彼のウワサ 11
「…エエエエエエィ!!!」
打ち下ろされる竹刀を受けた鉄パイプがビィィィンと音を上げて唸り、同時に竹刀のパァンと乾いた音が駐輪場に響いた。両手で握った鉄パイプから伝わる衝撃に、私は顔を歪ませながら耐える。
「ぐうっ…!」
先ほどから都合3度目となる打ち合い。打ち合いと言いながらも打って来ているのは雄正の方ばかりで、私は両手で掲げた鉄パイプで雄正の振り下ろす竹刀を受けるのが精一杯だった。
有段者が全力で振り下ろす竹刀のスピードは時速100kmを越えると言われているが、そんな相手に防具も無しに戦おうとするなんて正気の沙汰ではない。とっとと逃げて助けを呼ぶべきだったのだが、私の背後にはいまだに腰が抜けて動けない沢渡がいる。今彼を見捨てて逃げては、彼に害を与えようとしていた雄正の餌食になるのは火を見るよりも明らかだ。そのため私は雄正に相対して沢渡を守るしかなかった。
不幸中の幸いだったのは、駐輪場の通路の両側にある庇が低いことと、庇の支柱が等間隔に通路にせり出すような形で設置されていることだった。これらの障害物のせいで雄正は竹刀をほぼ垂直に振り下ろすことしかできず、剣道における『胴』や『小手』を封じられて攻めあぐねているようだった。遮蔽物が無ければ、胴や小手を狙われて私は1分と持たなかっただろう。
とはいえ鉄パイプ越しでも竹刀を受けた瞬間の体への衝撃は凄まじく、手も腕も痺れて次第に力が入らなくなっていく。竹刀を受けられるのは持って2回…いや1回が限度か。
しかし、そうは言っても状況的に有利なのはこちらだ。沢渡が呼んだ警察が現場に到着すれば雄正にとってはゲームオーバー。さらに先ほどから響いている竹刀と鉄パイプの音を聞きつけて校内の警備員なんかがここまでやってくれば、もっと早く決着は着く。しかし―――
(そんなこと、雄正にもわかっているはず)
それでも彼は立ち去らない。それほどまでに沢渡への憎悪は深いのか、それとも。
(もう、正気じゃないのか)
剣道のクセなのか、打ち込み後数歩下がり竹刀を正中に構え直す雄正の顔を再度よく見る。表情は能面のようで感情を読み取ることが出来ず、その目は私の背後にいる沢渡を真っ直ぐ見据えており―――心なしか濁って妖しい光を宿しているようにも見える。まるで何かに取り付かれているようだ。
(何を言っても…聞いてくれないでしょうね)
これ以上の説得は無理だと悟った私は、気合を入れなおして鉄パイプを強く握り直す。これ以上、彼の被害者を増やすわけには…そして、彼の罪を増やすわけにはいかない。もう彼氏とも思っていない相手だが、せめてもの情けだ。ここで彼を止めなくては。
「…アアアッ!!!」
そう思った次の瞬間、再度雄正が素早く踏み込んでくる。咄嗟に先ほどまでと同様に鉄パイプを掲げるようにして防御姿勢を取った私だったが、竹刀の切っ先はこれまでと違い下から掬い上げるような軌道でこちらへ迫ってきた。
「!?」
その動きの意図するところに気付き戦慄するも、咄嗟に防御する暇も無く―――私が構えていた鉄パイプは弾き飛ばされ、遥か後方へ飛んで行ってしまった。
「オラァッ!!」
「なっ!?」
更に雄正はそのまま胸から体当たりをかましてくる。不安定な態勢になっていた私は踏ん張りが効かずに突き飛ばされ、地面に尻餅をついてしまった。
「いっ…たぁ…」
アスファルトに尻を打ち付けた痛みに涙が出そうになりながらも急いで背後へ振り向くと、雄正は竹刀を上段に構えながらじりじりと沢渡ににじり寄っていく。
「ひっ…」
沢渡が短い悲鳴を上げると雄正はさらに竹刀を振り上げ、限界まで振りかぶった状態から打ち下ろそうとする。
「ダメぇぇぇぇぇぇぇっ!!!」
