彼のウワサ 10
「自分が何をしているか、わかっているの?」
私は5メートルほど先でのそりと立ち上がる雄正に向けてそう言い放った。叫びながら思いっきりタックルをかましたつもりだったが、上手く受け身を取ったのかダメージは軽微なようだ。そういえば、昔何かしらの武道をやっていたと言っていたような気がする。
雄正は立ち上がるとすぐさま転がっていた竹刀を手にし、こちらに向けて構えた。…が、その顔は驚愕で歪んでいる。
「な、なっちゃん、なんで…?」
「そりゃ人が襲われてたら助けに入るでしょ、普通」
なんでもないことのように言ってのける。が、すぐに「違う!」と雄正が大声で返してきた。どうやら彼が求めていた答えではなかったようだ。
「そうじゃなくて!! なんでなっちゃんがこんな時間に、こんな場所にいるのさ!?」
「ああ、そんなこと」
フン、とつまらなさげに鼻を鳴らしながら答える。
「そんなの、アンタを尾行していたからに決まってるじゃない」
「…へ?」
私の言葉に理解が追い付いていないのか、雄正はポカンと口を開け呆けている。それに構わず私は話を続けた。
「校内を歩いてたらトイレから黒づくめの服装の男が出てきて、怪しいなーと思ってよく見てみたら自分の彼氏だったのよ? そんなの気になるに決まってるでしょう。オマケに変な筒みたいなものまで背負っていたから、おかしいと思ってこっそり後をつけてたの。
そしたら、どうやら沢渡君を尾行しているみたいだと分かって驚いたわ。何の目的で?とも思ったけど…まさか襲うためだったとはね」
その時はわからなかったが、背負っていた筒の正体は竹刀ケースだった。沢渡襲撃時に雄正が竹刀を取り出してから茂みに投げ込んだのを見た。
「それで、沢渡君を襲ったのは何故? それとも、相手は誰でも良かったのかしら?」
「…それは…」
雄正は一瞬言い淀んだが、観念したのか虫の鳴くような声で答えた。
「…俺が…なっちゃんを守らないと、って思って…」
「…はぁ?」
どういうことだ? 私を守る? 沢渡から?
沢渡とは先月、来年以降所属するゼミの説明会で最近知り合ったばかりだ。大人しく真面目なタイプで分別もあるので、いきなり女子を襲うような人間には思えないが…?
混乱する私を他所に、雄正は話を続ける。
「沢渡だけじゃない…千葉や、東海林だってそうだ。なっちゃんには俺って彼氏がいるのに、しつこく声をかけてきて…だから俺は、なっちゃんを守ろうと…」
「は? え?」
千葉に、東海林?
ちょっと待て、それってこの前莉緒や優希に聞いたウワサの…。
「…雄正、アンタが千葉君と東海林君をやったの?」
自分の顔が強張っていくのを感じつつ、低い声で雄正に尋ねる。厳めしい顔になっているであろう私と対照的に、雄正は褒められた子どものように無邪気な笑顔で
「そう、そうだよ! あいつらなっちゃんにしつこく付きまとっていたでしょ? だから俺がちょっと脅かして追い払ってやったんだ!」
そう自分の行いを自慢してきた。あまりに場違いな雄正の様子に頭がくらくらしてくる。
「…東海林君はともかく、千葉君なんて私知らないわ。人違いじゃないの?」
あくまで冷静に、動揺を見せないよう平坦なトーンで訪ねる私に、雄正は相変わらず場違いなほど明るい調子で答える。
「いやだなぁ、なっちゃん言ってたじゃない。『学祭サークルにしつこく勧誘してくるヤツがいる』って。俺が一緒の時も声掛けて来たからさ、良く覚えてたよ」
「………あ」
そう言われてみれば、確かに昨年度後期の講義で同じクラスになった男子学生からしつこく学祭サークルに誘われた時期があったが、あれが千葉だったのか。向こうも名乗っていたかもしれないが、私が興味が無さ過ぎて覚えていなかったのだ。
そこまで理解したところで、私は一つの可能性に行き着いた。
黒づくめの上下、棒状の武器、私と交流のある男性への敵意———
「…まさか…秋本先輩が車に撥ねられたのも、アンタが…?」
背筋に冷たいものを感じながら、私は雄正にそう問うた。そうであって欲しくないと内心祈りながらの問いだったが、しかし―――
「え? いやいや、あれは俺のせいじゃないよ。確かにアイツもちょっと脅かしてやろうと思ったけど、勝手に逃げて勝手に轢かれたんだから…アイツの自己責任でしょ?」
軽薄な笑いを浮かべながらそう言う雄正の姿に、プチン、と自分の中で何かが切れた感じがした。
「ふざけんなっっっっっ!!!」
自分でもどこから出したんだと思うほどの大声で叫ぶ。雄正だけでなく、後ろで座り込み続けている沢渡までビクッと震えあがった。
