猫のウワサ 1
大変間隔が空いてしまいましたが、3話公開です!
楽しんで頂けれると嬉しいです~。
「それにしても、酷い親っていなくならないものね」
私が溜め息交じりに言うと、対面に座る彼女も大きく溜め息を吐く。
「ええ、残念なことにね」
語調に深い落胆の色を見せながらも、彼女は俯いていた顔を上げ
「でも、子どもに罪はないもの。だから一人でも多くの子を、この手で救いたい」
強い意志を秘めた目で、そう語った。
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「そう言えば先輩、あのウワサ聞きましたぁ?」
そうお馴染みの前置きで話しかけてくるのは、職場の後輩である染谷涼香だ。
今私達がいるのは、私たちの勤務地である百代印刷敷地内の印刷工場にある休憩室。2人で工場内の事務室へ書類や日用品を届ける用事を終え、我らが総務部のある事務棟に戻ろうとしたところ「戻る前にちょっと休憩していきましょうよぉ~」と染谷が言い出したので、2人で自販機で購入したお茶を飲みつつ雑談に興じていた。
「それで、今度は一体何のウワサよ?」
私はいつもの調子で話の先を促してみたが、染谷は何故かヤレヤレといった表情で肩をすくめながら話し出した。
「いやぁ、それが何でも最近ウチの工場の裏手に野良猫の溜まり場ができてるみたいなんですよぉ。誰かが餌をやってるんじゃないか、ってウワサもあるみたいでぇ」
「え? 大丈夫なの、それ」
染谷の話に思わず眉をひそめる。
猫というのは眺めている分には可愛いが、躾もされていない野良猫が一か所に複数匹集まると鳴き声や臭い等の問題が必ず出てくる。ここは周囲に住宅も多い地区のため、会社の敷地内に猫の溜まり場があるというのは周辺への迷惑にも繋がりかねないので少々問題ではないだろうか。
しかも定期的に餌が手に入ると分かれば動物というのはますます居ついてしまう。そんなことも考えずに野良猫へ餌を与えるような大人が社内にいるとは考えたくないのだが…。
なんてことを考えていると、私たちの向かい側から不意に声が飛んできた。
「ああ、その話なら私も聞いたよ」
突然声をかけられ、私と染谷は驚きながら声の方へ振り向く。そこに立っていたのはふくよかな体型で紺色の作業着を着た中年の男性だった。
彼は印刷部の宮地主任。愛想の良さと穏やかな物腰、そして丸みがあり愛嬌のある姿から(本人は認知していないが)社内では愛されキャラで通っている。そして最大の特徴が―――
「いやー、話を聞いてすぐに見に行ったけど、やっぱり猫がひなたぼっこをしてる姿は癒されるよねぇ。まさに地上に舞い降りた天使のようだよ…。私が行った時は2匹しかいなかったけど、多い時は5~6匹くらい来ているらしいから、次に見に行く時はそのくらい集まっているタイミングだと嬉しいなぁ」
なんて目をキラキラさせながら語っている。
そう、彼は自他共に認める大の猫好きなのだ。
ウワサでは奥様との出会いも猫カフェで、自宅でも現在3匹の猫を飼っており、娘さん含め家族全員で愛猫たちを溺愛しているらしい。それくらい筋金入りの猫好きだ。彼との会話は娘の話と同じかそれ以上に猫自慢の話ばかりだともっぱらの噂で、社内でも彼の猫好きは広く知られている。
そんな宮地さんのほわぁっとした和み顔に普段ならこちらもほっこりするところだが、この件に関してはそうもいかない。放置すれば会社の問題や地域とのトラブルにも繋がってくるので、万が一のことを考えたら上司に相談し対策を検討しなければならないのだが…。
「そうだ、良ければこれからその猫の溜まり場まで一緒に行ってみないかい?」
そんな私の懸念を知ってか知らずか、宮地さんは呑気にもそんな提案をしてきた。