私はあらん限りの声を上げながら、弾かれたように雄正のがら空きになった横っ腹へダイブした。無防備な態勢でそれを受けた雄正は、そのまま私ごと横方向に押し倒される。
「くっ…は、離して、なっちゃん!!」
「だっ、ダメ! 雄正! もうこんなこと止めなさい!」
私が上に覆い被さるような態勢から抜け出そうともがく雄正を、私は必死に抑え込もうとする。しかし体格も筋力も劣る私が彼を抑えられるはずもなく…。
「きゃっ!」
1分と持たず彼は私を引き剥がし突き飛ばす。私は沢渡の真横に尻餅をつき、2度目の臀部への痛みに悶絶してしまう。沢渡は痛ましそうな目でこちらを見てくるが、誰のせいでこんなことになってるんだと嫌味の一つも言いたくなる。
一方の雄正は荒く息を吐きながらその場でのそりと立ち上がり、今度は苛立ちに満ちた顔で私を見下ろしていた。
「どうして…俺はなっちゃんのために、沢渡をやっつけようとしているだけなのに…なんでわかってくれないんだ…」
そう呟く雄正の目は、昏い光に満ちてギラギラと輝いて見えた。
もう確実に正気ではない。
同じく雄正を見上げる隣の沢渡は、恐怖からかカタカタと震えている。
(…私が、ここまで彼を追い詰めてしまったの?)
彼のまとう狂気に恐怖を感じながらも、そんな疑問が私の頭の中を駆け巡っていた。しかし、そんなことはお構いなしに雄正の呟きは続く。
「でも…これでやっと…やっと沢渡に天誅を…なっちゃんも…後になればわかってくれるはず…」
そうして雄正はゆったりとした動作で竹刀を上段に構えると、沢渡の脳天目がけて真っ直ぐ振り下ろす。それを、私は―――
「……っ!! は―――!!」
「っ!?」
竦む体に鞭打って、勢いよく立ち上がり沢渡の前に立ちはだかる。雄正は驚愕の表情を浮かべるが、竹刀のスピードは緩まない。私は頭上に腕を交差させて防御態勢を取り…
「…ったあぁぁぁぁぁ!?」
竹刀は組んだ腕の上側にあった左上腕を強かに打ち付け、何度目かのパァンという乾いた音が周囲に響き渡る。これまでに感じたことのない衝撃が全身に伝播し体中の骨まで軋むような錯覚に陥り、あまりの痛みに声が出て引き結んだ目からも涙がにじむ。それを気合いでぐっと呑み込んで正面を見据えると、雄正は打ち込みの反動か上体を反らしながら後方へ下がっていっていた。そんな彼の方へ、私は最後の力を振り絞って一歩強く踏み込むと
「らあああああああああっ!!!」
雄正の顔面めがけ、全体重の乗せた渾身の右ストレートを放った。
「ごっ…!!」
左頬へモロに私のストレートを受けた雄正は、態勢を崩して半回転しながら斜め後方へと倒れていく。そしてその先には丁度庇の支柱があり―――
「あっ!? ダメッ!!」
私の叫びも虚しく、雄正は背後の支柱に側頭部から激突。ゴォンと鈍い音を響かせ「ごっふ!?」と短い悲鳴を上げながらその場で仰向けに倒れ込んだ。目の前で起こった事態を脳が受け入れられず、私はそのまま数秒間身動もせずに呆然と立ち尽くしていたが
「…だ、大丈夫? その人…」
背後に居た沢渡のその一言で我に返り、急いで倒れて動かなくなった雄正へと駆け寄った。
(ま、まさか、死んじゃった…?)
恐る恐る彼の様子を見ると…白目を剥いて口を開けているものの、呼吸はある。首元に手を当てると脈も動いており、どうやら死んでしまったわけではないようだ。
「よ、良かった…生きてる…」
雄正が生きていることが分かり、安心してそれまで張り詰めていた緊張の糸が一気に緩んだのか、私はその場にズルズルとへたり込んでしまった。そして―――
(あ、あれ…?)
唐突に体が右に傾いたと思った次の瞬間———私は目の前が真っ暗になった。