「…アンタ、私のためだって正当化してるけど、人を傷つけたのよ? 下手したら死んじゃうところだったのよ? それを…どうしてそう、ヘラヘラ笑っていられるワケ…? 私のため? ふざけないで、アンタが気に入らないからやったんでしょう。私はそんなこと一回だって頼んだ覚えはないわ」
心の底から信じられないという思いでそう告げた。雄正は再度混乱した様子でこちらを見ている。どうやら私の言葉の意味も理解してくれなかったようだ。もう呆れ果てて言葉も出ない。
「…もういい、別れましょう。私、アンタみたいな自分勝手な男なんてもうゴメンよ」
「えっ…」
その一言で雄正の顔色は青を通り越して真っ白く変わっていく。
「ど、どうして…どうして、そんなこと言うのさ。俺は…俺は君のために、何でもしてきたのに…」
彼は泣きそうな顔になりながら、そう訴えてくる。
「そうね、アンタは私に何でもしてくれた。私も以前は、素直に嬉しいと思っていたわ」
私は目を細め、彼を見つめる。そして―――
「でも、最近気づいたの。アンタが見ているのは私じゃないんだって」
呆れるような目で、吐き捨てるように、そう言った。
「…以前は、プレゼントをくれる時は事前に欲しいものを聞いてくれたし、実際にくれたプレゼントは貰って嬉しいものばかりだった。別に高価なものじゃなくてもね。デートの行き先だって私が前に行きたいって言った場所を提案してくれたし、それを覚えてくれているだけで嬉しかった。
でも最近はどう?『これが似合うと思う』とか『こういうのが女の子っぽい』とか、独りよがりなアンタの意見ばっかり押し付けてきて…私、正直参っていたわ。
それで私なりに色々と考えてみて…分かったの。アンタは私じゃなくて私に良く似た他の女の影を追ってるんだって。その女の代わりに私に尽くすことで、自分で悦に浸っているんだって」
今まで言えなかったこと、言いたかったことが堰を切ったように溢れてきた。本来はもっと早く伝えるべきだった、面倒だと伝えるのを後回しにしてしまった言葉達。
そんな私の言葉に思うところがあったのか、雄正は気まずそうな顔で立ちすくんでいる。
「…違う…俺は、そんなんじゃ…」
「違わないわ」
「違う!!!」
大声で叫ぶその顔はぐずり出す前の小さな子どものようだ。
「違うんだ…なんで…なんでわかってくれないの…?」
そう言いながら雄正は肩を震わせ、俯いてすすり泣くように声を震わせる。だが―――
「…いや…違う…そうだ…なっちゃん、君は疲れてるんだよ。悪い男に付きまとわれて、疲れてイライラしてるだけなんだ…」
次の瞬間、周囲の空気が変わった。気温が5℃程下がったように、冷気を帯びた気がする。
「大丈夫。俺が、そこにいるヤツをやっつけて、なっちゃんの悩みをなくしてあげるから」
そう言うと雄正は持っていた竹刀を両手で正中に構えた。いつの間にか彼の目からは先ほどまでの悲嘆や絶望の色は消え、感情をそぎ落とした目でただこちらを真っ直ぐに見据えている。どうやら本気のようだ。
まずいな、と思いつつ背後を見ると沢渡はいまだ地面に座り込んだまま。呆れながらも大声で彼に呼びかける。
「ちょっと沢渡君、いつまでそうしてるワケ!? 狙われてるのは貴方なんだから早く逃げなさいよ!!」
しかし彼は今にも泣きそうな顔になりながら
「ええと…こ、腰が抜けちゃって、動けなくて…」
なんて情けないことを言ってきた。
(なんか頼りないとは思ったけど、ここまでとは…)
まだ短い付き合いだが、失礼ながら沢渡にはなよなよとして優柔不断な印象があった。その上、今のように有事の際に頼りにならないとなれば将来が心配だ。コイツ女性と交際とか結婚とかできるんだろうか。
そんなどうでもいいことを考えるのも束の間、この後の展開について考える。発言通りなら、雄正は持っている竹刀で沢渡をボコボコに打ち据えるつもりなのだろう。今の沢渡はご覧の通り動けない状態なので、ここで私が彼を置いて1人で逃げたり助けを呼びに行けば、たちまち雄正の手にかかり大怪我を負うことだろう。
(流石にそれは、寝覚めが悪いしなぁ)
それならばと雄正に対抗するための武器はないか付近を見回す。幸いなことに、どこかから脱落したのか駐輪場の端に錆びた細い鉄パイプが落ちていた。それを拾いあげ、雄正に倣って正中に構える。
私が構えたのを見で雄正は一瞬ピクッと体を震わせたものの、竹刀の構えに乱れはない。どうやら既に臨戦態勢のようだ。
「沢渡君、動けないなら救急か警察に連絡しておきなさい」
そう軽く背後に視線を送りながら沢渡に告げると、私は雄正に向かって全神経を集中させた。
「―――じゃあ雄正、ケンカしよっか。本気で、ね」