当然喜んで了承―――なんてできるハズがなく、思わず引きつった笑みを浮かべる。
「い、いやぁ仕事中ですから、私達もそろそろ戻らないと…」
総務部を出てからそれなりの時間が経過しているし、流石にそろそろ戻らないと後で上司からお小言を頂戴する羽目になる。染谷も同じことを考えたのか、私の意見にうんうんと強く頷いているのだが
「少しくらい大丈夫だって。それに丁度印刷部から総務部に出さなきゃいけない書類が幾つかあるんだ。それを受け取るのに時間がかかったってことにすれば問題ないよ」
「いや、ちょっと、待っ…」
猫が絡むと性格まで変わるのか、普段温厚な宮地さんは興奮気味な顔でさあさあと私たちの背を押しながら目的地へと歩き始めた。
数分後、私・染谷・宮地さんの3名は会社の敷地の端、工場の裏手の雑木林へと来ていた。
百代印刷は敷地がそれなりに広く、また印刷工場は事務棟よりも奥まった場所にあるので、私達のような事務員はあまり工場まで近づくことはない。工場まで来るとしても書類や事務用品のやり取りが主で工場の中や裏手まで入り込むことはないため、こうして工場裏手まで来るなんてなんだか新鮮な気分だ。会社の敷地内だというのにちょっとした探検気分になる。まるで小さいころに妹と野山を探検した時のようだ、なんて幼少期のことを思い出していた。
既に一度ここに来たことがあるという宮地さんの案内でここまで付いてきたが、どこまでいくのだろうか…などと考えていたら、不意に宮地さんが小さな茂みの前でしゃがみこんだ。何事かと思っていると、今度は私たちにもしゃがむようジェスチャーを送りつつ目線で茂みの先を見るよう促してくる。
「ほら見て、あそこだよ」
そう宮地さんが小声で囁きながら目線を送る先は少し開けた広場のようになっており、木々の枝も途切れているのか陽光がたっぷりと降り注いでいた。そしてそこには昼下がりの日の光を浴びながらゴロゴロと寝転んでいる猫が3匹ほど寝転がっている。各々目を閉じ体を丸めて寝転んでいたり、小さな口を大きく開けながらあくびをしていたりとなんとも可愛らしい。非常に和む光景だ。
「へ~、こうして見ると結構カワイイですねぇ」
「うんうん、やっぱり猫は癒されるよねぇ」
染谷と宮地さんも同様の感想らしく目を細めて猫たちを観察している。
私もしばらくは同様に茂みの影から猫たちを眺めていたのだが、周囲を見回すとふとあるものが目に入った。
それは広場から少し離れた場所で、こちらに背を向けて木の根元へ屈みこんでいる一匹の三毛猫だった。私が気になったのは、その猫が小刻みに頭を上下させながら何やら小さな音を立てていることだ。
(…んん?)
その姿を見て何故か嫌な胸騒ぎを覚えた私はゆっくりと腰を上げると、宮地さんと染谷の脇を抜け、茂みをかき分け広場の方へと踏み出していく。
「え? …ちょ、ちょっと! ダメだよキミ!」
宮地さんが制止する声を無視して、私はずかずかと猫たちのいる広場へ踏み入っていく。日向ぼっこをしている猫たちは突然の乱入者にも全く動じずそのままゴロゴロと寝転がるばかりだったが、件の三毛猫だけは私が近づいてくるのに気付くと振り向いて威嚇の声を上げてきた。それでも私が立ち止まることなく間近にまで近づいてくると、猛ダッシュで草むらの中へと逃げ去っていった。
逃亡した三毛猫には目もくれずに猫が元いた場所に辿り着き足元に目をやると、そこには本来あるはずのないもの、個人的にはあって欲しくないと思うものがあった。
(はぁ…嘘でしょ…)
そこにあったのは食べ散らかされた野菜の残骸が載った紙皿と、水が張られたプラスチック製の浅めの平皿。
間違いなく、誰かが野良猫に餌を与えている証左だった。




