猫のウワサ 4
「最初はこの一匹だけだったんだ。信じてくれよー」
抗議するような目でそう話すのは、まだ幼さが抜け切っていない顔立ちのショウタと名乗る短髪の男子。腕には以前ここで一心不乱に食事をしていたぶすくれた様子の三毛猫を抱えている(彼曰く名前はドラと言うそうだ)。そして彼の背後には今にも泣きそうな表情で怯えながらこちらの顔色を伺うボブカットの小柄な少女。彼女はショウタの幼馴染らしく、ユミと名乗っていた。
2人の話を総合するとこうだ。
ある雨の日に2人は自分たちが住むマンションの入り口で、ずぶ濡れでぐったりとした様子の三毛猫を見つけ、保護するためにショウタの家に引き入れてしまったらしい。暖かいシャワーで体を洗いミルクを与えると猫はある程度元気を取り戻したが、そこでショウタの母親が帰宅してしまい猫を連れ帰ったことがバレたそうだ。
彼らは双方の親に「この猫を飼いたい」とお願いしたが、その願いは聞き入れて貰えず翌日には外に放すよう言われてしまったらしい。しかし野良である猫を不憫に思ったユミは、この猫をなんとか保護してあげたいとショウタに言った。ショウタは考えた末、数日前に友達と探検で見つけたとある工場の壊れたフェンスのことを思い出し、工場の敷地内に広がる雑木林ならば猫を匿うには丁度良いと思ったらしくユミと猫を連れてここまでやってきたとのことだった。その工場こそが、我らが百代印刷の印刷工場だったというわけだ。
その後の彼らは家から水や牛乳、野菜の切れ端などを持ってきてはここでドラと名付けたこの三毛猫に与えつつ、ドラを撫でたりオモチャで遊んだりして過ごすのが日課になっていた。しかし、いつからか餌に釣られてかドラ以外の野良猫までここに留まるようになり、猫同士が餌や水を取り合うようになってしまったらしい。困った2人はスーパーで「ペットの兎の餌に」と称しキャベツの外葉などを貰い、集まった猫たちに与えるようになったそうだ。これにより餌の取り合いで猫たちが喧嘩をすることはなくなったが、餌のせいか最近また新しい野良猫がここに留まるようになってしまい困っていたのだという。
(困っているのはこっちなのよねぇ…)
一通りの経緯を聞いた私は頭を抱えていた。横目に宮地さんの方を見ると、彼も腕を組み難しい顔を浮かべている。彼らの気持ちも汲んであげたいが、会社の害になることは止めさせなければいけない…そんな2つの考えが心の中で葛藤しているのだろう。
仕方ない。ここは猫と子どもに肩入れしてしまっている宮地さんの代わりに、私が大人として心を鬼にしてキッパリ言って聞かせなくては。私は眉間にしわを寄せ険しい表情を作りショウタに向き直る。
「これだけ野良猫が集まってしまっているのよ。すぐに片づけて今すぐ帰りなさい」
「いいじゃんかケチ! こんだけ広い場所なんだから猫が居たって迷惑にならないだろ」
私の言葉にショウタは反抗的な目でこちらをキッと睨んできた。生意気なガキだなと思ったが、よく見たら全身がプルプルと震えている。もしかしたら背後のユミのために、精一杯虚勢を張っているのかもしれない。
何ともいじらしいじゃないか、とも思ったがこちらも余計なトラブルを回避するためだ。彼らの言い分を認める訳にはいかない。私はそれまでより強い語調で
「あのね、君はそこまで考えていないのかもしれないけど、野良猫がこれだけ集まったら自由におしっこやフンをして嫌な臭いがするの。工場で働く人もそうだけど、周りに住んでいる人も迷惑することになるのよ?」
「そ、それは」
「それに猫たちが餌の取り合いで喧嘩をするって言ってたけど、その時の鳴き声も周辺への迷惑になるのよ? 夜中に猫たちの鳴き声が何度も聞こえてきたらうるさくて眠れないでしょう」
「で、でも…」
「そもそも、ここは会社の敷地なんだからあなた達が入ってくるのは不法侵入よ。私が警察を呼んであなた達を突き出したら警察署に連れていかれて、親御さんにも連絡されちゃうのよ?」
「…そ、そんな…」
私が怒涛の勢いで捲し立てると、ショウタは涙目で段々としょぼくれた顔になっていく。一切反論できず、戦意喪失といったところか。
見かねた様子の宮地さんが「まぁまぁその辺で…」と私の肩を叩いてきたが、それとほぼ同時に
「ご、ごめんなさい!! 今すぐ片づけます!! 二度とここには来ません!! だから、あの、警察だけは…!!」
それまでショウタの背後で怯えるばかりだったユミが彼の前に立ち、私たちに必死に頭を下げ始めた。
突然のことにあっけに取られる私と宮地さん。そんな私たちを余所に、ショウタはユミの肩を掴み振り向かせる。
「お、おいユミ! いいのかよ、このままじゃドラが…」
「だって、警察に捕まったらこの前よりもっともっと怒られちゃうよ! ショウちゃん、この前はおじさんおばさんだけじゃなく私の両親にもあんなに怒られてたのに、警察に捕まったりしたら、今度はなんて言われるか…」
