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ウワサ話のウラ話  作者: 紺堂
第3話 アナタはどこにいるの

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猫のウワサ 8

 翌日。


「おはようございます」

「…アンタ、何しにきたの」


 私は再度、昨日の一軒家―――日向君の家を訪れていた。インターホンを鳴らしたところで居留守を使われるのは目に見えていたのでこうして家の前で待ち伏せしていたのだが、待機し始めてから10分ほどで彼女が家から出てきたのはラッキーだった。

 にこやかに挨拶する私に対し、日向君の母親だという女は不機嫌さを隠そうともせずしかめっ面でこちらを睨んでいる。昨日の件もあって警戒されているのだろうか。


「おまけに何? 隣のヤツは」

「ああ、友人なんです」


 私の言葉に、私の隣に立つ女性はニッコリと微笑む。背格好は私とほぼ同じくらいだが、柔らかな表情に加えロングコートの下にカーディガンにロングスカートという服装も相まって、私より数段おしとやかな雰囲気である。

 ああ、もしかしたら初対面の彼女のことを警戒していたのかもしれない。目の前の女からしたら、自宅の周りをウロウロしている不審者が連れてきた人間だし、怪しいと思うのは仕方がないことか。


 その女だが、昨日のジャージ姿とはうってかわって随分と華やかな格好をしている。手にしているハンドバッグ、着ているブラウスとスカート、身に着けた靴や時計に至るまですべて一目見てわかるほどの有名ブランドのもので、古い木造家屋には明らかにミスマッチな姿だった。髪も無造作にまとめているのではなくきちんと整えられ緩くウエーブまでかけられており、随分と気合が入った装いだ。

 そんなジャージ女改めブランド女は私と友人を疑わしげな視線を送ってから、玄関を施錠しようとしてかハンドバッグからキーケースを取り出しながら言葉を投げてきた。


「で、今日は何の用? まさかまだウチの猫になにか? 生憎だけど、頼まれたってアンタに会わせてやる義理は―――」

「そのことなんだけれど」


 私はブランド女の言葉を遮り一歩前に出ると、ハッキリとした口調で言い放つ。


「貴女はあの猫を自分の飼い猫って言ってたけど…それ、噓でしょう?」


 私の言葉に、女はピクリと眉を動かす。


「…何を根拠に?」

「最初から変だと思ったのよ」


 私はスンと鼻から空気を一息吸い込む。すると昨日と同じ、目の前の女が使用していると思しき柑橘系の香水の匂いが漂っていた。


「だって、猫を飼っているなら香水は…特に柑橘系のものは、本来ご法度のはずよ」


 以前猫を飼っている友人から聞いたことがあるが、植物由来の香水やアロマが放つ匂い成分を猫が吸引すると体内で分解できず毒素として溜まってしまい中毒症状を引き起こすらしく、場合によっては命にも関わることもあるのだとか。そのため猫と暮らすならば基本的に香水やアロマの類は持たないようにするのがベターらしい。

 しかし昨日も今も、この女は香水のものと思しき香りを放っている。しかも彼女が身に着けているのは猫にとって特に有害だという柑橘系の香りのもの。猫と共に生活しているというならばあり得ないことばかりだ。


 私の指摘に女はフンと小馬鹿にするように鼻を鳴らすと


「…なるほどね。どうりで、猫から避けられるはずだわ」


 不敵な笑みを浮かべながらそう口にした。


「認めるのね?」


 ブランド女は「ええ」と短く返すと、目尻を吊り上げコチラをぎろりと睨みつける。


「猫を飼ってないのは認める。でも、それがなに? 別にその程度の嘘で逮捕されたり訴えられるようなことはないでしょ?

