が就職の内定が出た時も、瑛理が児童福祉司の試験に合格した時も、お互いに報告し合っていた。だからこそ、今回の件で「瑛理に相談しよう」と思いついたわけだ。
翔太と夕美と別れた後、私は瑛理に電話で日向君の現状についてを説明した。電話の向こうの瑛理は「うーん」と悩ましげな唸り声を上げてから
「とにかく、その日向君に直接会って話を聞かないと何とも言えないわね」
そう結論付けた。
「やっぱりそうか…でもあの母親のことだし、絶対会わせてくれないような」
「そこはほら、お友達に何とかして貰いましょ」
「え?」
どういう事か詳しく聞くと『母親の外出するタイミングを狙い、玄関が開たところで翔太たちを家の中に突入させ日向君と直接コンタクトを取る』というとんでもないアイデアを提供された。私が日向君の家の中に押し入るのは法律的にアウトだが、友人ならばその限りではないだろうと。もちろん母親には全力で妨害されるだろうから、そこは大人である私がフォローしてあげるべきとも言われた。
あまりのアイデアに絶句していた私だったが、瑛理は続けて
「どうせなら私も一緒に行こうか? どうせ暇だし」
なんて、遊びに行く?くらいの気軽さで凄いことを提案してきた。
かくして日向君宅への突入は瑛理の協力によりなんとか成功の運びとなった。
それからしばらくして、日向君の件のお礼を兼ねて瑛理と食事に行った。
直接会うのは随分久しぶりで話は絶えなかったものの、やはり話題は日向君のことと瑛理の仕事についてが主になってしまう。
「それにしても、酷い親っていなくならないものね」
私が溜め息交じりに言うと、対面に座る彼女も大きく溜め息を吐く。
「ええ、残念なことにね」
語調に深い落胆の色を見せながらも、彼女は俯いていた顔を上げ
「でも、子どもに罪はないもの。だから一人でも多くの子を、この手で救いたい」
強い意志を秘めた目で、そう語った。
その姿が、あの日の放課後の瑛理の姿と重なってひどく眩しく見えた。
「…相変わらずカッコイイね。瑛理は」
私が過去を懐かしみながらそう言うと、瑛理は「そ、そうかな?」と照れくさそうに笑う。その可愛らしい照れ方もあの日の瑛理のままで、思わず口元が緩んでしまう。
(そういう所は、いつまでも変わらないままであって欲しいわね)
私は心の中で、そう静かに祈った。