「で、でもそれじゃドラが…」
どうやらユミはショウタの身を案じて話が大きくなることを恐れているようだ。ショウタの方はと言えば、ドラに情が湧いているからか未だ食い下がってくる。だが、ショウタはどうやら肝心なことが分かっていないように思えた。
「あなたの勝手で餌をあげて、この子は本当に幸せなのかしら?」
「え?」
私の言葉が予想外だったのか、ショウタはあっけにとられた様子でこちらを振り向く。
「家で飼えないからってここで餌やりをしてるけど、一生それを続けるつもり? ここに居ればいつでも餌を届けて貰えると思い込んだら、それが続かなくなった時にドラは生きていけるのかしら」
「つ、続けられるよ!」
「本当に? あなたはまだ子どもよ。親の都合で引っ越したり、長期の旅行に行く場合なんかはどうするの? ドラはどうやって食べ物を手に入れるのかしら」
「そ、それは…ユミも協力してくれるし…」
ここまで言ってもまだ食い下がるショウタ。聞き分けのないヤツだと若干苛立ちつつも、あくまで理性的に彼に問いかける。
「そんな生活を何年続けるつもり? それにドラが病気や怪我をした時はどうするの? 病院に連れて行ってあげられるの? 責任持てるの?」
言い返す言葉が見つからないのか、ショウタは口元をもごもごさせながらこちらを睨むことしかできずにいる。そんな様子にもお構いなしに私は続ける。
「生き物の世話をするというのは、そこまで責任を持つということよ。あなたはまだ子どもで、ペット1匹飼うにも責任を負うことはできない。そういう時、大抵の場合は親が責任を肩代わりしてくれるの。その親がダメだと言ったのだから、ドラのことは忘れてお別れするべきよ」
「…………」
ついに反抗することを諦めたのか、ショウタは俯きプルプルと震えだした。ユミの手前、必死に涙を抑えているのだろうか。その姿に私も「流石にやり過ぎたか」とも思ったが、まだ大事なことを伝えていない。私は屈みこんでショウタに目線を合わせると、これまでより若干トーンを落として
「野良猫には野良猫なりの生き方があるし、中途半端に餌をあげたりしてドラの生き方を歪めてしまうのはドラにとっても良くないわ。そこまで考えたことはあるの?」
そう優しく伝えた。
ショウタは相変わらず俯いたままだったが、そんな様子のショウタにユミが寄り添い彼の強く握った拳を両手で包むと
「ねぇ、ショウちゃん…もう諦めよう? ドラのことは放っておいてあげようよ」
そう言われたショウタはわずかに顔を上げユミを横目に見ると、ついに観念したのか
「わかった…餌は片づける。ここにはもう来ないよ…。だから、警察を呼ぶのは止めてください」
しおらしい様子でユミと並び一緒に頭を下げるショウタ。
少々可哀そうな気もするが、これも社会勉強だ。
私は2人の頭をわしゃわしゃと撫でると笑顔で
「よしよし、なら私は今日何も見なかったことにするから。もうここには来ちゃダメよ」
私の言葉に2人は揃って「はい」と答えると、自分たちが持ち込んだ紙皿やプラスチックの容器を片付け始めた。野良猫たちは抗議するように2人の足元にじゃれつきニャーニャーと声を上げていたが、ショウタ達に危害を加えるような様子はない。
「ふう、やれやれ」
どうやらこれで一件落着のようだ。隣の宮地さんもほっとした様子で胸を撫で下ろしている。
ショウタたちにとっては苦い経験になったかもしれないが、これで命の重みを知るきっかけになってくれればいい。そんなことを考えながら小さな充足感と達成感に浸っていたのだが―――
「…ん?」
何やら足に妙な感触。足元を見下ろすと、他の野良猫たちより毛並みの良い黒猫が私の足にじゃれついていた。しゃがみ込んで頭を撫でてやると、今度は私の手に頭を擦り付けるように体を寄せてくる。
随分と人馴れしてるな、と思ってよく見ると首元には革製の赤い首輪が。どこかの飼い猫が迷い込んでしまったのだろうか、なんて考えていると今度は首輪に挟まった紙片のようなものが目に入った。
(? 何かしら…)
気になって引き抜いてみると、それは小さな紙片を折りたたんで細くしたもののようだった。見た目で言えば、神社で木に結ばれるおみくじの様だ。
手紙か何かかな?となんともなしに紙片を広げた私だったが…次の瞬間、そこに書かれた予想外のものに凍り付いた。
「…どういうこと?」
私の漏らした声が気になったのか、両脇からショウタとユミ、そして背後から宮地さんも私の手元の紙をのぞき込む。そしてそれを目にすると、皆一様に困惑の表情を浮かべた。
広げた紙片はコンビニのレシート紙の裏側だったようだが、そこには大きくカタカナで一言。
荒々しい字で『タスケテ』とだけ書いてあった。