 そもそもアンタ、何しに来たのよ? そんなことを言うためだけに、日曜日だってのに朝っぱらからわざわざここまで来たワケ?」


 挑発的な言葉で煽ってくる女の態度に軽くイラっときた私だったが、そこで今度は私の隣にいた友人が女の前に進み出て問いかける。


「日向君は今、どうしていますか?」

「…は?」


 それまで黙っていた女性に唐突に、しかも予想外の話題を投げかけられ一瞬戸惑うブランド女だったが、すぐに気を取り直したのか今度は苛立たしげに友人を睨みつける。


「急になによ。なんでアンタがウチの息子のことを聞いてくるわけ?」

「申し遅れました。私、こういう者でして」


 友人は慣れた所作で懐から名刺を1枚取り出し女へと差し出す。女はそれを引ったくるように奪い目を落としたが、次第にその顔色は青くなっていった。


春岡(はるおか)瑛理(えり)…は!? 児童福祉司…!?」

「ええ。児童福祉司、ご存じですか?」


 そう、彼女―――春岡瑛理は私の友人であり、児童福祉司として働く公務員。子どもの教育や生活に関する問題のエキスパートだ。今回の件、素人の私だけでは制度的な面でどうしても知識不足だったこともあり昨晩色々と相談に乗って貰った。そして話を聞く内にこの件が緊急の事案だと判断したのか、今日の訪問に急遽同行してくれることになったのだ。

 名刺から顔を上げた女の表情からは先ほどまでの怒りの色は消え去り、あり得ないものを見るような驚きの目で瑛理を注視していた。


「実はある方から相談を受けておりまして。お宅の日向君が何日も家から出たところを見ていないと聞いたものですから、少々お話を伺いたいと思いまして…」

「か、風邪で寝込んでいるだけよ! 人様の家の事情に首突っ込まないでよ!」


 女は必死の表情で弁解するが、瑛理は怯むことなくさらに切り込む。


「風邪とは言え1週間近く続くとなると重症です。病院には連れて行きましたか?」

「子どもは体力あるんだから、しばらく寝ていれば治ると思って…」

「でももう引き始めから1週間も経つんですよね? もしかしたらインフルエンザとか、もっと酷い病気に罹っているとは思わないんですか?」

「あ、明日には病院に連れていこうかと…」

「明日病院に連れていくから、今日は放置して自分はお出かけしようと?」

「そ、それは…」


 瑛理の質問責めにブランド女は数秒言葉に詰まっていたが、すぐに目尻を吊り上げた表情に戻ると必死に言い訳を並べ始める。


「…し…仕事、そう仕事なのよ! 仕事で出掛けるんだから、仕方ないでしょ! 生活のためにも、子どもが体調不良なんで休みますとか言ってられないわ!」


 言い分としては理解できるが、ブランド女の顔には明らかに焦りが見て取れた。何か後ろめたいことがある証左だ。そんな女と対照的に、瑛理は涼しい顔でしれっと爆弾発言を投下する。


「ならその間、私たちが日向君の看病をしてもよろしいでしょうか?」

「は、はぁ!?」


 あまりにも予想外な提案だったからか、女は驚きの表情でポカンと口を開けた。


「日向君は貴女が帰宅するまでこの家で一人なんですよね? 体調が急変することもありますし、誰か付いていた方がいいと思うのですが」

「見ず知らずの人間を家に上げるワケないでしょ! ふざけてるの!?」


 ある意味当然すぎる女の返しだが、瑛理はこれにも怯まない。


「では知り合い…例えば、友人ならいいと?」

「はぁ…?」


 意味がわからないといった顔のブランド女を無視して、瑛理は塀の向こうに「おいで」と声をかける。その声で塀の影から姿を見せたのは、翔太と夕美の2人だ。実は今朝早くに私が夕美へメッセージを飛ばし、急遽一緒に来てもらっていたのだ。瑛理は2人の頭に手を載せると


「この子たち、日向くんのお友達なんです。ここしばらく学校をお休みしている日向くんが心配で、お見舞いに来たそうですよ」


 と彼らを紹介した。瑛理の言葉に2人はコクンと頷く。

 女は2人を忌々しげに見ながら「何度もウチに来てたガキどもか…」なんて呟いている。やはりインターホン越しに翔太たちを追い返していたのもこの女のようだ。


「…友達に風邪がうつると悪いし、看病は必要ないわ! とにかく帰ってよ!」


 女は明らかに焦った表情で我々を追い返そうとするが、その言葉に瑛理の雰囲気が変わった。目尻を上げ鋭い視線をブランド女に向けながら


「そうはいきません。さ、2人とも」


 そう言うと瑛理は翔太たちの背を少し押した。2人は互いの表情を確認し大きく頷くと、ブランド女の脇を潜り抜け、玄関扉へと進んでいく。「え?」と呆気に取られている女を尻目に、翔太は玄関まで辿り着くと勢い良く扉を開ける。


「おじゃましまーっす!」

「します!」


 そのままの勢いで、2人は大声で挨拶をしながらドタドタと室内へ上がっていく。聞いた話では日向君の部屋は通路突き当り右手の部屋らしい。2人が迷いなく日向君の部屋の方へ向かうのを見て何かを察知したのか、目の前の女が吠えた。


「あんたら不法侵入よ! 警察呼んで逮捕してもらうんだから!」

「まぁまぁ落ち着いて!」


 2人を追おうと室内に引き返そうとするブランド女を足止めするため、私は咄嗟に彼女の右手を掴んだ。急な制動にガクンとつんのめった彼女は、激昂した様子でこちらを振り返り「アンタも警察に突き出してやるわよ!?」と叫んでいるが、何を言われようが日向君の安否を確かめるためにも今ここで引くワケにはいかない。

 しかし次の瞬間、家の奥から叫ぶ夕美の声に私は驚愕した。


「お姉さんダメ! 日向くんの部屋、鍵かかけられてる! 南京錠ってやつ!」

「なっ、南京錠…!?」


 南京錠って…それじゃ本当に監禁じゃないか!! しかも部屋の外から!? 躾だとしても、やっていいこととダメなことがあるでしょう…!!

 だが南京錠となると開けるには鍵が必須だ。そして十中八九、鍵を持っているのはこの女。ふとブランド女を見ると、勝ち誇ったような薄ら笑いをこちらへ向けていた。

 くそっ、これは進退窮まるってヤツか…!?

 私がそう諦めかけたその時


「ニャアオッ!」

「ぎゃっ!?」


 どこかから現れたあの黒猫がブランド女へと飛び掛かり、そのまま女が右手に掛けていたハンドバッグに掴まると頭を中に突っ込んだ。女はそんな猫を振り払おうと、その場でハンドバッグを大きく振り回す。たまらず振り落とされる猫だったが、華麗に身を捻り着地するとその口に咥えた小さな鍵を見せてくる。女が「なっ!?」と驚いているところを見ると、あれが南京錠の鍵に違いない。


「でかした! 行け!」


 私の言葉に猫は鍵を咥えたまま通路の奥へと駆け出す。女は憤怒の形相を浮かべながら


「こんのクソ猫がぁ!!」


 そう口汚い言葉を発しながら猫に追い縋ろうとする。あまりの力に彼女の左手を掴んでいた私はたたらを踏むが、踏ん張り直しながら必死に女を引き止めた。


「やめなさい!」

「離せよクソ女ぁ!!」


 怒りの矛先を私に向けた女は、ハンドバッグを放り投げると空いた右手を私の顔面に向かって振り抜く。本能的に目を閉じた瞬間、頬に裂くような痛みを感じ思わず女の腕を掴んでいた手を離し数歩後ずさった。


「っつぅ…!」


 最初に痛みを感じた箇所から、今度は発熱し腫れあがるような痛みを感じる。痛みを抑えるように手をやると、ぬるりとした嫌な感触。どうやら女のネイルが頬の肉を裂いたようで出血しているらしい。命に関わるような傷ではないが、ずきずきとした継続した痛みに物凄い不快感を感じる。


「離せやあああああああ!!!」

「やめろっての!! アンタ、自分が何をしたかわかってるの!?」


 続く怒声にハッと我に返ると、今度は瑛理が女を羽交い締めにして動きを抑えていた。しかし女は罵声を繰り返しながら死に物狂いで手足を振り回し、瑛理の拘束を解こうと抵抗している。その光景にあっけにとられていると、今度は家の中から夕美の声。


「開いた! 開いたよお姉さん!」

「本当!? 早く中へ! 日向くんは!?」


 私の言葉に部屋に駆け込んだ2人だったが、その直後


「日向!? おい日向!! しっかりしろ!!」

「日向くん起きて!! 返事してえええ!!」


 2人が取り乱した様子で大声を上げた。

 何だ? 彼の身に何かあったのか?


「どうしたの!? 日向くんは無事!?」


 とにかく現状を確認するため大声で2人に問いかける。そして


「日向が…日向がぐったりして動かないんだ!!」


 翔太の悲痛な叫びが、冷たく澄んだ空気に響き渡った。

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